2024.05.23
作家名
2024.05.23
「高塚省吾」は、美人画、裸婦画でその名を知られた日本を代表する洋画家です。高塚省吾はその生涯に渡って、裸婦画にこだわり、それを描き続けた画家で「裸婦の巨匠」とも呼ばれています。また、デザインや映画の美術など、絵画の制作以外にも多方面の分野で活躍したアーティストでもあります。特定の美術団体には所属せず、個展を中心に多くの作品を発表していました。2007年、76歳で逝去しましたが、その繊細で透明感のある作品は根強い人気を誇っています。ここではそんな日本人画家、高塚省吾について詳しく紹介していきます。
目次
高塚省吾は1930年、岡山県で生まれました。幼いときから絵を描くのが得意で、小学生の頃から絵画コンクールでたびたび入選していたそうです。1949年、東京藝術大学油画科に入学し、当時、画家の権威として有名だった梅原龍三郎や林武、硲伊之助らに師事し、1953年に同大学を卒業しました。そして、硲伊之助のすすめにより、自身の作品を第7回日本アンデバンダン展に出品します。アンデバンダン展とは1884年、フランスで始まった、無審査・無償・自由出品を原則とする美術展です。日本アンデパンダン展は1947年から日本美術会の主催により始まり、2023年に第76回を迎えました。高塚省吾は第11回アンデバンダン展まで出品を続けていましたが、いずれも受賞に結びつくことはありませんでした。
自身の作品がなかなか作品展で認められず、高塚省吾は新東宝撮影所の美術科に勤務し始めます。そして、その傍ら、大学の同士たちと「8人の会」を結成し、個展を開くなどして、自分たちの作品を発表することを試みますが、それらの作品が注目を浴びることはありませんでした。そして、1955年には谷桃子バレエ団の美術担当となり、舞台美術や衣装デザイン、挿絵などを手がけ、台本も書くようになりました。翌1956年からは、NHKの広報室デザインの嘱託として勤め始め、1968年まで勤めました。また、1957年からは、小津安二郎監督映画のタイトルも担当しています。
30代に入っても高塚省吾は画家としてあまり評価されることありませんでした。そんな中、ターニングポイントになったのは、30代後半に東京大学の佛教青年会で曹洞宗の坐禅会に参加するようになったことです。そこで、既成概念やそれまでの自身の価値観を捨て、ありのままをキャンバスに投影することを思い立ったのです。坐禅会に参加するようになったきっかけや動機などはよくわかっていませんが、もしかすると、自身の作品がなかなか評価されなかったり、注目を集めたりしないことで、自分自身を見つめなおす時間や場所が必要だと感じたのかもしれません。この時期を経て、高塚省吾は「黒と白」をはじめとする風景と肉体が一体となった表現を始めました。そして、これらの作品が後の、高塚省吾の代名詞ともなるような透明感のある裸婦画へ発展していったと言われています。
坐禅会を経て、高塚省吾はようやくその作品がいくつかの作品展で入選するようになりました。それからは、個展を開いたり、作品集を出版したりするなど、画家としての活動を本格化し、高塚省吾の名前やその作品も広く知られるようになりました。1968年には「週刊女性」のスターのイラストルポを担当していました。また、1970年代初めには、春陽堂版江戸川乱歩全集の表紙を手がけるなど、多方面で活躍しました。
そして、徐々に画家として知名度が上がり、作品の評価も上がるにしたがって、50代以降は作品集の出版や個展の開催に注力しました。
高塚省吾は40代に入った1970年代から、数々の作品展で入選するようになり、その作品が評価され始めました。
1977年 国際青年美術家展 入選
1978年 ジャパン・エンバ美術賞展 入選
1979年 ミロ国際素描コンクール(バルセロナ) 入選
作品が評価され始めると、その後は1990年代を中心に作品集も積極的に出版しています。
1969年 『ようろっぱすけっちぎゃらりぃ』(ブロンズ社)
1980年 『高塚省吾素描集 おんな』(芸術新聞社)
1991年 『高塚省吾作品集』(芸術新聞社)
1991年 『高塚省吾パステル画集』(芸術新聞社)
1993年 『高塚省吾 女たち』(芸術新聞社)
1995年 『高塚省吾作品集 光と風』(芸術新聞社)
1996年 『高塚省吾素描集 裸婦』「高塚省吾の絵の話』(ともに芸術新聞社)
1997年 『美神讃歌』ーポストカード画集(美術出版社)
『高塚省吾作品集 まぶしい季節』(芸術新聞社)
1999年 『高塚省吾画集 女』(美術出版社)
2000年 『高塚省吾画集 あさきゆめみし』(芸術新聞社)
2004年 『高塚省吾画集 いろはにおえど』(芸術新聞社)
2009年 『高塚省吾画集 美しうるわし』(芸術新聞社)
1997年にポストカード画集が出版されていることからもわかるように、高塚省吾の作品はポストカードやカレンダーという形でも広く親しまれました。1990年代、ほぼ1年おきに作品集が出版されていることも、その人気の高さを物語っています。
高塚省吾は特定の美術団体には所属せず、その生涯にわたって、個展を中心に作品を発表してきました。そして、高塚省吾が裸婦画を描き始めると同時に、作品の人気が出始めた1980年代以降は精力的に個展を開催しています。
1955年 村松画廊・銀座ー初の個展
1969年 新宿伊勢丹
1979年 「現代の裸婦展」ー日動画廊・銀座
1981年 銀座松松屋ー1982年にも開催
1984年 日動画廊・銀座ー以後1986年、1991年、1995年、2000年
1985年 日本橋三越ー以後1987年、1988年、1990年、1993年、1994年、
1996年、1997年、1999年にも開催
1998年 東京・名古屋・京都など
1999年 松山三越・大阪三越など
2000年 日動画廊・銀座
1980年代から1990年代を中心に毎年のように、個展を開催しており、高塚省吾がいかに個展を重視していたか、そして高塚省吾の作品がいかに一般に広く親しまれ、愛されていたかを窺い知ることができるでしょう。
高塚省吾は2007年、盲腸がんにより逝去しましたが、2007年から2021年まで、東京都中央区にある画廊「四季彩舎」では、毎年、高塚省吾の命日である5月28日に遺作展として個展が開催されています。そして、2019年には高塚省吾の木彫やブロンズ、テラコッタなど希少な彫刻作品の個展も開催されました。画家として有名な高塚省吾ですが、1988年ごろから田原良作のもと、彫刻を学んだ経験もあり、立体作品も残しているのです。なお、この画廊「四季彩舎」では、高塚省吾の遺族による協力のもと、作品の鑑定依頼も受け付けています。
裸婦画はルネサンス期(14~16世紀)からよく描かれており、ルノワールをはじめとする近代の巨匠たちにも描かれてきました。しかし、高塚省吾ほど、その生涯を裸婦画に注ぎ込んだ画家はいないと評されるほど、高塚省吾は徹底して生涯にわたり裸婦画を追及し続けた画家です。
近代の画家たちは、印象派に代表されるように、鮮やかな色彩をキャンパスにちりばめ、太陽の光や風の動きなどを表現しています。一方、高塚省吾は色を多用せず、限られた色と余白をうまく使いながらシンプルに描く作風が特徴的です。その裸婦画は繊細で透明感があり、見ているうちに吸い込まれてしまいそうな美しさを帯びています。そして、裸婦画は一般的に油彩で描かれますが、高塚省吾はそこにパステルも用いました。それによって、絵画から光沢がなくなり、淡さや儚さが強調され、そこに裸婦の姿が相まって無垢で純真な女性像が浮かび上がってくるのです。
高塚省吾の作品は、油絵や版画の他、パステル画も多く残されており、その評価も高いため、他のアーティストとは異なり、油絵とパステル画の作品に大きな価格差がないという特徴があるようです。とはいえ、最も評価が高いのは油絵作品だと言われています。価格は、個々の作品によって異なり、数十万円台のものから、中には100万円以上で取引される作品もあります。
高塚省吾の作品は、美術品や骨董品からおもちゃまで、何でも鑑定することでおなじみのテレビ番組「なんでも鑑定団」に登場したこともあります。
2020年11月に放送された回に鑑定された、裸婦画は、高塚省吾が裸婦を描き始めた1980年代の作品と鑑定され、1,200,000円という鑑定結果が出されました。
2012年10月放送の回では、ジーンズを履いた上半身裸の女性画が鑑定されました。これは1994年に描かれた「ジーンズの女」という作品で、2,000,000円の鑑定額が出されました。
高塚省吾の作品は、国内のギャラリーや画廊でも販売されています。しかし、人気の画家というだけあって、すでに売約済みの作品も多くみられます。以下に、まだ買い手が決まっていない作品をいくつか紹介します。
「アレグロ」とはクラシック音楽などで使われる速度記号の一つで「速く」という意味があります。この作品はこのタイトルにあらわされる通り、裸の女性が風に舞うように軽やかに、動きのある様子が描かれています。
裸婦の透明感のある白い肌と、その女性が羽織るようにして持っている赤いシャツのコントラストが美しい作品です。
女性の柔らかな肌の質感と、鮮やかなセーターの質感が感じられるとともに、女性の視線が魅惑的で惹きつけられるような作品です。
浴衣をまとう女性が描かれています。遠くを見つめる女性の眼差しが印象的な作品です。
ヴェネチアングラスのネックレスでしょうか。女性が赤いネックレスを身に着けており、その肌感とネックレスの色彩のコントラストが魅力的な作品です。
肩にスカーフをかけた女性の凛とした表情とたたずまいが印象的な作品です。
高塚省吾の作品の査定にあたって、最も重要なのは、やはり裸婦が描かれているかどうかです。また、裸婦単体なのか、帽子や椅子などの付属品も描かれているのかによっても価格が変わります。そして、女性の絵でも、衣服をまとった女性よりは、裸婦の方が高値で取引される傾向にあるようです。
高塚省吾は数多くの作品を残しており、その作品を国内で入手することもそう困難ではありません。高塚省吾の作品に興味を持ったら、まずは信頼できる画廊やギャラリーに足を運んでみてはいかがでしょうか。また、お手持ちの作品の売却を検討している場合も、複数の専門業者に見積依頼をし、その作品の適正価格を見極めてから最終的な判断をしたほうがいいでしょう。