2024.11.22
作家名
2024.11.22
みなさんは日本で活躍する現代アーティスト「鴻池朋子」をご存知ですか?
鴻池朋子は国内外問わず人気のあるアーティストで、絵画や彫刻、アニメーションなど様々なジャンルで作品を世に生み出しています。
鴻池明子の作品は卓越した画力と独特の世界観が特徴で、人の足が生えた昆虫など、観るものの想像力を刺激するような魅力に溢れています。
本記事ではそんな鴻池朋子の経歴や作品の特徴について紹介しつつ、作品の査定や売却について解説していきます。
鴻池朋子の作品を収集している方や、これから収集しようと思っている方はぜひ参考にしてみてください。
目次
鴻池朋子は1998年から活躍する日本のアーティストです。
絵画だけではなく彫刻やアニメーション、時には巨大な牛革にトンビを描くなど、とにかく観るものの心を鷲掴みにするインパクトのある作品を世に生み出しています。
そんな鴻池朋子は2015年以降、毎年のように全国で個展を開き、様々な賞を受賞。
2023年には芸術や科学分野での発見などで優れた功績を残した人物に与えられる紫綬褒章を受賞した、日本を代表する現代アーティストです。
ここからは鴻池朋子の経歴について紹介します。
アーティストのルーツを知ることで、作品の魅力をより深く理解することができると思います。
鴻池朋子は1960年、秋田県に生まれました。
一家の長女として生まれ、小さい頃から両親に何かを求められることなく自由に育てられたそうです。その結果、その後の人生で縛りのある環境だと萎えてしまい、我慢強さが足りないと感じることが多かったと語っています。
幼少期から絵を描くのが好きで、チラシの裏に女の子の絵を描いたりしていたそうです。
また、ダンボールを使ってぬいぐるみの家を作ったり、母に人形の洋服を作ってもらったりしており、この頃から手芸のセンスや美意識が発揮されていたと語っています
この幼少期の経験から「素敵」という感覚が育っていったとのことです。
絵を描くのが好きで得意ではあったものの、特に芸術の道に進むことに興味がなかった鴻池朋子は、高校3年生の頃に友達の影響で美術予備校の存在を知ります。
その予備校で、芸大受験のために石膏デッサンをしている現場をみて面白いと感じ、自分でもできるんじゃないかと思い、夏期講習から本格的に予備校に通い始めます。
最初は興味本位で通い始めたものの、その予備校には芸大に入るために何浪もしている人がおり、そういう人たちの中で自分の作品がランキングの最後の方にあるのをみて、競争心が芽生えたそうです。
その予備校でテクニックを身につけ、東京藝術大学美術学部日本画専攻に入学します
日本画専攻を選んだ理由は、元々水彩画が好きだったことと、油絵専攻よりも倍率が低かったからだそうです。
大学に入学した鴻池朋子でしたが、あまり大学へはいかず、パンクなパッションをして外に刺激を求めることが多かったそうです。
当時の大学は、そこそこに課題を提出していれば卒業できるといういい加減なものだったらしく、美術を教える先生自身も教育に対してあまり情熱的ではありませんでした。
大学自体は温室的で自由であると同時に、すごく適当な雰囲気だったそうです。
また日本画専攻に進んだものの、当時、大学の日本画への向き合い方が、前時代のものをなぞっているだけというスタイルだったらしく、そのことに魅力を感じなくなってしまったそうです。
当時は「若さ故の反抗」だと思っていましたが、今になって振り返ると、新しいものを見出そうとしないこと、現実にしっかりと向き合っていない人に対しての嫌悪感がはっきりしていたのだと語っています。
鴻池朋子は大学卒業後、小さな玩具会社に就職します。
当時玩具会社だったら適当に絵を描いて、遊んで暮らせるんじゃないかと思っていたそうです。
この会社は豊かなものづくりのスタジオといったような雰囲気だったらしく、その時のデザイナーの先輩からたくさんのことを教えてもらっていました。
そして、この会社で鴻池朋子はモノ作りの始まり、モノを作る最初の快感を覚え、「デザイン」という概念を学びます。
一人の主観でものを作るのではなく、一つの目的に向かってチームで新しいものを作り上げる。このスタンスにかっこよさを感じたそうです。
玩具会社を退職した鴻池朋子は玩具だけではなく、この幅の広い「雑貨」というものに興味を広げ、インテリアや文具、ファッションまで本当に様々なジャンルのデザインに携わるようになります。
この頃から尻尾のついたイスや耳のついたテーブルなど一風変わったものを作り上げていました。
玩具会社を退職後、デザインの世界に入った鴻池朋子は芸術大学デザイン科の非常講師に呼ばれることになります。
このことがきっかけで鴻池朋子はアーティストの世界に戻ることになるのです。
大学で見た学生の作品に最初は嫌悪感を覚えたそうです。
未熟で言葉では良いように表すことができても、技術が足りず、陳腐な作品が多かったそうだ。
そのような作品たちを見て鴻池朋子は学生をよく叱っていたそうですが、そんな厳しい態度でも諦めずに作品を作り続ける学生の姿を見て、逆に気持ちを揺り動かされました。
どんな厳しい現実でもその状況を打開するために努力するエネルギーがアーティストの世界では大事だと語っています。
そして、この非常勤講師をしていた際に出会った学生が、鉛筆で描いたイラストを用いてアニメーションを作っている姿を見て、アニメーション作品にも携わるようになったそうです。
その後鴻池朋子は絵画だけではなく彫刻やアニメーションなど、様々なジャンルで作品を発表。
2011年の東日本大震災に大きな影響を受け、今まで自身が活動していたアトリエや生活環境を変え、所属したギャラリーも辞めた上で、新しい制作方法にチャレンジしていきました。
その結果、2015年から2016年にかけて開催し、始まりに立ち戻って、人間のものづくりすべてをアートとして言及した「根源的暴力」という個展で、2017年、第67回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
その後も日本全国で精力的に個展を開き、2023年には芸術や科学分野での発見などで優れた功績を残した人物に与えられる紫綬褒章を受賞しました。
ここまで鴻池朋子の経歴を紹介してきました。
ここからはこれまで鴻池朋子が発表した作品の中で印象的な作品を4つ紹介します。
みみおは1998年に発表した鴻池朋子の鉛筆アニメーション『冬の最後の日』に初めて登場したオリジナルのキャラクターです。
その後も渋谷キューフロントビルの巨大モニターなどに出現し、鴻池朋子の作品の中でメディアを越えて登場しています。
物語シリーズは1枚の絵画が6メートルを超える巨大な絵画により構成される作品で、最終章である「第四章」から発表され、第三章、第二章、第一章、第0章 へと逆回りで物語をたどる構成になっています。
それぞれの物語に独特な世界観と緊迫感があるが、作品自体に物語やメッセージ性はないとのことです。
むしろ、この作品は観客がそれぞれの感性で何かを感じるものだとしています。
鴻池朋子はこの作品を発表した時に「自分の作品にメッセージ性はほとんどない。見る人の心をざわざわさせ、楽しんでもらうんです」と語っています。
2008年に開催された個展「隠れマウンテン&ザ・ロッジ」で発表された作品。
この個展は、過去に鴻池朋子の別の個展が開催された際、観客に「もっと観客は作家の頭の中を見てみたい」と言われ、作られました。
ビル全体を山に見立てて、登山をするように作品を鑑賞していく構成になっているこの個展で『隠れマウンテン-襖絵』は最初に登場します。
この作品は2022年に開催された鴻池朋子の個展「みる誕生」で発表された作品です。
個展のタイトルは「生まれたての体で世界と出会う驚き」を表す言葉で、美術館の中で観客は視覚だけではなくあらゆる感覚を使って、作品味わうことをができるようになっています。
その中でも『高松皮トンビ』は美術館のエントランスホールに展示され、牛革を継ぎはぎし、幅12メートルにも及ぶ巨大な作品です。
ここまで鴻池朋子の経歴や作品の特徴について紹介してきました。
ここからは鴻池朋子の作品を査定、売却は可能なのかを解説していきます。
鴻池朋子の作品を収集している方や、これから収集しようと思っている方は参考にしてみてください。
まず結論から言うと鴻池朋子の作品は買取は可能です。
鴻池朋子は絵画だけでなく、彫刻や絵本など様々作品を世に生み出しており、そのいずれもが高い評価を受けています。
またそういった作品たちは大量に流通することが難しいので、高価買取に繋がりやすいです。
絵画や彫刻などの作品が高額で買取されるケースは、現時点でそのアーティストの人気が高いかどうかに左右されます。
すでに亡くなったアーティストの作品は高値で買取されると思われがちですが、そのようなケースは稀です。
また作品の状態によっても価値は左右されるので、発売直後の綺麗な作品であれば高価買取に繋がりやすいといえます。
鴻池朋子の作品は現在世界的に注目されているアーティストです。
そのため今のタイミングで鴻池明子の作品を査定、売却すると満足のいく結果が得られると考えられます。
本記事では鴻池朋子の経歴や作品の特徴、買取査定について紹介しました。
鴻池朋子は国内外問わず活躍しているアーティストで、絵画だけではない幅広いジャンルで人気を集めています。
まだまだ第一線級で活躍することが期待されるされているので、今後も多くの作品が注目を集めることは間違い無いでしょう。
現在鴻池朋子の作品を収集している方も、これから集めようと思っている方も、今後鴻池朋子の作品を査定・買取する場合は是非弊社にご相談ください。