2024.11.22
作家名
2024.11.22
辰野登恵子とは、日本の抽象絵画画家であり、また、版画家です。
多摩美術大学教授もされていました。1950年1月13日に誕生し、2014年9月29日に亡くなっています。
今回は、辰野登恵子の経歴とともに、アートの魅力を探っていきたいと思います。
また、辰野登恵子のアートの買取情報もお届けします。
目次
辰野登恵子は、長野県岡谷市に誕生しました。
1968年に、長野県諏訪二葉高等学校を卒業し、その後東京芸術大学美術学部に入学しています。
大学時代には、柴田敏雄であったり、鎌谷伸一とともに「コスモス・ファクトリー」を結成させ、アンディ・ウォーホルなどの影響を受け、写真製版によるシルクスクリーンを取り入れたアートにトライしました。
1970年、はじめての展覧会を開催。
1972年、東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業。
1974年、東京芸術大学院修士課程を修了。
その後辰野登恵子は、東京芸術大学美術学部版画科の助手を務めた経験もあります。
1996年には、第46回芸術選奨文部大臣新人賞を受賞しています。
2003年には、多摩美術大学の客員教授となり、2004年には、多摩美術大学の教授となります。
2013年には、第54回毎日芸術賞を受賞しています。
まさに、辰野登恵子は、日本を代表する抽象画家であるということができます。辰野登恵子が影響を受けたのは、1960年代にアメリカで流行したポップアートであったり、ミニマルアートです。
ポップアートといえば、アンディ・ウォーホルといってもいいほど辰野登恵子にも多大なる影響を与えたアーティストです。
アンディ・ウォーホルがファクトリーにおいて写真製版のシルクスクリーンを創造したように、辰野登恵子自身も模倣のようにコスモス・ファクトリーを結成し、同じくシルクスクリーンの創造に挑戦しています。
また、辰野登恵子は、ポスト・ミニマリスムの影響も強く受けています。
ストライプ(罫線)であったり、グリッド(方眼)などといった連続するフォルムのなかにあらわれる差異を扱う版画であったり、素描を意欲的に発表してきました。
「アンディ・ウォーホル」は、辰野登恵子に大きな影響を与えたアーティストです。アンディ・ウォーホルは、ポップアートの巨匠であり、大きな特徴として、シルクスクリーンの手法(メッシュ状の版に孔をあけ、そこにインクを流し込み孔からインクが落ち印刷する)を使い、効率よく大量生産したことをあげることができます。
ただし、大量生産できるアートの巨匠がアンディ・ウォーホルであるというのであれば、単に技術革新の旗手という感じもしないではありません。もちろんアンディ・ウォーホルは、ただそれだけにとどまるアーティストではありません。
アンディーウォーホールは、マリリンモンローの作品を大量生産し、商品化させたという実績の持ち主です。それは、マリリンモンローという情報の大量生産です。
マリリンモンローのアートがどんなに大量生産されたとしても、アートを購入してお部屋に飾っている人たちは、マリリンモンローについてそれ以上を知るすべはなく、知っているのは表層的情報に過ぎません。
アンディーウォーホールは、「本質的情報」ではなく、「表層的情報」だけを、手軽に大量生産させることを狙っていたのです。
まさに、アンディーウォーホールの魅力は、表層的情報をオシャレ化したことにあります。
本質的情報などが大量生産されたところで、人たちに、そのアートをポップとも、オシャレとも、かわいいとも感じてもらうことができません。人たちのニーズは、まさに気軽に飾ることができる表層的情報を求めている時代なのです。そのような意味で一点物アートは、重々しすぎて、なかなか人になつきにくい時代の到来を彼は予感していたのです。
辰野登恵子のアートにも、そのような要素は取り込まれ、時流にマッチするアートを求めていたと言っていいでしょう。
しかし、辰野登恵子が、アンディーウォーホルと同じ道を進んだのかと言えばそうではありません。
彼女が、アンディ・ウォーホールの影響を受けたことは事実です。彼女が影響を受けた結果、写真製版のシルクスクリーンによる版画作品を創造することをスタートしています。
しかし、70年代ころの辰野登恵子の仕事は、既にノートの罫線であったり方眼紙、タイルのグリッドが大事なモチーフとなっています。
辰野登恵子のアートの場合、アートが主体的経験として存在している様子ではなく、主体に先行しているものがあります。それは、オーガナイズされた座標軸です。
辰野登恵子は、アートにおいて、ノートの罫線であったりタイルや方眼という具体的な標をともないます。
アートが創造される動機付けは、まずは組織化した事象を支持する基底となる面を立ち上げることなのです。
組織化した面を立ち上げることが先行する辰野登恵子のアートと、表層的情報を大量生産するアンディ・ウォーホールは、ひょっとしたら似て非なるアートなのかもしれません。
そのような意味では、辰野登恵子は、アンディ・ウォーホールよりも、アグネス・マーティンの方に近いアーティストだというとらえ方もすることができます。
それは、不在であればアート自体も存在できないような、知覚と物質双方が立ち現れる下部のメカニズムです。
では、どのようにして下部メカニズムが作り上げられるのかですが、それは彼女のイメージによるものです。
イメージと言えば他者にはなかなか伝わらないボヤけたものにも感じられるのですが、辰野登恵子の場合、イメージのズレを阻止するためにも、基底面がしっかり練り上げられることになります。
しかし個人的イメージが理解されたとしても、絶対的なものを押し付けられて人たちは興ざめしてしまうだけなのかもしれません。そんなものは、自分自身の殻にだけ閉じ込めておくものであり、私とは無関係だ……と言われてしまうかもしれません。
辰野登恵子の基底面は絶対的であるのかといえばそうでもなく、複数にレイヤー化し、レイヤーとレイヤーの間に潜在的断層を生み出す柔軟性をもち、のりしろを残しています。だからこそ、辰野登恵子のアートが累積化であったり、重層化を可能にできたとも言っていいのではないでしょうか。
ミニマル・アート(最小限芸術)は1960年代後半にアメリカンアートに見ることができたひとつの傾向としてとらえられています。
そこでは、1950年代にあった抽象表現主義の主観的表現を否定、また、イリュージョンであったり個人の感情,ニュアンスなどといったものを排除し、匿名的な形体であったりメカニズムをもった,それ自体以外の何ものをも表現しない彫刻や絵画のことを指します。
また、ポストミニマリズムは、1971年ころにロバート・ピンカス=ヴィッテンが作ったワードであり、ミニマル主義の美学に影響を受け、また、ミニマル主義を超え発展しようとするアートに対して使用されています。
辰野登恵子の場合、 70年代ころ、当時存在していたポスト・ミニマリズムの動きなどに関心を示し、線描の強弱であったり、わずかなにじみなどにより誕生する差異の形を、版画やドローイングなどを使い試行錯誤しました。そして、1978年以後、厳密なミニマリズムから徐々に脱しようという気持ちをもち、円形であったり、方形、また花模様であったり、雲形などを使った組み合わせによるアートを誕生させてきました。
さらに、80年代以降は絵画を中心として、アラベスクやダイヤ、方形、球……などと言った、植物的でもあり、かつ幾何学的でもあるモチーフを扱った連続性と、絵具の質感を存分に生かした色彩を重視しています。
また、辰野登恵子のアートが創造された背景には、当時存在している平面表現に対しての批判があります。辰野登恵子は油絵の質感を活かすため、色を重ねたり、ナイフで削ったりを繰り返しながらボリューム感のあるパワフルなアートを目指してきました。
現在、そんな辰野登恵子のアートを所有していて、売却査定して欲しいと考えている方々もいらっしゃることでしょう。
辰野登恵子と言えば、単に色鮮やかに描かれる丸や四角のモチーフを思い浮かべる方が多いかもしれません。本来無機質的なものであるはずの形態を、どこかあたたかみも感じられる、重々しい質感で表現する辰野登恵子のアートは現在も高い人気があります。
彼女は、ポストミニマリズムに関心を寄せつつ、試行錯誤し70年代を経て、80年代には本格的に油絵に取り組みはじめています。
また彼女は、油絵の重々しさを活かすため、油で伸ばした絵の具で色を塗り重ね、ナイフで削って、またその上に絵の具を重ねていくことを繰り返し続けたと言います。
様々な技術を試行錯誤し出来上がったアートこそが辰野登恵子の世界観自体と言ってもいいのではないでしょうか。
彼女は、デッサンであったり木版画も多く扱ってきたのですが、晩年になってリトグラフにもトライしています。また、石を使用した石版画も挑戦し、アートへの限りない探求心を持ち続けていました。
辰野登恵子の突然の死を惜しむ声もとても多く、辰野登恵子のアートの評価はこれからも高まっていくことでしょう。
辰野登恵子の作品で現在一番評価が高いのは、キャンバスに油彩で描かれたアートです。買取金額は、100万円を超えるものもあります。比較的大きいサイズの作品のニーズがあります。
いかがでしょうか。今回は辰野登恵子のアートについて、また辰野登恵子のアートの買取情報について解説しました。
辰野登恵子のアートを鑑賞して、意味がわからないという方々もいらっしゃるのかもしれません。
アートは、鑑賞する人たちの側に考える機会を与えてくれてもいるのです。ある程度、読み解く力をもっていないと、辰野登恵子のアートの偉大さはなかなか伝わらないのかもしれません。
しかし、それでもアートはアート、アンディ・ウォーホールのようにお部屋に飾ってオシャレと思うことができれば、それもアートのありかたです。
辰野登恵子のアートは、現在、若い人たちにも人気です。そのような若い人たちは、辰野登恵子のアートとそれほど深く関わろうとせず、ただオシャレだからお部屋に置いているのかもしれません。
しかし、それでも充分辰野登恵子のアートを楽しんでいることになるのではないでしょうか。
いま、辰野登恵子のアートのニーズは高い状態です。所有しているという方々は、今が売却査定してもらういいタイミングなのかもしれません。