2024.11.22
作家名
2024.11.22
洋画家、牛島憲之の風景画は色彩がとても穏やかで優しい魅力があります。同じ風景を繰り返し描くことも多かったと言われる牛島憲之ですが、その魅力について紹介します。
97歳までの長い生涯の間、画家としての名誉を追い求めるわけではなく、ただ描き続けることにこだわったとも言われる牛島憲之の作風の魅力を見ていきます。
買取が可能かどうか、売却時の買取査定などについても紹介しますので、参考にしてください。
目次
牛島憲之は、1900年生まれの洋画家です。明治生まれで、大正、昭和、平成と時代を見てきた風景画の画家です。
牛島憲之は、熊本県に生まれて裕福な家庭に育った人物でした。世田谷区在住となってからは、多摩川近くの特に府中にスケッチに出かけ、多くの景色を描いています。
風景画で有名な作家で、穏やかな色彩の優しい雰囲気の絵が特徴です。97歳で生涯を閉じるまで多くの作品を制作し、様々な賞を受賞。晩年には文化勲章まで受賞しています。
しかし、生涯を通して画家としての名誉ではなく、描き続けることを喜びとし「絵の具とカンバスと、雨風しのげて目と手があれば、絵は描ける」と言い続けていました。
そんな牛島憲之の風景画には、牛島憲之らしい、彼が描く風景への愛を感じる作品がたくさんあります。
彼は、上京した若い頃から、歌舞伎や古典芸能に惹かれて観劇に向かうなど、多くのことに興味を持つ青年でした。
東京美術学校西洋画科に入学してからは、郊外での写生にも熱中し、卒業後は、芝居やサーカスの光景を描きます。そしてその後は、転じて、働く人々を風景のなかに輝かしい色彩で描くようになります。
多くの興味と関心をもとに、様々な題材で写生に熱中していたのが牛島憲之の若い時代と言えるでしょう。
そして、牛島憲之は、1950年頃から好んで、水門や煙突、工場を題材に描くことが増えていきます。しっかりとした構成で、叙情豊かな色合いの作品を多く発表します。穏やかで優しい色彩からは、彼の思いが伝わってくるような作品がいっぱいあります。
例えば、1950年に制作した油彩「五月の水門」などは、牛島憲之らしい魅力のある作品です。橋を描き、その向こう側に水門の土手が重なったように描かれた作品です。水門から流れ出る、穏やかな水の広がりが優しい色彩でよく描かれています。
自分でも「水が好きだ」と言っている牛島憲之で、「よく描く水門も、よく魚を釣っていた場所だから好きだ」とも言っています。彼の原体験のようなものが水辺にはあるのでしょう。
「五月の水門」の絵の橋の上には、橋や水門、水の風景に同化するように人影が描かれています。彼が描く人物は実にシンプルで小さいのが特徴です。シルエットで描かれることも多い傾向です。
「五月の水門」は、版画のような雰囲気も漂う作品で、水門は人工物として描かれ、急速な経済復興を遂げる日本の姿を投影した作品とも言われています。シンプルながらも、いろいろなことを訴えかけてくる作品として知られていると言えるでしょう。
牛島憲之の描く風景画は、この作品のように形は誇張された形態となることが多く、幻想的な風景を制作することが多くなっています。そしてその一方で、水門やタンク、倉庫など戦後の日本経済の成長を予見する都市風景が一緒に描かれるのが特徴です。計算された画面構成と微妙な色調が彼の絵の魅力となっています。
彼は、多くの水門やタンク、倉庫の絵を描きましたが、淡く優しく幻想的な色彩に、そうした水門や橋、タンク、倉庫などの存在感が大きく感じられる作品が多くなっています。そこから彼のメッセージ性のようなものを受け取ることができます。
牛島憲之は、戦前は豊かな色彩の自然を中心とした風景を作風とし、戦後にガスタンクや工場、煙突、倉庫、橋などといった人工的な建物の造形を主にしながら描いています。
1950年代~1960年代の頃で、東京郊外の戦後を描こうとしていたのでないかと思われます。
そうした人工的な建造物の「かたち」に注目した作品を制作することで、彼が見た東京の戦後を描いていると言えるでしょう。戦後の作品には、いろいろなことを感じさせられる作品が多い傾向です。
1900年熊本県熊本市二本木町生まれ
1919年旧制熊本中学校卒業後上京し、葵橋洋画研究所に学ぶ
1922年東京美術学校西洋画科に入学、岡田三郎助教室に在籍する
1927年東京美術学校西洋画科卒業。岡田三郎助に師事。同年第8回帝展にて初入選。以後、秀作美術展を中心に出品を重ねる
1935年第4回東光会展に「貝焼場」他を出品、K氏奨励賞を受賞
1936年「主線美術協会」を創立
1946年「炎昼」で第2回日展で特選を受賞
1949年「立軌会」を結成、会員の研究、制作を奨励する
1954年東京藝術大学講師に就任
1965年東京藝術大学教授になる
1968年同大学教授を退官
1969年芸術選奨文部大臣賞受賞
1971年 熊本県近代文化功労者
1981年 日本芸術院会員
1982年文化功労者に選ばれる
1983年文化勲章を受賞
1997年97歳で逝去
牛島憲之は長い生涯にわたって多くの作品を残しています。その中で象徴的な有名作品を紹介しますので、これを機会に一度見てみるといいでしょう。
・「炎昼|1946年」
第2回日展(特選)を受賞した油彩の作品です。暑い夏の光にかすむような画面となっています。カボチャのつたや葉っぱや実を前面に描き、光の遠くに1本の電柱と屋根などが見えます。シンプルな構図ですが、複雑なニュアンスの色合いが魅力の風景画です。
牛島憲之自身が「私のスタイルがこれで確立したと言ってもよいのかも知れません。」と語る作品です。シンプルな色合いですが、独創的な構図でオリジナリティを出した作品となっています。
・「五月の水門|1950年」
水門を多く描いている牛島憲之ですが、先に紹介したこちらは彼らしい雰囲気にあふれた油彩作品です。橋の上のシルエットのような人物、そして水面に映る水門の影など、シンプルな構図ですが、いろいろ考えさせられる絵となっています。
全体を通した、色合いの美しさが大きな魅力にもなっています。現在、群馬県立近代美術館所蔵となっている作品です。
牛島憲之の多くの作品が見られる場所としては、よく彼が散歩をして、スケッチをしていた東京都府中市の府中市美術館に、遺族が寄贈した作品100点が収蔵されています。
また、有名な作品としては、「タンクの風景|1955年」を神奈川県立近代美術館で見ることができます。
さらに「街|1956 年」が京都国立近代美術館に所蔵されています。家の屋根がたくさん重なる画面の向こう側に鉄塔やクレーンや工場の煙突が見える作品です。シンプルな描き方、淡い色彩ですが、家々が立ち並ぶ中に、工場がある景色が印象的です。
「まるいタンク|1957年」が生誕の地、熊本県の熊本県立美術館に所蔵されています。まるいタンクが2つ大きく描かれているのが印象的で、人影は小さく描かれています。
抑えた色彩で描かれていて、地面と空、タンクという構図のシンプルさが特徴で、タンクの存在感が大きい作品です。他にも「風景」「島の工場」といった建物の存在感にあふれた作品が熊本県立美術館に所蔵されています。
また、「倉庫|1958年」の作品が東京国立近代美術館にあります。こちらもシンプルな構図、シンプルな色合で描かれた油彩です。モノトーンな空間の中で、倉庫の存在感が圧倒的で、迫り来るようなものを感じます。
牛島憲之の作品の売却についてですが、自然の優しい温かみのある風景画が多くなっているため人気があります。また、牛島憲之の作品では、優しい風景画の中に人工的建物の水門や工場、タンク、倉庫などが印象的に描かれているのが特徴です。メッセージ性があるのも魅力となっています。
牛島憲之の作品は、現在も売却時の需要が高くなっている傾向です。
97歳で生涯を閉じるまで多くの作品を残していて、特に売却の際に高額の査定が付くのは水辺を描いた風景画となっています。美しく優しい色彩の水辺の風景は見ていると落ち着くため、人気があります。ブルーだけの場合やブルーとグリーンで構成されている穏やかな水辺の絵が特に人気です。
油絵が多いのですが、「水郷」などの有名な版画作品もあります。木版で刷られているため、温かみを感じられる作品が多く、こちらも好評です。
また、牛島憲之の作品はシルバーの丸みのある額に入っていることが多いため、作風との相性も考えられていて好評です。
売却時の買取査定としては、数十万円台のものが多く、100万円以上になる作品もあります。ただ、市場に多く流通しているものは、SM~6号程度の小さなサイズ作品なため、描き込み具合で買取査定が決まる場合も多いでしょう。
牛島憲之の作品の魅力について紹介しました。穏やかな優しい色彩の風景画が魅力の作家です。人物を描くことがほとんどなく、シルエット程度に小さく描かれています。
若い頃から歌舞伎や古典芸能、芝居やサーカスなど様々なものに熱中し、スケッチが好きで、絵を描くことが好きだった牛島憲之です。97歳の生涯の中で、多くの風景画を描き、水辺の風景などを多く描いた作家として有名です。
優しい色合いの油彩の絵を見ていると、落ち着くのが魅力と言えるでしょう。
また、自然の美しさと人工的な建物の対比も彼の絵の大きな魅力となっています。高い需要がある絵ですので、売却時の買取査定には困らないでしょう。
今、高額で買取査定してもらえる所を探すのも良い方法ですし、もっと高く売れる状況を待って売却をすることも可能です。
ぜひ、紹介した牛島憲之の魅力をよく知った上で、買取査定と売却について検討されることをおすすめします。