2024.11.22
作家名
2024.11.22
皆さんはジム・ダインというアーティストをご存知ですか。ジム・ダインはアメリカのポップアートの美術家です。
ジム・ダインは一般的なポップアートとは異なる感情のこもった作風で知られており、抽象表現主義とポップアートの間に存在する作家ともいわれています。
目次
1935年にアメリカオハイオ州のシンシナティという街で生まれました。幼いころから絵をかくのが好きだったそうで、16歳の時に絵を学ぶためシンシナティ大学やボストン美術館芸術大学、オハイオ大学で学び、1957年にはオハイオ大学で美術学士を取得しました。
1958年にジム・ダインはニューヨークに出て、芸術家のクレス・オルデンバーグやアラン・カプローらと知り合い、当時盛んであったハプニング(市街地などで行われる演劇性を持った芸術活動)に取り組むようになります。ジム・ダインがアーティストとしての一歩を踏み出したのは1959年のジャドソン画廊でのハプニングだったそうです。
1960年代の前半から日用品を題材とした絵画を始めました。
1962年から1965年にかけて、当時ポップアートの拠点となっていたシドニーのジャニス画廊での展覧会にアンディ・ウォーホルらと参加し、ポップ・アーティストとして広く知られるようになりました。ですが、ジム・ダインはポップ・アーティストとして扱われることに満足しておらず、都会を離れてポップアートから距離を置き、写実的な版画や素描を制作しました。
1967年ロンドンに渡り、版画作品の製作を中心に行っていました。
1969年にニューヨーク近代美術館で個展を開き、翌年ホイットニー美術館でも個展を開くなど精力的に作品の発表をしていました。
1980年代になると彫刻作品も手がけるようになりました。
1984年から1985年にかけ、ウォーカー・アート・センターなどで自身の回顧展を行いました。ウィーカー・アート・センターは、ミネソタ州にある近代美術を専門に扱う美術館で、演劇などの公演も行っています。
1990年には日本で初の回顧展を伊勢丹美術館で開催し、ジム・ダインも来日しました。
1991年に「現代アメリカ美術の巨匠 ジム・ダイン」展が国立国際美術館で開催されました。この展示は、50年代後半から80年代に及ぶジム・ダイン自らが選定した代表作60点余りによって、時代により変遷されてきた作品を一同に観覧することができるものでした。
2003年には、フランスで芸術文化勲章を受賞しました。
2007年夏にシカゴで、パブリックアート展覧会に参加しました。その時に「私にとって素描がすべてだ。それが私がすべてを始める方法だ」と語っています。
2010年にシンシナティ美術館芸術賞、ニューメキシコ大学アートカレッジ タマリンド・インスティチュート「リトグラフの遺産」賞を受賞しました。
2011年に名古屋ボストン美術館で、ジム・ダインの半世紀にわたる版画制作の軌跡をたどる「ジム・ダイン主題と変奏」展が開催されました。名古屋ボストン美術館は2018年に閉館しましたが、その最後の展覧会「ハピネス~明日の幸せを求めて」ではジム・ダインのハートをモチーフとした作品などが展示されました。
ジム・ダインは80歳を超えてもなお精力的に制作に励んでいて、世界各地で展覧会が行われています。
ポップアートの創成期に活躍し、ポップアートの作家たちが盛んに行っていたハプニングにも取り組んでいました。が、本人が主張している通りポップアートの作家とは異なる部分を持っています。
ジム・ダインのテーマは個人的なものが多く、ジム・ダイン自身が強い思い入れを持っているものでした。のこぎりや金づちなどの工具や、ネクタイなどの身の回りの物を抽象主義風の感情的なタッチで描いており、没個性的な作風が特徴のポップアートとは一線を画しています。
大衆的でありながら、表現主義的な傾向の作品を制作したジム・ダインは抽象表現主義とポップアートの中間に位置する作家といえます。
また、ジム・ダインはネオダダのアーティストと紹介されることもあります。ネオダダとは1950年代後半から1960年代のアメリカで起こったムーブメントで、既製品をそのまま作品に用いたり、コラージュ・アッサンブラージュ(立体的なものを貼り付けたり、積み上げたりすること)して用いたりするのが特徴です。抽象表現主義からポップアートに移り変わる過程で活躍した作家がネオダダと呼ばれるため、ジム・ダインもネオダダと紹介されているようです。
2000年代はピノキオをモチーフにした作品が多くなっています。
ジム・ダインの代表的な作品を紹介します。
1965年に「真夏の夜の夢」の舞台美術でハートを用いて以来、ハートはジム・ダインの主要なモチーフになりました。このハートを用いた作品は、数多くのハートを様々な色で描いた「ザ・ワールド(アン・ウォルドマンのために)」や4つの赤いハートを描いた「エル・エー・アイワークス」、画面いっぱいに緑のハートが描かれた「晩冬のロマンス」などがあります。
新しい形の自画像を生み出そうと考え、自分の姿を描く代わりにバスローブを描きました。1964年に顔のない自画像を描いたのを皮切りに、バスローブをモチーフに繰り返し描いています。滋賀県立近代美術館は、このバスローブをモチーフとした「自画像」を所蔵しています。
木工道津店主の家庭に生まれたジム・ダインは、工具などの身近な道具を描いた作品を多く制作しています。なかでも、1962年に制作したリトグラフによる最初の「道具」は、東京国際版画ビエンナーレ展に出品されました。
オハイオ大学で版画制作を本格的に学んでいて、版画作品も数多く残しています。
6歳の時にピノキオを見て以来、心惹かれていたジム・ダインは30歳ごろに外出先でピノキオの詳細なおもちゃを見かけ、一層その気持ちが高まりました。
50代になるとピノキオをモチーフとした作品を制作するようになり、なかでもこの作品は歩くピノキオを表現する9mのブロンズ像で、スウェーデン南部の都市に展示されています。この作品に関して「少年になる喋る木材という概念は、美術のメタファーのようなもので、それは究極の錬金術的変身だ」と語っています。
ジム・ダインの作品はどのような場所で見ることができるのでしょうか。
日本で観ることができるところは、東京都現代美術館、愛知県美術館、滋賀県立近代美術館の3か所です。
東京都現代美術館では、ジム・ダインが1981年に制作した「晩冬のロマンス」を所蔵しています。この作品はジム・ダインの友人が精神的危機に接していた時に描かれており、暗い色調で描かれた緑色のハートには、この頃のジム・ダインの心象が現れているかのようです。
愛知県美術館では、1962年にジム・ダインが制作した「芝刈機」が所蔵されています。この作品は芝刈機そのものを提示するスタイルの立体作品です。
滋賀県立近代美術館には、1970年から1973年にかけて制作した「自画像」が所蔵されています。
ここまでは、ジム・ダインの経歴や作品に関してご紹介いたしました。ここからはジム・ダインの作品を所有されている方や所有しようと思っている方に向けて、買取や査定売却についての説明に移ります。
ジム・ダインの作品がオークションで落札されているかを調べましたが、残念ながら落札情報は見つかりませんでした。
ジム・ダインの作品はバブル期に日本に紹介され、現在も需要が高い作品です。特に「ハート」や「バスローブ」をモチーフにした作品が人気を集めています。
流通している多くは版画作品で、買取金額は数万台から数十万円台と幅広いです。
例えば「バスローブ」の作品で、50万円~60万円の買取価格になったりします。
高価買取のポイントは、色の鮮やかさとコラージュの有無だそうです。オハイオ大学で版画を学んでおり、リトグラフ、木版、シルクスクリーンなど様々な技法で版画を制作しています。その中で、銅版画作品は厳しい評価となる傾向にあります。色が使用されている割合が少ないため、それが評価に影響しているようです。
またオリジナル作品はあまり流通できないため、評価が高く高価買取に繋がりやすいです。同じように「ハート」をモチーフとした作品は、色々な買取業者が探している事もあり、高価買取になりやすいです。
作品次第で買取金額が異なるようなので、買取業者に連絡をしてみるのも良いでしょう。
ジム・ダインの作品には版画作品も多くあります。
版画作品は査定にあたって、作家自身の相場が関係してきます。そして、原画に関しては、直筆のサインの有無などにより評価が変わります。
ジム・ダインのリトグラフ、コラージュ、シルクスクリーンなどの作品は人気が高く、高評価を受けています。
本記事では、ジム・ダインの経歴をはじめ、作品の特徴や査定、売却などについて紹介しました。
ジム・ダインはポップアート創成期に有名になった作家で、絵画や版画、彫刻以外にも詩や舞台デザインも手掛けています。
他のポップアートの作家が大衆社会を主題にするところ、ジム・ダインは自己の日常生活で出会うものを多く用いて作品を製作しています。こういった点も、人気の理由かもしれません。
今なお精力的に活動をし人気のアーティストです。そんなジム・ダインの作品を所有しようと思っている方、売却を考えている方は一度買取業者等に問い合わせてみると良いでしょう。