2023.11.26

束芋のアートの魅力とは 買取は可能?

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束芋(たばいも)とは、日本の人気アーティストです。
1975年11月30日、神戸に誕生し、本名は、田端綾子です。お母さんは陶芸家の田端志音です。
「束芋」は、三人姉妹の真ん中でいつも友だちから田端さんの妹と呼ばれていたことから、「束芋=タバイモ」という作家名にしたのだそう。
束芋は、2001年の横浜トリエンナーレにおいて、最年少参加アーティストとして注目されるようになりまた。
また、2002年、26歳という年齢で、京都造形芸術大学教授に就任します。
彼女のアートでは、浮世絵を想像させるタッチとアナログ感を醸すアニメーションが展開されています。またそこには、少年犯罪であったり、汚職、リストラ、痴漢……などと言った、現代日本が抱える深刻な問題が素材とし扱われています。

今回は、そんな魅力的アーティスト「束芋」を深読みしました。

束芋の経歴

束芋は、1975年兵庫県に誕生しました。長野県に在住しています。
1999年には、京都造形芸術大学を卒業します。
束芋は、卒業制作であった映像インスタレーション「にっぽんの台所」が学長賞を受賞し、また、キリンコンテンポラリー・アワード99において最優秀作品賞を華々しく受賞します。
2001年には、第1回横浜トリエンナーレで最年少作家として出品。
それ以降は、世界各国様々な国際展であったりグループ展に出品をし、注目を集めていきます。
また、2002年には「五島記念文化賞美術新人賞」受賞、在外研修としてロンドンに滞在する機会を得ることになります。
2006年には、朝日新聞夕刊連載小説「惡人」(吉田修一作)の挿絵を担当し、話題になります。
その後、パリのカルティエ財団で個展を開催するなど意欲的に活動し、小説「国宝」で再び、吉田修一とタッグを組んでいます。

束芋というアーティストの本質

束芋のアートに存在している浮世絵を思わせるタッチと、アナログ感のあるオリジナリティーにあふれたアニメーションは、日本だけでなく海外でも高く評価されています。
現在、ダンスシーンであったり、伝統芸能などと言った異種のジャンルからも立て続けにオファーがある状態です。
束芋は、大学を卒業して直後大きな賞を獲得し、まさに、アーティストとしての彼女の道のりは順風満帆だったように見えます。
しかし、実は束芋本人は、決して順風満帆な気持ちをもっている訳ではなく、自分の人生はいつも「あきらめの連続」と接していたと語っています。
高校で成績が伸び悩み、学業をあきらめてしまったから美大を目指した……。
特別な人間になることを早々あきらめてしまった……。

あきらめの連続だった……

彼女は、グラフィックデザイナーとして就職することも断念し、心の中でわだかまりを持ちながら生き続けていました。
彼女は、実際にアーティストとして世界で生きていくことができるなんてことは考えておらず、真剣に就職をしようと思い、グラフィックデザイナーという仕事に対してのあこがれがいつもあったのです。
そんな彼女がアーティストとして既に名声を得たとき、アートを支援する団体の研修生としてイギリスに渡り、あこがれていたデザイナーの傍で1年間学ぶ機会を得、その世界に飛び込んでいくことになります。

実際に目撃したデザイナーの仕事とは

そして、束芋は、その世界に飛び込みデザイナーという仕事が、想像している以上にレベルが高かったことに気づかされます。
ライフスタイルそのものがデザイナーとしてのポリシーであるような人たちの集まり。
優れたデザインとはそのような優れた人たちから誕生していたのです。
加えてデザイナーと呼ばれる人たちは、単にスキルに依存したデザイン性のあるものを描けばいいというのではなくて、クライアントの意向というものもあり、それに合わせて制作していかなければなりません。それができてこそ、誰もが求めている万人に通じるものを作るデザイナーだと評価してもらうことができます。
束芋はそこで、優良なデザインは、「美しい」とともに「売れる」要素がバランスを維持し、常に両立していなければならないことに気づかされます。
彼女にとってその体験は、デザイナーの道をあきらめる決心をつけることができる体験でした。それ以前、束芋は様々なあきらめの体験をしてきていますが、このあきらめの体験こそは、決して束芋にとってマイナスの接点ではありません。今までさんざんあきらめて自己が形成されていったことによるいわば、神様からの償いだったのかもしれません。
彼女はそのあきらめから、アーティストとして成長していこうということを心に誓い、自分自身はアーティストとしての道であれば、そのような優秀なデザイナーとも張り合うことができると思ったということです。そのあきらめがなければ束芋は、アーティストの道も踏み外すことがあったかもしれません。
束芋は、日本に帰国し、それからはもっとアートに対して厳しい目をもち取り組むようになったということです。

アートは自分自身しか表現できないものを表現すればいい

もちろんアーティストの方々も、食べるためにしているという方々は多いでしょう。
しかし、比較してという言い方になりますが、デザイナーと比べれば、クライアント優先ではなく、自分主義でアクションを起こすことができる、自分自身を自由に表現することができる舞台なのです。

また彼女は、アートはデザインのように大量生産されるべきものではないという考えをもちます。自分自身のスタイルで1日1日をコツコツとアートと向き合えばいい。一見これほど楽な仕事はないと考えてしまうのかもしれませんが、決してその道のりは楽とは言うことができません。

アーティストとして一人のファンをつかむことが大事。しかし、この一人のファンをつかむことがいかに難しいことなのか。

彼女の人生はあきらめの連続で、器も小さく、機会をもらうことができればそれに従いコツコツと仕事と向き合うような性格であるため、なかなか自己を独創性へと導くことは難しかったのです。

あきらめの日々が続く、=それは葛藤の日々であり、彼女は、その葛藤から、絞り出すようにすればそこから未来が生まれることを学んでいます。彼女のアイデアもそのようにして生まれてきました。

こんな自分でもアイデアは生まれてくる。そして、あきらめの連続であり、葛藤の日々が続いたからこそ、他の人とは違うアイデアが生まれてくることを発見し開花します。

自分自身は器が小さくたって、小さいなら小さいで自分のやり方を見つけてコツコツ向き合えば、結果を導き出すことができる。

いろいろなことをあきらめて、あきらめて、あきらめた結果、最終的に自分の真実が見え始めてきたのです。

言葉をビジュアル化し、コラージュ的に組み合わせる

束芋の創作方法は、他のアーティストとはちょっと違い、デッサンを形にして残すということではなく、ほとんどが言葉としてメモにとどめています。
ワイドショーなどで繰り返される言葉であったり、自分のごくプライベートなトラブルのなかで、引っかかった言葉などを書きとどめ、例えば事件があれば、自分だったらどうしただろうか……という、そのとき感じた気持ちをメモとしてとどめておきます。
そこにアートチックな特別な言葉があるという訳でもなく、ごくごくありふれた言葉の連続です。
ノートに書き並ぶごくごく単純な言葉の連続。そこから、束芋のアートが誕生します。
そのために束芋がするのは、言葉をビジュアル化することであり、コラージュ的に組み合わせることです。
コピーライティングもいわば言葉のコラージュと言っていいでしょう。しかし、彼女は、言葉を目の当たりにしてまずしたことはビジュアル化させる方でした。
彼女のアートにはメッセージ性を強く感じるという方々がとても多いですが、あえて彼女自身、メッセージ性をもたせたいという気持ちをもっている訳ではありません。 ただし、自由な感情に依存しているため、世の中に対して、不満や怒りなどがあれば当然アート作品に反映されていくことになります。
その怒りや不満は、ビジュアル化され、コラージュ化されるため、支離滅裂な訳のわからないものになってしまっているかもしれません。しかし、訳がわからなくても問題はありません。
なぜなら、そのアートが束芋の自己から生まれたオリジナリティーのアートだからです。そして、そのアートに対してたった一人だけのファンがつきストーリーを作り出してくれれば、そのアートは、アートとして成立してくれます。バラバラにコラージュ化された言葉が鑑賞する側のひとつの世界に昇華することで、潜在的に眠っていた物語を引っ張り出していくのです。

小説「国宝」で挿絵を担当

束芋は、アーティストとして常に新作にこだわりをもち、新しいアプローチをもって制作に取り組んできました。
現在、彼女は意欲的に朝日新聞朝刊で連載中の小説「国宝」において挿絵を担当しています。
その挿絵では、1970年に開催された日本万国博覧会の岡本太郎作「太陽の塔」を相手にして、背中をまるめた男性が、囲碁をしています。
囲碁をしている男性の顔は何か得体のしれない妖気のようなものに覆われ、一部は、天に舞い上がっています。
さまざまな見方をすることができますが、実は既に心はここにあらず、囲碁をしているけど精神は身体から抜け出し、どこかへ行こうとしているのかもしれません。

どこかとはどこなのでしょうか。
未来という感じではなく、死の世界なのかもしれません。深淵なのかもしれません。そして、万博が開催されていた遠い過去なのかもしれません。
そして、過去に戻ったとしても別にそこには居心地のいい体験などある訳ではないと言っているかのようです。
加えて、なぜ囲碁をしている相手は、太陽の塔なのでしょうか。太陽の塔と言えば、大阪万博のシンボル的存在です。
しかし、いまさら、シンボルだと言われても……。また、だらしのない男性の部屋で囲碁をしている限りは、シンボルはシンボルとして何も役に立たたない存在です。
それでも太陽の塔は「俺がシンボルだ」といわんばかりに、威張った顔をしています。
そして男性は、シンボルに服従しているようなふりをして、身体の中から生気だけが、するりと抜け出してしまっているのかもしれません。
すると、生気は、現在~未来に向かっているということになりますが。しかし、決して明るい未来という感じではなく、ドロドロしたおぞましい未来かのようです。

・太陽の塔
・背中をまるめた男性
・囲碁
・ドロドロの妖気or生気

このバラバラなものがひとつの画に収まったかのように見えることで、様々な人たちが、様々に勝手なストーリーを作り上げていくことでしょう。
鑑賞している人たちがストーリーを創るからつながっているような気持ちにもなってしまうのかもしれませんが、やはり、この画はバラバラが並んでいるだけです。
まさに、ストーリーがありそうに見えてそのストーリーは分断されています。だからこそ鑑賞している人たちが重要な役目をもち、それぞれがそれぞれの力で分断をつなぎとめてくれているのです。

束芋のアートを売却査定して欲しい

現在、束芋のアートを所有していて売却査定して欲しいと思っている方々もいらっしゃることでしょう。
束芋は、銭湯であったり、台所、また、通勤電車、公衆便所……などと言ったありきたりの風景に現代日本の姿を捉え、それらを鏡化し、自身の内面世界を写し出してきた人気アーティストです。
彼女が次なるテーマとして掲げたのは「世代」です。

1970年代生まれのアーティストが描き出す世代感覚とは一体どのようなものなのでしょうか。興味津々です。
また、同じ世代のダンサーであったり劇団とのコラボレーションによって新しく切り開かれる世界とは……。
束芋には、まだまだ余力的パワーがあり、今後幅広い分野で成長していく予感があります。
束芋は、同じ世代の人たちを中心として注目されているアーティストであるため、今後もっと高い売却査定額がつく可能性があります。

まとめ

今回は、束芋のアート、買取情報をお伝えしました。

束芋は、自由に思いついたことを描いて稼ぐことができてうらやましいと思う方々もひょっとしたらいるのかもしれません。
しかし、そうではなく束芋のアートは、あきらめの連続から学び、自己から絞り出されたようなアイデアから作り出されています。
また、アイデアは、バラバラにコラージュ化されています。コラージュを鑑賞している人たちがストーリーとして読み取り、はじめて束芋のアートとして成立すると言っていいでしょう。
そんなアートを1枚所有することで、アートと対話することができる不思議なスペースが作られることでしょう。
束芋のニーズは、現在とても高いため、まさにいまが、売却査定してもらういいタイミングです。



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