2023.11.27

香月泰男のアートとは 買取は可能?

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香月泰男(かづき やすお、1911年10月25日 ~1974年3月8日)は、昭和の時代を代表する洋画家として知られています。

香月泰男は、「シベリアシリーズ」でも名が知られています。シベリアシリーズは、彼の戦争体験が色濃く形を残し、彼のアートは、戦争とは切り離すことができない、また、戦争の体験があったからこそ完成したとも言うことができます。

今回は、そんな香月泰男のアート性をさらに深読みします。

香月泰男の経歴

香月泰男は、医師の子どもとして誕生します。しかし、小さいころに両親が離婚してしまったため、厳格なる祖父に育てられることになりました。

香月泰男は、山口県立大津中学校を卒業し、川端美術学校を経て1931年に東京美術学校に入学、藤島武二の教室で学んでいます。藤島武二とは、明治末から昭和期にかけて活躍した洋画家です。

また、香月泰男は1936年には美術学校を卒業し、北海道庁立倶知安中学校、山口県立下関高等女学校の講師として働き始めます。

しかし1942年、太平洋戦争が勃発、香月泰男のもとに召集令状が。

1945年には、香月泰男はソ連に抑留され、シベリア、クラスノヤルスク地区のセーヤ収容所において強制労働のつらい体験を強いられることになります。

この死とも隣接する戦争体験こそが、香月泰男のアートに大きな変化をもたらすことになります。

1947年には、ようやくシベリア抑留から引き揚げをし、下関高等女学校の講師へと復職を果たすことができました。

さらに、1948年には、郷里の三隅へ戻り、山口県立深川高等女学校へと転任をしています。

1960年、大津高等学校を依願退職。その後しばらく香月泰男は、アート活動に専念し、1966年には、九州産業大学の芸術学部油絵科の主任教授になっています。

1969年、香月泰男の代表作となるアート作品「シベリア・シリーズ」で第1回日本芸術大賞を受賞しています。

そして、香月泰男は、1974年、心筋梗塞で62歳で死去しています。

香月泰男のアートとは

香月泰男は、紙があればとにかく描きまくるという絵が大好きな幼少期を過ごしてきました。

そして、念願が叶い、東京美術学校西洋画科に入学しています。

そこでは、藤島武二の教室で学ぶことになりますが、実際には、藤島武二の影響を受けたということはほとんどなく、香月泰男は、ゴッホであったり、ピカソの画風に影響を受け、そこから独自性を模索することになります。

香月泰男の作品である「二人座像」(1936年)では、少年の交差している足に三角形の図形が見られるなど幾何学的構成の特徴が使用され、ピカソとの類似点を見つけることができます。

逆光の中のファンタジー

1940年のころには、直線であったり、曲線を多用した構成の中で、少年、少女の姿が描かれるようになります。

これらのアート作品が後々「逆光の中のファンタジー」と呼ばれるようになったのは、少年、少女たちが硬質な光に満たされているからです。

「水鏡」(1942年)では、少年が浴槽を静かに覗き込んでいます。

また、画面の左には枯れた花が青黒い水に浸かっていたりして、決して明るい未来を夢見る少年という感じではありません。

少年は子供らしく好奇心を持ち合わせているのであれば、おのずと未来は寄り添ってくれることでしょう。

彼は決して人生が重く背中にのしかかりうなだれているという感じでもないのですが「生気」を感じることができません。

ファンタジーとは、空想であり、幻想のことです。決して、ファンタジーは、明の方向性へ向き合うものでもありません。ダークな展開になる可能性もあるものなのです。

「水鏡」。まさにそこにあるのは、「逆光に停滞するファンタジー」であり、未来を感じさせる予感もなく、逆にダークファンタジーに展開する予感もありません。

では少年は、水槽の中を覗き込み何を見ているのでしょうか。

それは、明るいファンタジーでもなく、ダークファンタジーでもなく、そこにやがて忍び寄る淡々とした現実ではないでしょうか。

彼からは来るべき未来に立ち向かう意思であったり、好奇心も感じられず、そんな人間はやがて時代にすっぽりと吞み込まれてしまうことでしょう。

彼は、やがてふしだらに続く現実に殺されてしまうことになるのかもしれません。

「釣り床」(1941年)においても似たような少年が登場しています。

彼は、釣り床で眠っているかのようです。

しかし、彼はおそらくまだ眠ってはいないのでしょう。

彼も同じく生気のない空気の中を漂い、未来を夢見る感じでもなく、ダークな世界に打ちひしがれることもなく、やがて忍び寄る現在に、身体ごと染まってしまうことでしょう。

香月泰男は、これらアートに対して、友だちと一緒に遊ぶことよりもひとりで裏山に登り絵を描く方が楽しかった……と回想しています。

つまり、香月泰男は夢中になることができるものが存在しているという意味合いでは、絵の中に登場する少年とは違うのですが、孤独をいつも感じているような少年だったようです。

しかし、本当の意味で、絵を描くだけの香月泰男という存在に、未来が存在していたのかは、「水鏡」「釣り床」を鑑賞している限りは疑問です。

戦争体験

香月泰男には、太平洋戦争で招集を受け、満州へと渡りシベリアでおおよそ二年という間、抑留生活を送っています。

そして、帰国し抑留体験をもとにして描かれたものが「シベリア・シリーズ」です。

香月泰男にとって戦争体験は、自己のアート性と切り離すことができない関係となっています。

1942年12月、香月泰男は、召集令状を受け、妻と3人の子どもを残し入隊することになります。

戦時最中は上官が理解してくれたこともあり油彩画を描き続けていたということです。現地で制作した「ホロンバイル」(1944年)は、文部省戦時特別美術展覧会へ出品されることになります。

しかし、戦局は悪化し、1945年8月、香月泰男は朝鮮半島へ南下する途中で敗戦を知ります。

そして、香月泰男はシベリアへ連行され。1945年11月から収容所で強制労働を強いられることになります。その後、帰国が決定したのは、1947年4月のことです。

香月泰男が抑留されていたセーヤ収容所において収容者の1割程度の人たちが過酷な状況に耐え切れず亡くなっています。

いずれにしても香月泰男は、シベリア抑留期間も含め戦争という悪夢の中で、死に隣接した状況に晒されていたことは間違いありません。

台所の画家

香月泰男は、戦争体験の後、草花であったり台所の食材、また飼い犬などと言った、ごくごく身近なモチーフを扱ったアート作品を描くようになりました。

中でもそのころ香月泰男は、野菜であったり魚介類を多く描いたため「台所の画家」とも呼ばれるようになります。

そのころの香月泰男は夢中になって、アートになりそうな食材を見つけては、アトリエに持ち込み制作に取り掛かったと言います。

現実とはいうものはそれまでは、彼の背後から忍び寄りやがて彼を息苦しく覆い尽くすだけの存在であったのに、香月泰男は戦争体験をしたことによって、本当に無気力でいれば死んでしまう危機感を感じ、はじめて生きる意欲を感じ取ったのかもしれません。

まさに、現実というものが、生き生きと香月泰男の側に寄り添った時期とも言うことができるのではないでしょうか。

また同時期には、香月泰男は、岩絵具であったり金泥といった日本画の画材、木炭を混ぜるなどと言った独自の技法の研究にも意欲的に取り組みはじめています。

そして、やがて半透明白色の天然岩絵具である方解末を絵具に混ぜあわせ、マットな面を表現、薄く溶いた黒色で描く技法に到達します。

香月泰男は、生気を取り戻し、生き生きと現在と向き合うようになりました。しかし、彼が、明るい未来と向き合いアートを取り組んだのかと言えばそれも違います。

実際に香月泰男が見つめたのは、明るいキラキラした未来ではなく、つらい戦争体験をしてきたからこそ見つけることができた日常生活の平穏なる価値です。

そんなものは、普段の私達であれば、退屈でどうしようもないものなのかもしれません……。

その後の香月泰男のアートは色数が限定的となり、「山羊」(1955年)であったり「路傍」(1956年)と言った、白であったり黒、茶色だけで画面が埋め尽くされるようになりました。

1956年に香月泰男は、はじめてヨーロッパを旅し、フランス、スペイン、イタリアなどを巡り西洋美術の古典に触れてきました。特に香月泰男は、レオナルド・ダ・ヴィンチに感銘し、ほとんどモノクロームの作品に感情移入します。

帰国し、香月泰男は、より技法の研究に没頭し、黄土色の下地に対し木炭粉をすり付けていくオリジナル技法を生み出します。

そして、渋みのある土色&マットな黒の基調である「香月カラー」が誕生。本格的に「シベリア・シリーズ」の制作へと乗り出すことになります。

シベリアシリーズとは

生き生きとした現実の中で、彼は結局、戦争体験を回顧する形となります。

彼の生き生きとした現実は、つらい戦争体験があってのことなので、必然な行為とも言っていいでしょう。

シベリアシリーズを描くことは、香月泰男にとって回避することができない生きる意味です。

水鏡の中を覗き込んでも少年にはダークな世界は見えてこなかったけど、いま、彼が水鏡を覗き込めば、おどろおどろしいダークな闇が見えてきます。それはまさに、香月泰男にとって逆光に妨げられないダークファンタジーです。

<h2>香月泰男のアートを売却査定して欲しい</h2>

現在、香月泰男のアートを所有していて売却査定して欲しいと思っている方々もいらっしゃることでしょう。

香月泰男のアート作品は、比較的市場の流通量が多く、それだけ人気作家であることを証明しています。

現在、油絵であったりパステルなど原画作品は評価が高く、高売却査定額を期待することができます。

ただし、版画に対しては一部の人気図柄以外はそれ程評価が高い訳でもありません。香月泰男のアート作品だからと言ってすべての評価が高いということではなく、内容によってかなり売却査定にも違いがあります。

高額買取のポイントは、黒と黄土色を軸に構成された作品と言ってもいいでしょう。

油絵・パステルに関しては図柄次第で、かなり高い売却査定額になることもあります。

まとめ

いかがでしょうか。

今回は、香月泰男のアートについて解説しました。

香月泰男自身、「シベリアを描きながら、もう一度シベリアを体験している」とも語っています。

香月泰男は、おおよそ抑留生活から10年以上経過し、自身の頭の奥底に氷のように固まっていた記憶を削り取るようにして描き続けています。

シベリアシリーズは、まさに、彼がアートを追求した結果の到達点です。

戦争体験などないに越したことはないのですが、戦争こそが、彼のアートを完結させたとも言うことができます。

「水鏡」の少年は、水を覗き込み何を見ていたのでしょうか。そこには何も写っていなかったのかもしれません。

しかし、戦争体験をした香月泰男が水を覗き込めば、そこにはおどろおどろしいダークな世界が……。その世界が存在しているからこそ、当たり前過ぎて退屈な現在もキラキラと息づいているのです。



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