2024.11.30
作家名
2024.11.30
ベルナール・カトラン(Bernard Cathelin、1919年5月20日 – 2004年4月17日)は、
豊かな質感と鮮やかな色彩で、花や静物、風景などを詩的に、また神がかり的に描き続けたフランスのアーティストです。
そこには、抽象的でありリアリズム。そしてさらには、リアリズムと抽象が同居するようなアートが提供されています。
相反するものが一つの画に同居することで、そこに今まで存在しなかった異空間が誕生します。
お部屋にそんなカトランのアートを飾ることで、その異空間から新鮮かつ異質な風を取り込むことができるのではないでしょうか。
今回は、そんなカトランのアートを深堀します。
目次
ベルナール・カトランは、1919年5月20日にパリで誕生しました。
1945年(昭和20年)カトランは、パリの国立高等美術工芸高校に入学します。そして、彼は、モーリス・ブリアンションに師事します。
1947年(昭和22年)には、国立高等美術工芸学校準備教室の教師となります。
1948年(昭和23年)カトランは、プラハで開催された国際学生連盟第1回総会にフランスの代表として出席しました。
1950年(昭和25年)カトランは、ブリュメンタル賞を受賞しています。
さらに、1953年(昭和28年)エミリー・ロウ賞を受賞。
1957年(昭和32年)になると、定期的にパリ・ニューヨークなどで個展を開催したり、様々なグループ展に出品をしています。
1958年(昭和33年)には、オトン・フリエス賞を受賞。
1965年(昭和40年)には、「ムルロー工房の版画」のカタログにシャガールであったり、ピカソ、ミロらと言ったそうそうたる面々とともに採録されています。
1967年(昭和42年)には、日本において、はじめて個展が吉井画廊(東京)で開催されました。カトランは、日本をこよなく愛したアーティストのひとりでもあります。
1973年(昭和48年)には、ニューヨークであったり、東京など様々な国で個展を開催。
1976年(昭和51年)、母親であるマドレーヌ・カトラン・テライユの思い出のため、リトグラフ50枚を美術館へ寄贈します。
1983年(昭和58年)カトランは、日本文化に着眼し、俳句に絵をつけた版画集「俳諧十選」を発表します。
そして、1984年(昭和59年)には、東京で「俳諧十選」による小品展を開催します。
さらに、1987年(昭和62年)リトカタログレゾネの出版を記念に、大阪や神戸、東京でリトグラフ展が開催されました。
1995年(平成7年)レジオン・ドヌール勲章を授与。
2004年(平成16年)4月17日、カトランは、心臓疾患のためパリ市内の自宅で逝去します。84歳でした。
カトランは、当初、モーリス・ブリアンションに師事しています。
モーリス・ブリアンションとは、主に中産階級の日常生活を描き、時々は、静物であったり、風景も描いてきました。
カトランは、モーリス・ブリアンションに師事をし、「より美しいモノはよりシンプルである」という考えであったり、抒情性を排する構築、さらに画面上での空間や色彩の均衡、緊張感のある色彩の対比などを学び、その後のアート性にも大きく影響しています。
抽象的アートとは
カトランのアートは、抽象的であり、どこか詩的な雰囲気も感じとることができ、そのような意味では、抒情性を排した構築を教えたモーリス・ブリアンションとは違う、独自性アートが展開されています。
まず、カトランのアートは、抽象的であることには間違いがありません。
抽象という言葉は、当たり前に使用される言葉です。しかし、実際に正しく意味を解釈されることははなく、なんとなく使用していることも多々あるのではないでしょうか。
抽象的とは、思想であったり空想の中でだけ考えられている、具体性に欠けた様子のことです。物事に存在している共通部を抽出し、一般的概念にすり替えることでもあり、例えば「赤い林檎」や「青い林檎」と言った個々ある事物を見て、一般的に林檎という概念へと導いていきます。
カトランのアートに存在しているのは、抽象ですが、さらに彼のアートからは形而上学的ニオイも感じとることができます。
形而上学的とは、形を持っておらず、認識できないものであったり、本体や精神などの感覚的経験を超えた、形がないもの、また、頭や心で感じ、生まれるものという意味合いがあります。
神様などの信仰対象も形而上学的と言っていいでしょうし、考え方や想いから生まれた世界が、「形而上」という言葉で表現されています。
抽象とは、あえて言えば具体的経験が前提とされるのに対して、形而上は、経験を頼りにするものではなく、理性だけによって得ることができる知識であるということができます。
カトランのアートには、抽象的以上の何ものか、形而上的なものを感じさせる要素があります。
どうして、カトランのアートから、形而上学的ニオイを感じされるのか。
それは、抽象とリアリズムの亀裂がカトランのアートには存在し、そこから形而上学的思惑がわき起こってくるのです。
まさに、カトランのアートの魅力は相反するものの同居です。彼は、まずはしっかりモーリス・ブリアンションから抽象的構築を学んだからこそ、独自アートへと発展させることができたのでしょう。何もかも自分自身で創造しようと思えば、カトランは、まだ抽象だけの世界にたたずんでいたのかもしれません。
カトランの魅力は、抽象であり詩的である矛盾をかかえた亀裂、リアリズムと抽象の矛盾を抱えた亀裂の隙間から覗き見ることができる世界観なのです。
人たちは、なんでお部屋にアートを取り入れようと思うのでしょうか。
取り入るアートの種類にも様々あります。風景画ということもあるでしょうし、人物画ということもあります。そして、カトランの花の絵を飾りたいと思っている人たちもいることでしょう。
一方で花の絵であれば、本物のお花を飾ればいいではないか……という思いもあります。
しかし、本物のお花はすぐに枯れてしまうでしょう。そこに美学を感じる方々もいて本物のお花には本物のお花の魅力も存在しているのは事実ですが。
しかし、それでもカトランのアートをお部屋に取り入れたいと思うのは、まずは、色彩です。お花を取り入れることで、普段お部屋にはなかなか取り入れることができないカラーを入れることができ、リフレッシュした気持ちにもなることができるでしょう。
しかし、それであれば、本物のお花も同じことが言えます。あえて言えば、カトランのアートには、緊張感のある色彩の対比があります。緊張感のある色彩の対比によって、相乗的に普段の色合いを超えた異質なカラーが誕生しているのです。
緊張感のある色彩同士であれば喧嘩しあうこともあるかもしれません。しかし、カトランの画上では、相乗的に成長し、同じ結論に仲良くたどり着いているかのような感じです。
カラーはカラーで、リアリズムを取り囲むという共通した目的をもっているため、ここで喧嘩している場合でもないのです。
カトランのアートをお部屋に飾ることで、相乗的に頂点に達した色合いをお部屋に取り入れることが可能。しかも、リアリズムと抽象の同居から、形而上的思想をお部屋に吹き入れることができ、ひとつ新しい窓をお部屋に作ったかのように新鮮な風を取り入れることが可能です。
まさに、アートにはマジックがあり、マジックなどとは無関係である人たちの脳裏を活性化させてくれることでしょう。
カトランの作品である「黒いテーブルの上の百日草の花束」では、黒い机の上に小さな花瓶が謙虚に置かれています。そこには、あふれんばかりの100日草が。元気に顔を出し謙虚ながらに生命感が宿っているかのようです。全体的に赤い配色であり、鑑賞する人たちに元気を与えてくれる作品です。
「白い花瓶のあじさい」では、ピンクの紫陽花の瑞々しい様子を優しいタッチで表現された作品です。シンプルな構成となっていますが、そこには季節の空気感までを感じるようです。
「ピンクの背景の百日草」は、「赤」と「白」と「黒」、また「丸」と「四角」で構成されて相乗的に何かが成長していくかのようです。 まるで積木のような絵柄にも見えますが、カトランならではの奥深さを感じとることができます。
「青い背景の青いアネモネ」は、同系の色を多用し、抑え気味に構成された作品です。刺々しくもなく、鑑賞する人たちを安らかな気持ちにさせてくれることでしょう。
「INDIAN ROSES」では、晴れた海辺に花が置かれています。お花は太陽光をしっかりと浴び、すくすく成長していくかのようです。カトラン独特な夏を感じさせるとても爽やかなアート作品です。
カトランのアートを売却査定して欲しい
現在、カトランのアートを所有していて売却査定して欲しいと思っている方々もいらっしゃることでしょう。
例えば、カトランが描く油絵作品は、10号以上の大きめサイズが多い傾向があります。お花を描いた作品が人気で高額売却査定になることが多いです。比較すれば人物であったり風景などの作品は低い売却査定となる可能性が。また、版画になっているような代表的な構図以外のものは直筆作品であってもそれ程高額買取は期待することができません。
さらに、油絵アートは湿気などによってワレであったり、カビの損傷が出やすく、コンディションの程度によりかなり売却査定額が変わります。
いかがでしょうか。今回カトランのアートについて解説しました。
カトランは、緊張感のある色彩の対比の中に相乗的に独自性の高い調和を生み出し、かつ、抽象であり詩的。リアリズムと抽象と言った相反するものが同居し、新しい空間がそこに誕生するかのようです。
普段見慣れたお部屋にカトランのアートを取り入れることで、すがすがしい風を取り入れることができます。
アートとは無関係……という方々も、まずはカトランのお花からはじめてみてはいかがでしょうか。
アートには、花瓶の花とは違う、底知れぬ力が存在しています。