2024.05.23
作家名
2024.05.23
キース・ヘリングは、アメリカ・ペンシルバニア州生まれの画家です。
既に亡くなられた画家ですが、1958〜1990年にかけて活躍しました。
ストリートアートの先駆者として知られていることから、国内でも海外でも高い評価を得ています。
キース・ヘリングが描いている作品の多くは、太い線で極端にデフォルメされたユニークなデザインが多く、ユーモアたっぷりで誰もが彼の作品を好きになります。
もちろん、これまで制作してきた作品も驚くような高値で査定・買取されています。
キース・ヘリングの作品の大きな特徴といえば、シルクスクリーンと呼ばれる技法を採用している点です。
また、特徴的な丸みを帯びたユーモラスなキャラクターの数々は、誰もが目にすることがあり、多くの人を楽しませる不思議な魅力があります。
キース・ヘリングの作品は、メディアでも取り上げられる機会が多く、多くの人が目にするテレビ番組でも大々的に紹介されています。
画家本人はすでに亡くなっているため、今後新しい作品は生まれませんが、これからも注目され続ける伝説のストリートアーティストです。
現在、キース・ヘリングの作品を探している方が増えています。
一時的に世間で話題になることもありますが、彼の作品ならどんな作品でも高価買取です。
美術品としての価値も高いため、これまでも安定した多数の売買実績があります。
世界を代表するストリートアーティストであるキース・ヘリングは、世界中に多くのファンがいます。
特に日本ではオリジナル作品を入手することが困難なため、どんな方も初めて査定を行うと、その人気の高さに驚かされます。
本記事では、キース・ヘリングの経歴や作品の特徴を中心に、キース・ヘリングの作品の査定・買取価格の目安や作品の価値について解説していきます。
すでにキース・ヘリングに興味ある方はもちろん、これからキース・ヘリングの作品を集めたい、と考えている方にとっても有益な情報を提供していきます。
目次
キース・ヘリングは、アメリカ・ペンシルバニア州レディング生まれの画家です。
1958~1990年にかけて活躍していた、ストリートアートの先駆者とも呼べる現代アート作家でした。
太い線で極端にデフォルメされた作品は、ユーモラスで誰もが楽しむことができます。
日本で紹介されるようになると大変な人気になり、キース・ヘリングの作品をプリントしたTシャツなどが、アパレルショップやスポーツ用品店などで販売されました。
作品を世に送り出しながら、その時代にいる人たちに生きる力を送り続けた作家だと言われています。
キース・ヘリングは、31年という短い生涯に彼の全てを表現し尽くし、希望と夢を残していった伝説のストリート・アーティストです。
また、ジャン=ミシェル・バスキアやアンディ・ウォーホルとも親交が深かったことで知られています。
キース・ヘリングは、1958年にアメリカペンシルバニア州に生まれました。
父はエンジニア兼漫画家でした。
そのため、ヘリングが芸術へ興味を持つきっかけを与えた第一人者は父だったと言われています。
キース・ヘリングの家族には、母にジョアン・ヘリング、妹にはケイ、カレン、クリステンがいました。
1976年になると、キース・ヘリングは、18歳でピッツバーグにあるアイビー・スクール・オブ・プロフェッショナル・アートに入学し、グラフィックデザインを専攻することになりました。
しかし、グラフィックへの価値が見出せなかったことにより、2学期で退学しています。
その後、ニューヨークへ移住して、スクール・オブ・ビジュアル・アーツにおいて、ビデオアートやパフォーマンスアートなどの多種多様なジャンルの作品を意欲的に制作しながら、可能性を探求する時期を迎えることとなりました。
1980年代になると、キース・ヘリングにも転機が訪れます。
彼の華々しい芸術家としての人生の始まりとなったといってもいいのが、地下鉄構内の黒い大きな広告板に白いチョークで描いた、通称「サブウェイ・ドローイング」と呼ばれているパブリック・アートでしょう。
地下鉄でのアート制作を開始するきっかけとなったのは、ニューヨークの路地や地下に見られるグラフィティーです。
また、巨大な建造物や自然を主題にしながら大規模な制作活動を実施していたクリストとジャンヌ=クロード夫妻などにも影響を受けています。
キース・ヘリングが注目したのは、日々、多くの人々が利用していて、一般の人々の日常生活に身近で関わることの多い地下鉄構内です。
そのような場所は、普通の人々にとっては、仕事のことで頭がいっぱいで、見向きもせずに通り過ぎてしまうような無機質な空間でした。
しかし、キース・ヘリングは、地下鉄の無機質な空間をアーティストと社会の「架け橋」として捉えたことによって、制作活動を行う上での絶好の「実験の場」だと考えることができたようです。
キース・ヘリングは、美術家としての名声を確立し成功しましたが、その後も音楽界にも大きな影響を与える存在になっていきます。
当時の一流アーティストであったマドンナ、RUN DMC、デイビッド・ボウイ、シルヴェスター・ジェームスといった著名人のアルバムに使用するジャケット、衣装デザインを手掛けています。
当時のアートと音楽の架け橋を担う重要な役割を果たしていたということです。
また、世界中の都市において、約50点以上のパブリックアートを意欲的に制作し、今も残されています。
ポスター・アートだけではなく、核放棄、エイズ予防、LGBTの認知などの当時の社会問題にもテーマとして取り組みながら精力的に制作を続けました。
キース・ヘリングは、「サブウェイ・ドローイング」でストリート・アーティストとしての第一歩を順調に歩み始めました。
その後、1986年初頭になると、地下鉄での活動を中断してしまいました。
そして、自身がデザインしたオリジナル作品を販売するために「ポップ・ショップ1号店」をニューヨークに開店しています。
次第に「富裕層向けのアート」ではなく「大衆向けのアート」を提供するようになったことで、より広く、より多くの人々に自分自身の作品を届けたい、身近なものとして感じてもらいたい、という彼の強いメッセージが伝わるようになりました。
1988年、キース・ヘリングはエイズと診断されます。
翌年の1989年になると、エイズ関連団体や、子供たちへの教育プログラムの資金提供などを目的とした福祉活動を行うための「キース・ヘリング財団」を設立しています。
財団の主な活動目的は、恵まれない子供たちや、HIVやAIDSへの啓発活動を行う慈善団体への資金提供となっています。
さらに、展覧会の開催や出版物の発刊など自身のアーティストとしての活動支援も行っています。
現在も、ニューヨークにあるヘリングが生前によく使用していたスタジオを拠点にしながら、社会貢献活動が継続して行われています。
キース・ヘリングは、同時代に活躍したグラフィティ・アーティストたちの中で、フーツラ、ケニー・シャーフ、バスキアなどと積極的に交流を深めてきました。
その中でも特別な交友関係があったとされるのは、ポップアートの偉大な巨匠と称される、アンディ・ウォーホルです。
日本国内なら山梨県にある「中村キース・ヘリング美術館」です。
創設者・中村和男氏が1987年より地道に収集してきた約300点ものキース・ヘリングの作品を所蔵している日本初のキース・ヘリングの美術館として有名です。
そして、ニューヨークの街の中には、キース・ヘリングの作品が多数残されていることで大変有名です。
ニューヨークのハーレム街で見られる壁画の1つには、麻薬撲滅キャンペーンの一環として描かれたアートがあります。
「Crack is Wack(覚醒剤は馬鹿げたものだ。)」
ニューヨークの街を彩るこのようなキース・ヘリングの作品群は、1970年代から1980年代にかけて、イースト・ビレッジのアートシーンを彼自身が確かに牽引していたことを表していた証だと考えることができるでしょう。
さらに、2014年にもニューヨークのイースト・ビレッジの街角に、「Selfl-Portrait, 1989」が新たに設置されたことで一時的に話題になりました。
その他にもキース・ヘリングの作品は数多く存在し、ニューヨークのハーレム街を歩くだけでも、ちょっとしたキース・ヘリングの壁画鑑賞ができます。
キース・ヘリングは、アンディ・ウォーホルやジャン=ミシェル・バスキアなどと同時代に活躍しています。
特に1980〜90年代のアメリカ現代美術を代表するアーティストです。
アメリカだけではなく、日本国内でも高い知名度と人気があります。
キース・ヘリングが描く特徴的なデザインは、流行のファッションなどにも採り入れられ、幅広い世代に認知されています。
キース・ヘリングが描いたアイコンだと知らないまま着用しているような人も多いようです。
キース・ヘリングが使っていた制作手法は、自らが広く世に知られる前の80年代初頭の頃、NYの地下鉄で、黒い紙が貼られた未使用の広告板を利用した通称「サブウェイ・ドローイング」というグラフィティ・アートです。
多くの人が見かける場所で自由に表現でき、ユニークで誰もが楽しめる落書きは、一躍キース・ヘリングの名を世に広めることになりました。
その後、瞬く間に有名作家の一人として知られるようになります。
キース・ヘリングは作品を発表するだけではなく、アニメーション、舞台デザインなども手掛けるようになり、自ら制作したグッズを販売するポップショップをオープンするなど、幅広い分野で活躍し、商業的にも一定の成功を収めました。
31歳で夭折したアーティストが残した特徴的なアイコンイメージは、死後30年経った今でも色あせることなく人々の心の中に深く刻まれています。
日本国内で流通しているキース・ヘリング作品の多くは「シルクスクリーンかリトグラフで制作された版画作品」です。
ペンで描かれた作品の場合は、版画に比べると値段が付きにくいとされています。
版画作品は100~300万円前後の買取金額が多くなっています。
一部の人気作品(ANDY MOUSE)などは、1,000万円以上の金額がついています。
しかし、ここ1~2年で作品全数の再評価が実施されたために、大幅に買取金額が上がっています。
今後さらに値段が上昇する可能性もありますが、再評価直後の今が売却のタイミングではないかと言われています。
しかし、短期売買する品物ではありませんので、売り時は、売ろうかなと思ったタイミングで問題ありません。
基本的に版画作品は鑑定等の必要はなく、現物を見て判断しています。
しかし、近年、贋作も出回っているため注意が必要な作家です。
また、最も新しい作品でも制作後30年は経過しています。作品にシミなどのダメージが発生している可能性がありますので、保管には細心の注意が必要です。
修復が難しいようなダメージなら、著しく評価が下がります。
キース・ヘリングの買取価格情報の一部が公開されていましたので参考情報として紹介します。
Growing 5 買取価格650万円
Untitled(Lirrmann P.31) 買取価格700万円
Apocalypse#2 買取価格100万円
ここまででキース・ヘリングの経歴や作品の特徴についてご紹介いたしました。
ここからはすでにキース・ヘリングの作品を所有してる人やこれからの所有を検討している方に向けて、高値査定や売却のポイントについてご紹介します。
通常、美術品等の査定買取はその作品や作家の知名度が高ければ高いほど、査定買取も高くなります。
発売直後の作品は、メディアで取り上げられる機会も多く、一時的に査定額が大幅にアップします。
過去に手掛けた作品を所有している場合は、状態が綺麗かつ発売直後のままなら、想像以上の高い査定結果になるでしょう。
人気芸能人や海外セレブがアーティストの作品やグッズを愛用していると「突然人気が高まる」ことがあります。
過去にトレンドとなった作品なら、発売から長期間経過している作品も、再度注目が集まり高額査定がつきます。
作品の売却を検討する場合は、各方面での情報に敏感になり、メディアやニュースなどをチェックし、売却の時期を見極めましょう。
作品のサイズや作品の内容によっても買取金額は大きく異なりますが、キース・ヘリング作品の売却をご検討の際にはぜひ弊社にもお声掛けください。
本記事では、キース・ヘリングの経歴や作品の特徴、その作品の査定価格の目安と売却時の注意点について詳しくご紹介しました。
「キース・ヘリング」は、世界中で高い評価を得ており、アーティストとしても一流です。
これからキース・ヘリングの良質の作品を集めようと考えている方も、別のアーティストの作品が欲しくなって手放そうと考えている方も、キース・ヘリングの作品を査定・売却したい方は、ぜひ弊社にお問合せください。