2023.11.13

川俣正のアート 買取は可能?

Category

作家名

Tags

川俣正(KAWAMATA Tadashi)は、世界で活躍するアーティストです。川俣正のアートには、「製作プロセスそのものも作品である」という大きな特徴があります。

たとえば、アパートであったり、公共空間に材木を張り巡らして、スペースそのもののとらえ方をアートとして披露しています。

川俣正のアートとは

川俣正のアートは、製作プロセスそのものもアートであり、そこに立つお客様の動きまでがアートに含まれるという考えがあります。

プロジェクトを実施するために作られる模型であったり、平面レリーフと言ったものも、そのような意味でプランに留まるものではなく、ひとつひとつがプロセスを抱えたアート化します。

「インスタレーション」とは、展示するスペースを含めてアートとみなす手法のことを言います。川俣正はまさに、インスタレーションとどのアーティストよりも早く向き合ったアーティストということができます。

川俣正の経歴

川俣正は、1953年北海道に生まれました。

1979年には、東京藝術大学美術学部油絵卒業します。

1984年には、東京藝術大学美術学部博士課程満期退学し、1999年から2005年のあいだ、東京藝術大学美術学部先端芸術表現科の教授に就任します。

さらには、2006年から2019年のあいだ、パリ国立高等芸術学院の教授に就任しています。

2013年、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しています。

川俣正[通路]

東京都現代美術館にて、美術館を通路に見立てた新しいプロジェクトである「川俣正[通路]」が開催されました。

そこには、本来あるはずの、絵画や工芸品といった、いわゆる「作品」が存在しません。

そこに存在しているのは、人が移動するために用いる通路と、通路内で行われている活動だけです。

まさに、通路は、制作のプロセスを最も重視している川俣正の真骨頂です。

「ワーク・イン・プログレス」とは、制作途上のものであったり、やりかけ状態のもの、進行中の作業であったり、工事中であったり作業中……などと言った意味を持つ言葉です。

本来、そのような中途半端なものは人目にさらす段階のものではないという考えがあります。しかし、川俣正のアートの世界領域ではそうではありません。

アートが完成するまでの、中途半端な状態、やりかけのもの、全部がアート自体を示しているのです。

また、「領域横断」とは、既存の学問領域にとらわれないだけでなく,学問領域を超え出て縦横無尽に活躍する、より以上のダイナミックなイメージです。川俣正は領域横断のアーティストであり、建築のみにとどまらず、演劇、音楽、評論、思想……などなど様々な分野を横断するアーティストなのです。

領域横断という着想がないと、音楽家は音楽だけを目指し、演劇家はただ芝居することだけを考えることになります。すると、演劇家は、音楽などアートではないとつまはじきにしてしまうでしょうし、音楽家も、芝居などやっていられるかという憤慨した気持ちになります。だんだんとアートに対してこのようなカテゴリーが取っ払われる傾向もない訳ではありませんが、そのパイオニア的存在が川俣正と言っていいでしょう。

川俣正のアートは、領域横断であり、なんでも受け入れる大きな器をもち、得てしてでたらめのアートだと思われてしまうこともあるかもしれません。

川俣正のアートは、ファジーであり、そんなアートは許すことができないと既成観念をもっている方々は否定するでしょう。

全部のアートがそうなればいいということではありませんが、これもひとつのアートとして充分評価していい時代なのではないでしょうか。

ファジー的発想は、たとえば、音楽と演劇とも両立して向き合うため、音楽と演劇に相乗性がもたらされ、新しい魅力が増幅されていくことでしょう。

音楽は演劇を超えようとし、演劇は、さらに音楽を超えようとして、まるで生き物のように成長していくことができます。そのような意味で、川俣正の目線で言えばファジーでないアートは、固まった化石のようなアートです。

未完の傑作と言われているのは、ガウディの「サグラダ ファミリア」です。ガウディの意思を受け継いだ形で、現在も何人もの建築家の手によって完成を目指して工事が続行しています。

いま、完成途中のサグラダ ファミリアを見たいと思っている人たちが多いのは、工事している過程もアートであるという認識があるせいではないでしょうか。まさに、サグラダ ファミリアは、昨日と今日は違うアート作品であり、まるで、命を吹き込まれたかのように生き生きとしています。川俣正のアートもそのようなアートのような気がします。川俣正の場合、さらに、見ているお客様も、アートに巻き込んで壮大なアートロマンがつくられています。

通路のアーティストでいいかな

展示室だけでなく、バックヤードであったり、エントランスなどのパブリックスペースなどに至るまで、ベニヤ板のパネルをおおよそ1,000枚設置し、美術館自体が巨大な通路のように仕組まれています。

川俣正は、30年間通路ばかり作制作してきたから、「とりあえず通路の作家でいいかな……」と語っています。

川俣正は、通路のアーティストなのです。

人たちは、何かを求めて通路を通ります。

目的は通路ではなく通路のあちら側にある。

川俣正のアートは、目的自体からはズレた存在です。では通路の向こうの目的とはなんなのでしょうか。

それは、ありふれた日常です。公園へ行こうとする人たちもいるでしょうし、スーパーで買い物をするという方々もいます。映画を観るという方々もいますし、美術館で絵を鑑賞するという方々もいます。

人が何かを求め通路を通過していること、それ自体が川俣正のアートであり、目的物がどう移り変わろうが、目的をもった人が通過すれば、川俣正のアートは完成します。そのような意味で、川俣正のアートは、普遍性をもったアートともいうことができます。

<h3>観客は活動に参加する</h3>

また、川俣正のアートを語るうえで大事になるのは、「お客様」です。他のアートと比較しても、多くの観客を巻き込む仕掛けがあります。

川俣正[通路]において、観客は通路を行き交う過程において、7つの開放型ラボラトリーにおいて行われている活動に参加することに。その中には、未完のプロジェクトであったり、これからスタートするプロジェクトを含めた、川俣正が30年間続けてきた仕事を垣間見ることができます。

お客様は参加することで、川俣正のアートとより深くかかわり、かかわることで自分も川俣正のアートのひとつのパートだと気づくのかもしれません。川俣正のアートは、観客との連続性のもとで構築されているのです。

川俣作品における橋

川俣正による、日本での新しいプロジェクトが仙台で行われました。

今回、川俣正が選んだサイトは、東日本大震災の津波被害によって、集落や耕作地が被災してしまった仙台市東部沿岸地区に位置している貞山運河でした。

「サイト・スペシフィック」とは、その場のもろもろの条件で作品が成立するため、そこでしか見たり体験することができない作品のことです。川俣正は、まさにサイト・スペシフィックを追求するアーティストです。

「みんなの橋プロジェクト」では、運河に隣接している新浜地区の住民たちから、橋が津波で流されて困っている……という話しを聞いた川俣正が、その言葉に即応答し、橋の機能を持ったアートの完成を目指していくことになります。

浜辺の暮らし、そして海をつないでいる橋は、また大震災の忌まわしい記憶と、いまの私たちを結びつける伝達の手段でもあります。さらに、橋は、被災地への関心であったり、交流を引き寄せ、新しい望みを見いだすための手段となりうるものです。

「橋」、「通路」の意味あるもの

アートというもの単体は、得てして日常生活からは乖離してしまうものであるかもしれません。

日常生活に当たり前に存在しているものは、人たちが必要としている道具の方です。そのようなものは基本、アートとは言いません。

そのような意味では、アートは、日常生活を生きる私達にとって全くもって必要がないものであるのかもしれません。いざというときは、アートではなく、スマホであったり、洗濯機であったり、ハサミであったり、ボールペンなどを優先してしまうでしょう。

しかし、それでもアートが欲しいという方々はいます。人たちは、日常生活に縛り付けられているため、時として日常から脱したい欲求をもつことがあります。そのような欲求を解消してくれるものがアートと考えることができます。

もしも、世の中にアートが存在しなければ、ギスギスしたとても住みづらい世界になってしまい、人間関係もうまくいかないで、ストレスが一杯たまってしまう世界が作り出されてしまうことでしょう。

しかし、それでもいざというとき優先しなければならないのは、アートではなく、日常生活のありふれた道具の方です。人たちがアートに対して遠縁な向き合い方をしていると、アートはアートで、いつか私達の日常生活から全く乖離した、私達が全く理解することすらできない超越したものになってしまうかもしれません。それを、孤高のアートと言ってもいいのかもしれませんが、そうではなくお粗末なオブジェに過ぎないともいえるのかもしれません。

川俣正の提供するアートは、そのような意味では、通路の向こう側に日常が存在し、日常生活とは決して乖離しない至近距離にあるアートと言っていいでしょう。

しかし、もちろん川俣正のアートも日常自体でもありません。そこまでたどり着く通路の役割をしているのが川俣正のアートなのですから。

川俣正のアートを売却査定して欲しい

川俣正のアートを現在、売却査定して欲しいと思っている方々もいらっしゃることでしょう。そして、川俣正のアートを欲している方々もいます。

川俣正は、オブジェをメインとし、水彩や版画などの絵画作品も制作しています。

現在、川俣正のアートにはニーズがかなりあるため、高い買取価格がつく可能性があります。

金額に関しては、オブジェの方が評価しやすい傾向がありますが、絵画もアーティストの手がかかっている度合いによってオブジェよりも評価されることもあります。

まとめ

いかがでしょうか。今回は、川俣正について、また、売却査定・買取情報について解説しました。

川俣正は、廃墟であったり、病院跡、また様々な自治体でワーク・イン・プログレスを行っているアーティストです。

公共のスペースに木材を張り巡らし、そのスペース全体をアートとしてとらえ、さらに、「準備」、「制作」、「解体」までをすべて公開し、見る観客までもを巻き込み、プロセスの一部とします。

川俣正は、作品が後に残らないことを全く気にしないということです。それは、作品にたどり着くまでの過程自体が人たちの記憶に残ってくれればいいと思っているからです。

川俣正のアートは、その土地で暮らしているからこそ見えてくる問題点であったり、活かせるポイントなどと言ったものをじっくりと観察し、アート化するからこそ体験する人たちの心にぐっと刺さるのでしょう。

川俣正のアートは、新しい感覚のアートです。現代社会のニーズにマッチし、ニーズが高くあります。

川俣正のアートを所有しているという方々は、いまが売却査定のタイミングなのかもしれません。

この記事をシェアする

Category

Tags

この記事をシェアする

あなたにおすすめの記事

人気記事