2024.05.23
作家名
2024.05.23
皆さんは嶋本昭三というアーティストをご存知ですか。嶋本昭三は日本の芸術家で、戦後日本の現代美術を代表する「具体美術協会」の創立メンバーです。
嶋本昭三は大胆なパフォーマンスで広く知られるアーティストです。
瓶なげアートなどの個性的な作品を数多く生み出し、1970年代から「メールアート」と称した年間60か国8000のネットワーク交流によって世界の多くのプロジェクトに参加し、国内外で精力的に活動を続け高い評価を得ていました。
目次
嶋本昭三は、1928年に大阪府大阪市で生まれました。
彼が絵を描き始めたのは関西学院大学文学部在学中に、新制作協会の大住閑子と出会ったことがきっかけで、アーティストへの道へ進みました。
1947年に増田雅子の紹介で、画家吉原治良の門下に入ることになる。
大学を卒業するころには、新聞紙を貼り合わせたものに穴をあけた作品を制作し、この作品が評価され吉原治良門下生の中でのリーダー的な存在になります。
また、1953年から大阪市立豊崎中学校にて美術教師を務めます。教師としての経験は、その後、障害者芸術の振興活動へとつながっていきます。
1954年に具体美術協会の発足に創立会員として立ち会います。具体美術教会とは、嶋本昭三の師である吉原治良をリーダーとして、阪神地域に住む若い美術家たちが作った前衛アーティスト集団です。
1970年に大阪万博「1000人の花嫁」のプロデュースを担当します。「1000人の花嫁」はペーパードレスの花嫁衣裳をPRするというイベントで、嶋本昭三は会場に巨大バルーンを出現させました。
1975年にはAU(アーティスト・ユニオン)に参加します。これは前衛芸術家の吉村の呼びかけによって集まった、1960年代に活躍したアーティストによって構成される美術団体のことです。嶋本昭三は翌年に事務局長に選ばれ、就任しました。
この活動の中で、メール・アートを活発に発表し、世界中の人をアートで結びつけるネットワークを構築しました。
このころは作家活動の傍らで、日本障害者芸術文化協会の会長も務めており、1992年に大阪海遊館にて日本初の大規模な障害者芸術展を企画しました。
1998年にはロサンゼルス近代美術館の「戦後の世界展」において抽象表現主義の画家ポロックらとともに世界四大アーティストに選ばれました。
2001年にはイギリスにおけるJAPAN YEARに招待され、作品がロンドンにある国立の現代美術館に所蔵されました。この出来事は、白人以外による初めてのコレクションとして話題になりました。
その後も世界各地の展覧会で個展を開催したり、パフォーマンスを披露したり積極的に活動を続けた嶋本昭三は、2013年に急性心不全のために亡くなりました。
「誰もやったことのないことをやれ」という師の言葉を胸に、瓶なげ作品や女拓(にょたく)などの誰も見たことないような作品を次々と生み出しました。
そのような作品を生み出したきっかけは、嶋本昭三が一貫して持っていたアール・ブリュットへの関心があるといえます。
アール・ブリュットとは「生の芸術」を指すフランス語で「西洋の伝統的な芸術教育を受けていない人が生み出す芸術」などという意味があります。彼は特に、幼児や障害者が常識にとらわれずに自由に作品に心惹かれ、障害者芸術の振興にも熱心に取り組んでいたそうです。
嶋本昭三の作品の中でも代名詞といえるのが瓶なげ作品です。「筆」を使った表現から抜け出し、大砲の筒や瓶などに絵の具を入れてそれをキャンバスにぶつけるという驚きの方法で絵画を制作しました。そして作品ができる過程や思いがけない結果なども含め、そのすべてが芸術なのだと私たちに示しました。
人種差別、男女差別などにも目を向けながら、芸術の持つ新たな可能性を見出そうとしました。嶋本昭三の作品はポジティブなエネルギーを持ち、世界中の多くの著名人やアートファンを魅了し続けています。
嶋本昭三の代表作品を紹介します。多彩な作品からは、いかに芸術に対して進撃に向き合い、挑戦し続けたのかが伝わってきます。
嶋本昭三が作成したこの作品は、1955年の「真夏の太陽に挑む野外モダンアート実験展」や同年の第一回具体美術展、翌年の第二回具体美術展などに出展されました。
床や地面に置かれた作品の上を歩いて味わう、体験型のユニークな作品です。
1950年前後、新聞紙を小麦粉と水で作ったノリで貼り合わせ、キャンバス代わりにした作品をよく制作していたそうです。これには、戦後の厳しい経済状況でキャンバスを買うのが難しかったことも関係しています。
紙でできているので、描いているうちに穴が開いてしまうこともあり、それが斬新であると吉原治良に評価されました。
1956年に野外具体美術展において、嶋本昭三は大砲状の筒に絵の具を入れてそれを爆発させて描く「大砲絵画」を制作しました。しかし、大砲は大きな音が伴うため、大砲を使う代わりにガラス瓶の中に絵の具を入れてキャンバスや医師に投げつける「瓶なげ作品」が作成されるようになりました。
2003年にヴェネツィア・ビエンナーレで行った瓶なげパフォーマンスは大変注目されました。
AUの活動の中で1976年頃から本格的に用いるようになりました。
メールアートとは、郵便や通信制度を利用したアートのことを幅広く指す言葉です。
消しゴムハンコを封筒や便せんにたくさん押して投函したり、ユニークな形のものに直接文章を記入して郵便物として送ったりするなどがあります。
嶋本昭三は女性の裸体に墨を塗ってそのままの姿を紙にうつす「女拓(にょたく)」という変わった作品も制作しました。この作品はフランスやフィンランドといった海外でも制作されています。
ヌード写真とも水墨画とも異なる性質を持つもので、女性が能動的に美しさを表現する芸術作品です。
歯ブラシの毛の先端部分に当たる平面をキャンバスとして使用した、極小サイズのアートです。制作には、立命館大学理工学部のマイクロ機械システム工学科教授、杉山進が協力しました。
ナノアートは、アートとサイエンスがコラボレーションした非常に斬新な作品です。
この作品は、2005年にイタリアのトレビ・フラッシュ・アート美術館で発表されました。
嶋本昭三が自身の頭髪をそり、頭をキャンバスとして様々な人にメッセージをかいてもらうという作品です。多くの人が参加し、嶋本昭三の頭に絵の具を使って主張を描きました。
1987年にはスキンヘッドアートを行うためにアメリカの少年院を回りました。また自分のスキンヘッドの写真を各国の元首に送り、メッセージを書いて返信してもらう試みも行っています。
作品はどこで見れるのか
大阪中之島美術館では、国内外の美術作品を集めており、嶋本昭三の作品も3点所蔵しています。そのうちの2点は、嶋本昭三の代名詞でもある瓶なげ作品です。2mを超えるキャンバスに絵の具やガラスが飛び散っている様子は、生で見ると非常に迫力が感じられるでしょう。
2022年10月から2023年1月まで、大阪中之島美術館と国立国際美術館が会場となり、嶋本昭三を含む具体美術協会のアーティストの多くの作品を鑑賞することができました。
ここまでは、嶋本昭三の経歴や作品に関してご紹介しました。ここからは嶋本昭三の作品を所有されている方や所有しようと思っている方に向けて、買取や査定売却についての説明に移ります。
2017年に行われたクリスティーズのライブオークションで、嶋本昭三の「BLACK WHIRLPOOL」という作品が約2億4400万円という高値で落札されました。この作品は、嶋本昭三が1965年に制作した183cm×231cmのエナメル作品で第17回具体美術展に出展されています。
2015年に行われたクリスティーズのイブニングセールで、「Untitled」が約3256万円で落札されました。この作品は200.6cm×159.2cmのキャンバスに鮮やかなアクリル絵の具とガラスが飛び散っている瓶なげ作品です。
嶋本昭三の作品はあまり多く出回っていません。そのためクオリティの高い人気作品を見かけた場合には、100万円を超える買取金額になる場合もあるそうです。
保存状態やタイミングなど、総合的に判断するそうなので、まずは買い取り業者に連絡を入れてみるといいでしょう。
嶋本昭三が作った型破りな作品は、見慣れないため距離を取りがちな日本人の性質には馴染み難かったのかも知れません。しかし、1998年に世界の四大アーティストの一人に選ばれたことなどから、海外で非常に高く評価されていることがわかります。
特にヴェネツィア・ビエンナーレの開催国でもあるイタリアには、アートに対する造詣の深い国民性も相まってファンが数多くいるようです。
嶋本昭三の作品は、世界中の主要な美術館に数多く所蔵されているそうです。
本記事では、嶋本昭三の経歴をはじめ、作品の特徴や査定、売却などについて紹介しました。
嶋本昭三は具体美術協会の中心として活躍していて、海外で大変高い評価を受けているアーティストです。彼は単なる制作活動だけでなく、人種差別、男女差別、世界平和、地球汚染、障害者問題に向けての問題提起を同時に行い、多くの著名人から賛同を得ています。
彼の活動は常に周りの人々を驚嘆させてきたのです。
彼の作品をこれから所有しようと思っている方、手放そうと思っている方も、嶋本昭三の作品の査定・売却に関して、買取業者に問い合わせてみると良いでしょう。