2024.11.30
作家名
2024.11.30
みなさんは巷で話題の新進気鋭のアーティスト「愛まどんな」をご存じですか。愛まどんなは、独特なタッチで描かれた「美少女」をモチーフにした絵画やライブペインティング、漫画が特徴のアーティストです。日本を代表する現代アーティストである愛まどんなは国内外問わず熱烈なファンが多く、とても人気です。
本記事では、そんな、愛まどんなの経歴や作品の特徴だけでなく、査定・買取が可能かについてご紹介します。愛まどんなに興味ある方やこれから愛まどんなの作品を集めようと考えている方は、ぜひ参考にしてみてください。
目次
愛まどんなは、「嫌われない程度に愛されたい」というコンセプトの現代アーティストです。
美少女をモチーフにした「愛を象徴する美しいイメージ作品」を多数創作しています。
愛まどんなの作品は繊細でありながらも強いエネルギーを感じさせる独創的なイラストで、多くのファンを魅了しています。
アクリル絵画を中心に制作された作品は、鮮やかな色彩と独自のタッチが特徴であり、個性的なキャラクターが魅力的に描かれています。
絵画やライブペインティング、イラストだけでなく、Tシャツやステッカーなどのグッズや他のアーティストとのコラボグッズなども制作していて、若者だけでなく幅広い世代に人気のアーティストです。
愛まどんなは、東京都で1984年に生まれました。幼少期は、外で遊ぶような子というよりは、家の中で一人遊びをすることが好きだったため、お絵描きや物語を作ったりしていました。
愛まどんなといえば「美少女」というイメージがあります。このテーマは、小学校時代の思い出がルーツになっています。愛まどんなは小学校低学年のときに、着せ替え人形のジェニー人形をたくさん持っていました。しかし、着せ替えに使う洋服が少なかったため、自作の衣装を作成することで、着せたりしているうちに人形を裸で並べておくようになりました。
これに加え、小学生の時に銭湯に行き、家族以外の裸を見たことにも大きな影響を受けました。湯気でぼんやりとした雰囲気の中で、小学校高学年くらいの少女の裸を見たときに感銘を受けたと言われています。
また、小学生時代の愛まどんなは、ピアノを習っていましたが、ピアノを弾くよりも絵を書くことの方が好きでした。そんな愛まどんなの様子を見ていたピアノの講師が、アドバイスの一つとして、芸術高校の存在を教えてくれました。これをきっかけに愛まどんなは、中学3年生のときに、芸術の予備校に通い、さらにその後、東京都立芸術高校に入学することとなりました。
愛まどんなは、東京都立芸術高校の美術家のデザインコースに進学し、少女だけではなく、さまざまなものに関心を示し、作品を作り続けていました。少女以外のテーマにも関心を示してはいましたが、やはり「少女の姿」が頭から離れませんでした。
そのような学生生活を過ごした上で、愛まどんなは2003年に高校を卒業しました。その後、大学受験で憧れていた芸術家である「会田 誠」の出身大学である東京芸術大学を受験しました。家庭の事情なども関係し、愛まどんなは東京芸術大学のみを受験したと言われています。しかし、残念ながら不合格となってしまい、諦めていたころ、「会田 誠」が講師を務めている美学校(東京)を発見し、そこに1年間通うこととなりました。
愛まどんなは美学校では、動物やキャラクターをメインに絵を描いていたのですが、憧れである会田 誠の目に留まることはありませんでした。その1年後、若手である作家たちが自分たちの作品を自由に展示できる機会がありました。その際、周りの学生たちが素敵な作品を作成しているのを見て、愛まどんなは作品に自信が持てなくなり、落ち込んでいました。その際、落ち込んでいる自分を慰める意味も込めて、大好きな少女の絵をブースに貼ることとなりました。そのことが、後にその少女の絵を見た会田 誠が愛まどんなの絵に初めて興味を持つことに繋がったとされています。愛まどんなは、会田 誠に”少女の絵を描くのが好きだ”と伝えると、「自分が恥ずかしいと思っているものこそ人は見たい」と言ったそうです。
その言葉を聞いたことがきっかけで愛まどんなは、以前までは抑えていた少女の絵への欲望が爆発し、少女の絵を多く描いて自分のブースに展示するようになりました。この時に、6人組の空間芸術のアーティスト集団であるChim↑Pom(チン↑ポム)のリーダーである卯城竜太から声がかかり、共に作品を作り発表しました。
おじいさんが「愛…まどんな…」とつぶやいた夢をみたことから、「愛☆まどんな」というアーティスト名を思いついたそうです。アーティスト名を思いついたことを、大学卒業後、謎の美術集団である「ふつう研究所」を通じて、未来美術家である遠藤一郎に伝えました。すると、秋葉原に連れていかれ、「愛☆まどんな」として、ライブペインティングをすることとなり、2007年に誕生しました。
ここから秋葉原で段ボールに絵を描く演出を毎日行い続けたことで、少しずつファンが生まれ、他のアーティストとの共演も実現するようになりました。しかし、2008年に起こった秋葉原の事件によって歩行者天国が無くなったことで路上でのイベントから、イベント会場で活動するように変化していきます。
2009年には、ミヅマアートギャラリーでの「きゅぴんッ」という個展開催が行われたのですが、作品数が少なく会場に隙間が目立つ形となってしまい、満足のいく結果を得られませんでした。これを反省した愛まどんなは、人気を博していたライブペインティングを終了し、グループ展などで再び絵を描き始めたと言われています。
修行を続けていた愛まどんなは、2012年に自身の会社として「愛☆まどんなプロダクション」の設立に至りました。設立理由としては、活動の自由さを求め、自立しているということをアピールするために会社を作る必要があると感じたことが理由とされています。
その後、会社設立に伴い、方向性が定まったことで秋葉原を中心に活動する8人組の女性アイドルグループ「でんぱ組.inc」の衣装に絵を描く仕事を得ることに繋がりました。さらに、書籍や雑貨など、幅広い商品を取り扱う複合型書店「ヴィレッジヴァンガード」でグッズ展開をするなど、アート以外の分野でのコラボレーションも実現しました。
その後も急成長を見せた愛まどんなは、海外進出も決定。2013年にシンガポールで開催された「HELLO, SHIBUYA TOKYO」をきっかけに、2014年はアメリカで「IMPACTS! ・勢み」展、2015年にはタイやフランス、2019年に中国やシンガポールでグループ展を開催するなど、その勢いは日本国内に留まることを知りませんでした。
2020年には「アートフェア東京2020」が予定されていましたが、奇しくも新型コロナウイルスの影響から中止となってしまいましたが、アートフェア東京2020で展示をひかえていた作品が家に並べられている状況を自分の状況と重ねることで、2020年6月に「ひあたりのわるいへや」という個展を開催しました。
このことから愛まどんなは、現在も国内外ともに人気のアーティストであり、常に注目されている現代アーティストと言えるでしょう。
数多くの人気作品がある愛まどんなですが、中でも2013年に作成された「のれん」は、愛まどんなの代表作品と言えます。「のれん」は大きなキャンバスにアクリルを用いて、2人の少女が描かれている作品です。2019年には初の漫画作品「白亜」を発売し、2020年には愛☆まどんな×BIRDMANの2人展を開催しました。
さらに、2021年には「SAGA日の出プロジェクト」の一環として、SAGAアリーナ工事現場の仮囲いに作品を公開することで認知度はさらにアップしました。
このように「愛☆まどんな」の作品は、若い世代から圧倒的な支持を受け、美術界に新たな風をもたらし続けています。
ここまで愛まどんなの経歴や作品の特徴についてご紹介いたしました。ここからは愛まどんなの作品を所有してる人やこれから所有しようと思っている方に向けて、査定売却のポイントについてご紹介します。
通常、査定買取はその作品や作家の知名度が高ければ高いほど、査定買取が可能とされています。またその商品が発売直後であれば、メディアで取り上げられることで、さらに認知度や注目度が高まり、査定額もアップすると言われています。
愛まどんなは人気アーティストであるため、作品も状態が綺麗かつ発売直後であれば、満足のいく査定結果に繋がりやすいと言えるでしょう。
人気芸能人や海外セレブが愛用することで、「急激に人気になる」といったことがあります。
このようにトレンドとなった商品は、発売から時間が経過しているにも関わらず、査定可能となるケースがあります。
愛まどんなは国内外問わず人気のアーティストですので、作品の売却を検討する場合は、タイミングを逃さないよう、こまめにメディアやニュースなどをチェックすると良いでしょう。
本記事では、愛まどんなの経歴や作品の特徴、作品の査定と売却についてご紹介しました。
日本を代表する現代アーティストの最前線をゆく「愛まどんな」は、国内外問わず今後もさらに注目度と知名度、そして人気が上がるアーティストと言えるでしょう。
これから集めようと考えている方も手放そうと考えている方も愛まどんなの作品を査定・売却したい方は、ぜひお気軽に弊社にお問合せくださいませ。