2024.11.30
作家名
2024.11.30
「ルチオ・フォンタナ(Lucio Fontana, 1899年2月19日 – 1968年9月7日)」とは、20世紀のイタリアの美術家であり、彫刻家、また画家です。
ルチオ・フォンタナは、「空間主義(spazialismo)」の運動の創始者として知られています。
1950年代以降のアンフォルメルであったり、具体美術協会、タシスム、また、ヌーヴォ・レアリスムであったり、アルテ・ポーヴェラ……などと言った前衛アート運動に対し様々な影響を与え、20世紀アート史上重要な位置付けのアーティストと評価されています。
今回は、そんなルチオ・フォンタナを深堀します。
目次
ルチオ・フォンタナは、1899年にアルゼンチンのロサリオ・デ・サンタ・フェで誕生しました。
父は商業彫刻の会社を経営し、母親は、小劇場の女優でした。
ルチオ・フォンタナは、親とはすぐに離れ、1906年イタリアの親戚の家に預けられ、寄宿学校に入学します。
1911年から、技術系の寄宿学校へ進学。
1914年には、父とミラノで一時同居することになり、父のアトリエで彫刻を学びはじめることになりました。
その後、ルチオ・フォンタナはカルロ・カッタネオ工業専門学校に入ると同時にブレラ・アカデミー付属芸術高等学校へも通い、建築士を目指すことになります。
また、ルチオ・フォンタナには、第一次世界大戦が勃発し、1916年志願して義勇兵となった経験があります。
彼は、歩兵隊少尉にまでなったのですが、腕を負傷し除隊しています。
戦後、学業に復帰し、建築士の資格を取得。
1922年、ルチオ・フォンタナが23歳のとき、父方のファミリーとともにアルゼンチンへ移住します。
1924年には独立し、はじめてロサリオにアトリエを構えます。
女性の頭部習作「メロディアス」を創造、それが、彼の彫刻家の第一歩でした。
1926年には、アルゼンチンの芸術家集団「ネクサス」の展覧会「第1回ロサリオ芸術家サロン」展に「フアン・ソッチの肖像」を出品し、奨励賞を受賞しています。
1931年にはミラノのミリオーネ画廊ではじめての個展を開催。
1935年には、パリで結成されたアーティスト集団「アプストラクシオン・クレアシオン(Abstraction-Création)」(抽象芸術運動を代表する芸術家集団)に参加しています。
また、美術学校の教師としても働き、1946年には、「アルタミラ造形芸術自由学校」を組織します。
「空間主義」とは、 1940年代あたりから50年代にかけイタリア・ミラノを拠点とし提唱されたアート理論のことを言います。
そして、この空間主義の中心人物こそが、ルチオ・フォンタナです。
1946年には、ルチオ・フォンタナは美術学校の仲間であったり生徒たちと「白の宣言」を起草、従来存在している絵画であったり、彫刻、詩を乗り越えていくため、新しい時代のスピリッツに対応することができるアートが必要であることを主張します。
翌年になり、ルチオ・フォンタナは、批評家のジョルジョ・カイセルリアンであったり、哲学者のベニアミーノ・ヨッポロ、また、彫刻家のミレーナ・ミラーニとともに「第一次空間主義宣言」に署名します。
さらに、「第二次空間主義宣言」(1948年)、「空間主義技術宣言」(1951年)なども署名しています。
それら宣言に共通する概念は、絵画や彫刻、詩といったアートの枠組みの超克し、空間を通した「形」、「色」、「音」を表現することです。
その後ルチオ・フォンタナは、ブラックライトであったりネオンなど新しい技術を積極的に使用したインスタレーションや、キャンバスに穴、裂け目を空け無限空間を取り込もうとした空間概念シリーズを創造しています。
ひとつのカラーで塗っただけのキャンバスにナイフを使用し切れ目を入れた作品はルチオ・フォンタナのものです。
この作品を果たして芸術と呼んでいいのか……という議論がありますが、見方によればこれら作品は一級品のアート様式です。
キャンバスに大胆に開かれた裂け目。
これを、ひとことキャンバスを切り裂いただけ……と片付けてしまうことは簡単です。
しかし、このアートの切り裂かれたキャンバスの向こう側が存在し、そちらには暗色の裏地が。裂け目の向こう側はあたかも漆黒で、無限のスペースが広がっているかのようです。
つまり、このアート作品は、切り裂くこと自体が意味をもつだけではなく、切り裂くという行為の向こう側に見えるものまでが、ルチオ・フォンタナによって仕組まれているのです。
そこには、キャンバスを我々の目の前の空間自体に引き戻し、さらにその向こう側に果てしない「空間」を想起させる仕掛けがあります。
「これのどこがすごいの……?」と思っている人たちは、まずは自身の目にうつるものすべてに気を配り、隅々まで観察するレッスンからはじめてみてはいかがでしょうか。
ルチオ・フォンタナのアートは、まさに様々な既成観念を乗り越えて、脳にズトンと訴えかけてくるアートです。
ルチオ・フォンタナのアートを目撃し、「こんなのがアートでいいのか……」という思いをもつ方々は決して少なくはありません。
それは、ルチオ・フォンタナのアートが既存のアートの在り方をことごとく裏切っているからです。
日ごろアートが好きで美術館には頻繁に出かけるという方々も大勢いることでしょう。
そのような方々は、美術館でアートを目にしてどのような見方をしているのでしょうか。
ひとつのアートを鑑賞するとき、おおかたは、まず遠くからアート全体を確認し、近づいてみて細部を観察、その後は、あれやこれやとモチーフであったり、ストーリー、構図、さらに色彩であったり技法などについて自分なりに考え、さらにアート作品の解説を読み、最後には、もう一回遠くから見て確認する……という過程を踏んだり……。人たちは、アートという人工で作られた創作物に対して、感情であったり、意図、意味、ストーリーを発見しようと必死になっているのです。
必死という言葉が正しくないのであれば、それを生きがいとして美術館に出かけていることでしょう。
しかし、ルチオ・フォンタナはアートではない……と批判する人たちがいるのであれば、それは、ルチオ・フォンタナは、そのようなアートとはアートの種類が違うためです。
一面一色に塗られたキャンバスが、斜めに三本鋭く切り裂かれている……。
この程度のアートは、自分でも描くことができる……。その言い方もあながち間違っている訳ではありません。
しかし、そんなルチオ・フォンタナのアートに今まで頭の中に築きあげていたアートに対しての既成観念が、ことごとく破壊されてしまうことになります。
それ程ルチオ・フォンタナのアートは、アート界に衝撃的体験をもたらしています。
私達は、美術館に行き、そこで、絵画から得られる感情や絵画の意図やストーリーを見つけようという体験をしてきました。
そんな体験を繰り返し、それは即「オレンジ」だと、当たり前に認識することに何も抵抗を感じなくなっていたのです。
しかし、それは、そもそも、人たちが記号を理解する力、抽象を把握する力を安易に利用しただけではないのでしょうか……。
アーティストと呼ばれる人物たちは、人たちの記号を理解する力、抽象を把握する力を利用し、まんまと私達をまやかしの世界に引きずり込むペテン師に過ぎないのか……。
ルチオ・フォンタナのアートは、暴力的に私達に、今までの私達のアートの見方に対しての「否定」を突き付けてきます。
それはまさに、「私は美術館へ行くことが趣味だ」とたわごとを言っていた人たちを夢から覚ますような出来事です。
私達は普段から、特定のフォーマットを使ったり、プラットフォーム、システム上で作業することをごくごく当たり前に受け入れ、リアリティーを感じとることもできています。
しかし、そのフォーマットであったりプラットフォームが、無言のまま、私達に手段や価値基準、ルールを強要し、私達は自然にそれを何も疑いなしに受け入れてしまっているのです。
それが私達の日常生活であり、だからこそ無理しないで安心して暮らせるという言い方もできるのかもしれません。
それがとてもくだらないことであったとしても、共同体験の殻に閉じこもっていれば安堵感を得ることができます。
しかし、アートとは、日常生活とは隔離された場所にあるものであり、アートの世界でもそんな共同体験の安堵感にひたり、干からびているかもしれない概念に依存したままでいてもいいのでしょうか。
私達の側に既に存在している概念を剥がして、剥がした場所に存在しているもの、私達はその場所でそれと向き合うことで、自分自身の答えを見つけだすことになります。そのとき、当たり前に見えていたオレンジは、もうオレンジではなくなっているのかもしれません。
また、オレンジはオレンジのままかもしれません。
しかし、私達は、オレンジは本当にオレンジなのか、ルチオ・フォンタナのおかげで疑う目をもつことができるようになるでしょう。
人間が生きていく上で、そんな物事に対してしつこく向き合う必要はあるの……?という気持ちもない訳ではありません。もっと気楽に肩の力を抜いて生きて行けばいいのではないか……。
日常生活のほとんどのシーンは、そのような生き方の連続で全く問題はありません。
しかし、ルチオ・フォンタナのアートがあるように、このような考えもあるのだということを知ることは、とても私達の人生において深みをもたせるために意味のあることです。
深みの中で、人たちは試行錯誤をし、相乗的に成長し、高みを目指していくのです。
現在、ルチオ・フォンタナのアートを所有していて売却査定して欲しいという方々もいらっしゃることでしょう。
ルチオ・フォンタナの空間概念は、水彩のような濃淡のある黒い丸の中に、鋭利なモノで削った複数の穴があいています。
まさに、本領発揮のアート作品です。
こちらのアートは、25万円~35万円あたりの売却査定額です。
ルチオ・フォンタナは、現在注目度の高い現代アート作家であり、今後買取相場の上昇も充分期待することができる作品であるため、高額の売却査定が可能です。
いかがでしょうか。今回は、ルチオ・フォンタナのアートについて解説しました。
ルチオ・フォンタナのアートは、今までのアートの見方に改革をもたらしてくれるようなアーティストです。
他のアーティストはアーティストではないというつもりは毛頭ありませんが、ルチオ・フォンタナのアートを知り、再び他のアーティストと向き合えば、より深みを増した見方をすることができるのではないでしょうか。
ルチオ・フォンタナのアートは、あなたの既成で出来上がった考え方に革命と衝撃をもたらしてくれます。