2023.11.26

JUN INAGAWA(ジュン・イナガワ)の人柄、作品、買取について

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この記事では日本のイラストレーターである、JUN INAGAWA(ジュン・イナガワ)の経歴、その性格、代表作品、作品の特徴、作品の所蔵されている場所、買取、売却、査定について記述していきます。

生い立ち

JUN INAGAWA(ジュン・イナガワ)は、1999年神奈川県生まれの東京育ちです。幼少期の稲川は泣き虫だったと言います。5歳頃から絵を描き始め、小学3年生の時に漫画家を志します。小学5、6年生の頃から自分の夢を語り始め、漫画を描き始めた頃は「アイシールド21」を描いた村田雄介さんの絵を真似して描いていたそうです。また、同時に「プリキュア」シリーズの影響で美少女キャラクターを愛するようになりました。2012年に小学校を卒業後、日産自動車のカーデザイナーだった父親のもとで働くため、米国サンディエゴに移住しました。一時帰国した14、15歳の頃に「kiss×sis」をきっかけにオタクに目覚めたと言われています。2014年には「東京喰種」「進撃の巨人」「ラブライブ!」の写真を投稿し、ロサンゼルスで開催されるアニメエキスポには毎年通い続けました。

高校に通っていた稲川はこの頃から「重度の引きこもり」となり、約1年間「アニメを見て現実逃避」をしていました。この時、叔父から「引きこもってアニメのイラストばかり描いていても良いが、それだと他の人と同じ土俵に立つだけである。これからは人と違うことをする人が売れる」とアドバイスを受けたことでその後、SupremeやFucking Awesoのスケートビデオを見たことがきっかけでストリートカルチャーに興味を持つようになり、それからはスケーターの絵を中心に描くようになりました。

キャリア

17歳の時、インスタグラムに投稿したFUCKING AWESOMEスケーターのほぼ全員を描いた写真が大きな反響を呼び、ナケル・スミスと知り合うようになりました。ナケルからショーン・パブロに紹介され、2017年には彼のブランドPARADISEとコラボレーションをして、イラストTシャツをリリースしました。これがINAGAWAのイラストレーターとしての初めての仕事でした。これをきっかけに、INAGAWAはロサンゼルスのストリートシーンでも徐々に知られるようになりました。

2018年にはA$AP BariのブランドVLONEとコラボレーションし、ロサンゼルスのポップアップのウォールアートを担当しました。ASAP RockyやLil Uzi Vertもこのポップアップを高く評価し、INAGAWAの知名度は飛躍的に向上しました。

オタク文化の本場で自分のイラストが受け入れられるか試してみたいと2018年に帰国し同年、DIESELのブランドキャンペーンHAɄTECOUTUREに参加。これを機に、2019年3月1日から5月23日までDIESEL ART GALLERYにて初の個展「魔法少女DESTROYERS(萌え)」を開催しました。 この個展では「二次元排除法」によって排除された日本のサブカルチャー文化を取り戻すために戦う主人公「オタクヒーロー」が生み出す「魔法少女DESTROYERS」の物語が描かれました。このストーリーは稲川氏が3年かけて構想したもので、その背景には「オタクは未だにメディアから偏見をもって扱われている」という稲川氏の問題意識が作品に込められています。

2021年4月23日には初の画集『情報破壊マスメディアクラッシュ』が刊行され、同年9月10日には「魔法少女マジカルデストロイヤーズ」のアニメ化が決定。

2022年11月19日から2023年2月16日まで、DIESEL ART GALLERYにて2度目となる個展「BORN IN THE MADNESS」を開催。この個展は「来日してすぐに資本主義に打ちのめされた」という稲川が「自分は何がしたかったのか」という考え方の変化を示す試みで開催されました。

また、4月26日公開のアニメ『魔法少女デストロイヤーズ』オープニングテーマ「MAGICAL DESTROYER」(歌:愛美、作曲・編曲・プロデュース:上田剛史)の作詞(JUBEEと共作)および同曲、 2023年シングル(キンクリ堂限定 JUN INAGAWA コラボセット)のスペシャルイラストを描いています。イラストは愛美をモデルにしており、敬愛する上田剛志が元メンバーだったTHE MAD CAPSULE MARKETSのアルバム『DIGIDOGHEADLOCK』(1997年発売)のジャケットデザインをオマージュしたものとなっています。

JUN INAGAWA(ジュン・イナガワ)の性格や生い立ち、作風

JUN INAGAWA(ジュン・イナガワ)は、渋谷のDIESEL ART GALLERYで個展を開催するなど、いわゆる“アキバ系美少女”をモチーフにした萌え系イラストを描く19歳の“オタク漫画家”です。しかし、稲川が他のオタク漫画家と異なるのは、その経歴です。

高校生の頃にインスタグラムに投稿したイラストがきっかけで、A$AP Bariの「VLONE」や人気ラッパーのSmokepurppなど、ストリートシーンで人気を博しました。その後もビッグネームとのコラボレーションが続々登場し、他に類を見ない特異なバックグラウンドを持つ人物となりました。

“萌え系”と“ストリート”は一見相反する文化に見えますが「共通点があった」と語るストリートシーンでの成功事例から稲川が思い描く未来像を探ってみましょう。

稲川は日本で生まれ、小学校卒業後に父親の仕事の都合でアメリカのサンディエゴへ移住しました。父親は日産自動車のデザイナーで、 稲川は父親の影響で絵を描き始めました。

5、6歳くらいに父が「AKIRA」や「攻殻機動隊」の世代だったことから、それらを頻繁に目にしていたものの、その独特の絵のタッチが苦手だったと語る稲川。「クレヨン しんちゃん」や「ドラえもん」など、朝7時から9時までのゴールデンタイムに放送していたアニメの真似をしたそう。萌えの原点である、美少女を描くことにハマり始めたのは小学6年生の頃だと言います。

アウトライン

稲川は2012年にアメリカ・サンディエゴに移住し、アーティストとしてのキャリアをスタートさせました。

アニメ、マンガ、パンク、テクノポップ、ストリートなど、様々なカルチャーに影響を受けた作品を描き、アンダーグラウンドシーンを中心に注目を集め始めます。

VLONE、AWGE、NEIGHBORHOOD、adidas、paradis3(Supreme)等のアパレルブランドや銀杏BOYZ等のミュージシャンともコラボレーションを行っており、世界的歌手のビリー・アイリッシュのツアー衣装までもデザインしました。

稲川はA$AP Mobに招待されたことをきっかけに2017年から2018年までアメリカで活動していました。

2019年に初の個展をDIESEL ART GALLERYで開催し、グッズは2日間で完売、イラストなど20点以上の作品も2週間で完売するなど大きな話題を呼んだそうです。

また2021年には初の画集『情報破壊マスメディアクラッシュ』を発売しました。

その後、MAD MAGIC ORCHESTRA名義でDJや音楽イベントのオーガナイザーとして活動し、OKAMOTO’Sのオカモトレイジ率いる天才集団「YAGI」に所属しました。

さらにその後、TVアニメ『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』の第1期アニメーション原案を担当しました。

イラストレーター

稲川のイラストは完全に独学であり、好きなアニメや好きなイラストレーターを模倣することで現在のタッチにたどり着いたのだそうです。もともと漫画家志望だった稲川は影響を受けたアニメとして『STEINS;GATE』を挙げています。一番の夢は「自分の漫画をアニメ化していろんな人に見てもらう」ということで、中学生の頃は、さまざまなアニメを観たり、ギャルゲーをプレイするなど、当時の経験が現在の作品に大きく影響を与えています。また 美しい女の子のイラストも描いていました。

エイサップ・モブとアメリカン・ウォリアー・トレーニング

2016年、ヒップホップクルーのA$AP Mobの写真をInstagramにアップロードしたところ、A$AP Rockyから連絡があり交流が始まりました。稲川は当時米国の学校に通っており、2017年の卒業後、日本に帰国しました。

ユーザーが作品(イラスト・マンガ・小説)を投稿し、たくさんの暖かい声援をもらうことができるSNS「Pixiv」を見た編集者から夏から秋にかけて傑作漫画を描いてほしいと誘われるものの失敗してしまい、次の日A$AP Bariが「JUN、LAに戻ってきて!」と言ったことがきっかけでLAへ再び渡米しました。当時彼は18歳でした。

半ホームレス生活を送りながら、多くのストリートカルチャーを吸収したことで稲川はVLONE ポップアップで成功を収めました。

その後、2018年9月に帰国。

彼はアメリカでの成功により逆輸入という形で成功したと言えるでしょう。

稲川は、幼い頃から日常的にアニメを見ていたため、2次元に対して抵抗がなく「可愛ければ大丈夫」と考えていました。ただ、小学生が見ているアニメは「プリキュア」と「ドラゴンボール」に分かれており、稲川は「プリキュア」を見ていることがバレることを恐れ、見ていないふりをしていました。そしてこっそり影で「プリキュア」を見ていたのだそう。そのことから美少女好きの原点は「プリキュア」と言えるでしょう。

将来像として漫画家を具体的に意識

稲川は、小学3年生の頃から漫画家を目指しており、5、6年生の頃には周りに「漫画家になる!」と公言していたようです。彼はとにかく絵を描くことが好きだったため、クラスメイトの似顔絵を描いてプレゼントしたり、自由帳に友達の漫画を描くなどしていました。

絵を描き始めた当初は村田雄介さんの『アイシールド21』や『ワンパンマン』の絵を真似して描いていたそうです。そのため彼の絵は村田さんの絵とよく似ています。稲川は、村田先生のアメコミ風の影の付け方や感情表現がとても好きだったのです。

また稲川は、村田先生の絵は他の漫画家に比べてコントラストが強い印象があり、白黒がはっきりした特徴があると述べています。これはアメコミが原作だと言われており、海外の漫画は影や顔、骨格や筋肉などがリアルに描かれているものが多いのが特徴です。

稲川は映画は観ますが、漫画には興味がなく、善が悪を倒すスーパーヒーローは人間味に欠けているのであまり好きではなく、アンチヒーロー、黒人ヒーロー、そして人間味のある敵についての物語が好きであると語っています。そのため性格の悪い「デッドプール」に親近感を覚えているそうです。

絵は独学か

稲川は絵画教室に通ったことがあるものの、漫画とは全く違うため、キャラクターの描き方から絵までは、ほぼ独学だと語ります。また、好きな先生の絵を模写することで自分の絵に昇華するようなイメージを持っているのだそうです。

稲川の個展には風景画がありますが、建物などまっすぐなものを描くのが苦手だと言います。その反面、倒壊した建物を描くのが好きで、将来漫画家になったら、アシスタントに背景画をお願いしたいと語っています。

14、15歳の頃には、「けいおん!」に登場するキャラクターが好きになり、その後、視聴券のグッズ目当てに映画「ラブライブ!」を40回見たという驚きのエピソードも語っています。

また、萌の原点である秋葉原は歩いているだけでも飽きないと語っており、そこにいる人たちは同じ「カテゴリー」に属しているため、話さなくても居心地が良いのだと言います。また、アニメのTシャツを着たり、バッジをたくさん付けたりしても、偏見を持って見られることがないのも秋葉原を好む理由の一つなのだとか。

まとめ

今回は、日本のイラストレーターである、JUN INAGAWAについてご紹介しました。彼は国内外問わず、さまざまなブランドやアーティストとコラボしていることから今後も彼の作品は注目されると予想されます。そのため、彼の作品も価値が上がると言えるでしょう。売却・買取・査定をお考えの方はぜひ当社へお任せください。



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