2023.11.26

菅井汲とは?これまでの経歴や主な作品の特徴をご紹介、高価査定買取できる情報もお伝えします!

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菅井汲(すがい くみ)は、神戸市生まれの男性日本人画家です。

主に洋画や版画などの作品を多数残しています。

すでに亡くなられた画家ですが、1960〜1970年代に制作された作品に高い価値がつけられています。

フランスでも制作していた時期があることから、海外でも高い評価を得ている作品が多く、これまで制作してきた作品は数百万円もの高値で査定・買取できることがあります。

菅井汲の作品の大きな特徴といえば、レトロな雰囲気を持つグラフィック要素の強い作風でしょう。無駄を徹底して削ぎ落とし、単純化した作品が多いとされています。

作風は、時代と共に少しずつ移り変わっていきますが、菅井汲も同様に時代によって特徴的な作風があることから、作家の人生を追いながら作品を鑑賞するのも面白いでしょう。

菅井汲の作品は、年代や作品の仕上がり具合によって大きく評価が変わります。

アートオークションなどでは、1千万円を超えるような高値で落札されることもあります。

そのため、高価買取できるアーティストの一人として知られています。

また、画家本人はすでに亡くなっていますので、新しい作品は生まれないことから、これからも作品の高値取引が継続されるであろう日本人アーティストです。

近年は菅井汲の作品を探している方も増えています。

一時的にでも世間で話題になれば、高価買取の可能性が高まります。

美術品としての価値も高いため、安定した多数の売買実績があります。

日本を代表する日本画家である菅井汲は、国内外を含めて世界中に多くのファンがいます。

何も知らない方でも査定を行うと、その人気の高さに驚かされます。

本記事では、菅井汲の経歴や作品の特徴を中心に、菅井汲の作品の査定・買取価格の目安や作品の価値についてご紹介します。

すでに菅井汲に興味のある方はもちろん、これから菅井汲の作品を集めたい、と考えている方にとっても有益な情報を提供していきます。

菅井汲とは

菅井汲は、神戸市東灘区出身の日本人画家です。

本名は貞三です。

大阪美術工芸学校で学び、中退後商業デザインの仕事に就いた後、渡仏しています。

フランスでは、日本画を学んだ自身の作風がパリの美術界で高い評価を与えられています。

作風は、時代によって大きく異なりますが、1970年代の無駄を省いた円と直線の組み合わせによる機械的な幾何学模様の作品が多くなっています。

晩年はスガイの「S」字シリーズを描き続けました。

菅井汲は、リトグラフ、シルクスクリーンなどの作品も数多く手掛けています。

戦後、最も早く欧米で国際的な評価を得られた作家の一人です。

1971年、フランス・レジオンドヌール勲章シュヴァリエ章受章。

菅井汲の経歴

菅井汲は神戸市東灘区生まれ

菅井汲は、1919年に神戸市東灘区に生まれました。

本名は貞三です。

大阪美術工芸学校にて美術や工芸について学びましたが、病気の為に中退しています。

幼い頃から体が弱く勉強が遅れがちであったようです。

そして、1937年からは阪急電鉄宣伝課で商業デザインの仕事に就いています。

絵画については、中村貞以、吉原治良に師事しています。

中村貞以に日本画を学び、吉原治良から油彩を学んでいます。

フランス時代

菅井汲は、1952年にフランスへわたりました。

日本の美術学校時代にしっかりと日本画を学んできたことから、当時の菅井汲の作品は、東洋的なエキゾティシズムをたたえたものとして、パリの美術界で高い評価が与えられました。

フランスでは、岡本太郎や野見山暁治と親交を深めています。

当初はアンフォルメルの影響を受けた、象形文字のような形態を描くような作風でしたが、次第に作風に変化が現れるようになります。

1962年頃から作風が一変したことが、菅井汲が制作していた作品にもはっきりと現れています。

さらに、幾何学的な形態を明快な色彩で描いた「オートルート」のシリーズを制作するようになっていきます。

1962、1968年のベネチア・ビエンナーレ、1965年のサン・パウロ・ビエンナーレ展など、主要な国際展にも積極的に出品を続けていましたので、いずれも高い評価を受けています。

菅井汲の愛車はポルシェ

車が好きだった菅井汲は、1967年にパリ郊外で交通事故を起こしてしまいました。

頸部骨折の重傷を負ってしまいましたが、一命はとりとめています。

しかし、完治するまでには数年という相当な時間が必要でした。

菅井汲は車が好きで、無類のスピード狂であったことがよく知られています。

愛車のポルシェで高速走行している時にふと頭に思い浮かぶビジョンが、そのまま制作のモチーフになっているというエピソードは有名です。

また、菅井汲は、早食いとしても知られており、よく唐揚げ弁当を好んで食していました。

1969年、東京国立近代美術館から依頼された「フェスティバル・ド・トウキョウ」の完成に立ち会うために18年ぶりに帰国しました。

無駄を省いた作風へと大きくチェンジ

菅井汲は、1970年代に入ると、ほとんど円と直線の組み合わせから構成され、より単純化されて徹底して無駄を省いた作品を描くようになっていきます。

モチーフはそのほとんどが機械的に組み合わされていますが、一つひとつのモチーフは正確に描かれています。

それは、高速走行中にドライバーによって瞬時に把握されなければならない道路標識にどこか共通したものがあると言われています。

高速走行中は、周囲のものや障害物などが見えなくなっていますが、道路標識のような通行に最低限必要な情報は見た瞬間に把握しなければ、うまく運転できないでしょう。

菅井汲の「無駄を省く」姿勢は、面白いことに本人の実生活にも大きな影響を与えています。

例えば、朝食、昼食、夕食の基本となる三食のメニューは、毎日決まっていて、同じメニューを1年365日、20年間食べ続けたという、変わったエピソードが残っています。

メニューの組み合わせは、朝食はコーヒーとチーズ、昼食はスパゲッティ・トマトソースとソフトサラミなどといったものです。

晩年の「S」字のシリーズ

菅井汲は、晩年になると、今度は「S」字のシリーズを描き続けています。

「S」は、「スガイ」の「S」であるということはすぐにわかりますが、別の意味としては、高速道路のカーブという意味も込められています。

菅井汲は「なぜ同じ絵を描き続けてはいけないのか」と問いながらも、同じパターンを描き続けることの行為そのものには個性があると考えていたようです。

菅井汲の残した多くの作品の中には、リトグラフやシルクスクリーンなどの作品もあります。作品数は400点以上にものぼります。

菅井汲の作風

菅井汲の作風には大きな特徴があり、そのユニークなエピソードと共に大変注目されています。

極限まで徹底して無駄を削ぎ落した菅井汲の作品は、菅井汲自身が愛してやまなかった愛車ポルシェで走っているときに、次々と流れては消えていく道路標識のイメージが元になっているそうです。

また、実生活にもその考え方が徹底しており、本当に無駄なことが嫌いだったため、朝昼晩、毎食同じメニューを20年間食べ続ける生活を送っていたそうです。

戦後には菅井汲は渡仏しています。

当初は、日本画の可能性を見出したい、といった思いから、シュルレアリスムと東洋性を組み合わせたような作品を描いていました。

しかし、次第に作風にも変化が見られ、その後厚塗りを施した「〇」や「□」のようなシンプルな幾何学模様で自己を表現するようになっていきます。

この時期の菅井汲は、凄惨な戦争というものを直に経験し、「描くということ」が芸術家にとっては「生きるということ」の意味であったのかもしれません。

さらに、作風は変化していきます。幾何学模様はもっと単純化され、線と円で描かれた作品は、菅井汲のイニシャルまたは高速道路を通る際のカーブのような「S」をモチーフにすることが多くなっていきました。

菅井汲は「なぜ同じ絵を描き続けてはいけないのか」と自問自答しながら、逆に同じような絵柄を何度も繰り返すことを意識し、その意義を見出そうとしていました。

代表的な菅井汲の作品は、フランスや日本にも多く収蔵されていますが、2016年に開催された香港オークションでは、作品に1,000万円もの値が付いたことでも話題を呼びました。

あくまでもグラフィック要素を強く意識した独特の作風は、レトロな雰囲気を持ちながらも無駄を省いて洗練されています。

そして、いつまでも「生」を問い続けた菅井汲のストイックな人柄を表しているかのような印象があります。

菅井汲の作品

菅井汲の買取価格情報の一部が公開されていましたので参考情報として紹介します。

菅井汲の死後も人気は衰えていません。

特に1960~1970年代に制作されたキャンバス作品に関しては、どれも100万円を超える買取査定がついています。

もちろん、キャンバス作品以外にも、水彩や版画も多数制作されています。

その場合は、キャンバス作品よりは落ち着いた価格帯での査定がついています。

菅井汲の作品は、世界中で美術界でも高い評価を受けています。もちろん、知名度もあります。

物故作家であり、新しい作品は出てこないため、これからも査定額は下がることはない、と考えられます。

菅井汲の作品は査定・売却は可能なのか

ここまでで菅井汲の経歴や作品の特徴についてご紹介いたしました。

ここからはすでに菅井汲の作品を所有してる人やこれからの所有を検討している方に向けて、高値査定や売却のポイントについてご紹介します。

作品の発売直後

美術品等の査定・買取はその作品や作家の知名度が高ければ高いほど、査定・買取も高くなります。

発売直後の作品は、メディアで取り上げられる機会も増えます。

そのため、認知度や注目度が高まり、一時的に査定額が高くなります。

菅井汲はすでに世界中から高い評価を得ている日本人画家です。

過去に手掛けた作品を所有している場合は、状態が綺麗かつ発売直後の状態のままであれば、満足できる高い査定結果になるでしょう。

メディアで注目されるとチャンス

人気芸能人や海外セレブがアーティストの作品やグッズを愛用していると「人気が高くなる」ことがあります。

過去にトレンドとなった作品は、発売から長時間が経過していても、再度注目が集まると知名度が上がって高額査定になります。

作品の売却を検討する場合は、各方面での情報、メディアやニュースなどをチェックし、売却時期を見極めてください。

菅井汲の作品は、作品の数が少ないうえに、アートオークションでなければお目にかかれないような希少価値の高い作品が多く、確実に高額査定です。

作品のサイズや作品の内容によっても買取金額は大きく異なりますが、菅井汲作品の売却をご検討の際にはぜひ弊社にもお声掛けください。

まとめ

本記事では、菅井汲の経歴や作品の特徴、その作品の査定価格の目安と売却時の注意点について詳しくご紹介しました。

「菅井汲」は、すでに国内外で高い評価のある日本人画家です。

これから菅井汲の良質の作品を集めようと考えている方も、別のアーティストの作品が欲しくなって手放そうと考えている方も、菅井汲の作品を査定・売却したい方は、ぜひ弊社にお問合せください。



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