2024.11.22
作家名
2024.11.22
今回ご紹介するハシヅメユウヤ(橋爪悠也)は、単色で彩られたベースに、一粒涙が流れ落ちるキャラが有名です。アニメのような描画によって描かれた作品シリーズ「eye water」によって近年注目を集めているアーティストです。
ハシヅメユウヤ(橋爪悠也)の描くキャラからは、一筋の涙が……。
この表現はまさに、彼にとって大事なエレメントです。
今回は、ハシヅメユウヤ(橋爪悠也)のアートを深堀します。
目次
ハシヅメユウヤ(橋爪悠也)は、1983年岡山県に誕生しました。
現在は東京を拠点に意欲的に活動しています。
2016年以降、
2019年 「eyewater BEYOND」104Galerie-R(東京)
「FRECKLES GIRL sobakasu-chan」 carnival bkk(バンコク)
「THISone」 yeanstore(岡山)
2020年 「eyewater London -Monochrome-」The Waluso Gallery(ロンドン)
「eyewater Seoul 01&02」gallery young(ソウル)
2021年 「eyewater Shanghai」XU GALLERY(上海)
「GRAVITY POINT」Yutaka Kikutake Gallery(東京)……など、
東京などの国内を中心として自主企画である展覧会を続け、様々な海外での展覧会にも参加しています。
小さいころから、とにかく描くことや作ることが好きだったハシヅメユウヤ(橋爪悠也)は、専門学校を卒業したあとは、アウトドアブランドでの仕事を通し、ブランド性や、プロダクトのノウハウについて勉強をします。
また、イラスト、デザインのスキルをマスターし、PR部門で仕事をこなしつつ広告デザイン、店頭でのプロモーションマテリアルの制作などに関わってきました。
その後、彼は仕事を退職し、あくまでも独学で学ひ続け、試行錯誤を繰り返したのち、自分流のアートを追求していくことになります。
2016年に開催したはじめての展覧会では、「実際には存在していない新種の植物を見つける」と言ったフィクションのストーリーをベースとし、ユーモアを感じる映像であったりイラストを含むインスタレーションアートを展開しました。
また、子どものころから好きだった、ドラえもんをはじめとした「藤子・F・不二雄」のマンガ作品に触れ、人物や動物の姿態を描くアート作品を発表しています。
そこには、彼なりの完成された藤子・F・不二雄の作品から、虚構を生み出す企みがあります。
まさに、彼のアートに存在しているのは、「オリジナリティーの不在」であり、逆手にオリジナリティーの不在をうまく活用しようとし、虚構とオリジナリティーとの間に発生するズレを、魅力のあるアートにしようとする意図を散見することができます。
ハシヅメユウヤ(橋爪悠也)の作風は、「オリジナリティー」と「コピー」との境界をさまようようなアートであると言っていいのではないでしょうか。
彼の作品は、マンガ家、藤子・F・不二雄の作風を参照した一連の作品で多くの人々にその名が知られています。
鑑賞する側も幅広い世代の人たちが、藤子・F・不二雄の世界が登場することでなんの躊躇もなく入り込んでくれることでしょう。
藤子・F・不二雄の作品を自己のアートの中に取り入れようというヒントを得たのは、2017年地元岡山で開催した「FUJIKOGANSAKUSHI(藤子贋作師)」(the PLACEBOX3129)という展示からです。
ハシヅメユウヤ(橋爪悠也)は、自らをオリジナリティーを創作するアーティストではなく、「贋作師」であるとここであからさまに認めた形です。
アーティストとは何ものなのか。
アーティストが現存するアーティストの真似事をしていくだけであれば、永遠に現存するアーティストを越すことはできないし、自分は描かないでも現存するアーティストに任せておけばいい問題です。
しかし、その場合、オリジナル性は現存するアーティスト藤子・F・不二雄に任せてしまうことになります。
そんな中、彼は、自身のアートの方向性を肯定するかのように、「すべてのものは何かの真似事である」と語っています。
原始時代にはオリジナリティーは存在していたのかもしれないけど、もはや現代社会はオリジナルと呼ばれるものが出尽くし、死滅した時代であり、みんながオリジナリティーが既に不在であることを隠し隠し生きている。
そっちのアートの方が全然うさん臭くもあるのではないかと昔からこのような考えをもっていたと言います。
しかし、正直に言って一般的にあまり評価されるアートの形ではないのかもしれません……。
オリジナリティーを見つけることができない人間の戯言のようにも聞こえます。
しかし、この言い分が通じる世界こそがアートの世界なのではないか……。
世間では、オリンピック・パラリンピックのエンブレムの盗作問題など、コピーについて激しく追求するようになってもきました。
法的にこうだと言われれば、もうそれに従わなければならないのは当然のことなのですが。しかし、彼には、そんなに目くじらをたてるほど「オリジナル」と「コピー」との境界線ははっきりしているものではないという強い気持ちがありました。
彼は、いつも先輩の仕事を真似るような生き方をしてきて、「自信をもって先輩を盗作している」気持ちがあったと言います。
しかし、一方で人たちは、相変わらずオリジナルに拘りをもっているのも事実です。
果たして、この溝はどうして生まれてしまうのでしょうか。
やがてその疑問をハシヅメユウヤ(橋爪悠也)自身、「藤子・F・不二雄」のモチーフにと投げかけたのです。
「橋爪悠也 eyewater -everybody feels the same- / 普通について1」の彼のアート作品では、まさに、藤子・F・不二雄ワールドが全開しています。
そして、少年の片方の目からは、ハシヅメユウヤ(橋爪悠也)独特の手法である「涙」が。
彼のアートは、藤子・F・不二雄の真似事だけでなく、ポップアートのアンディ・ウォーホルであったり、ロイ・リキテンスタインと言ったアーティストの真似事ではないかという思いもあります。
しかし、現在彼のアートに対して、藤子・F・不二雄の真似事ではないかという悪評があったとしても、ポップアートの真似事ではないかという人は居ないのです。
・藤子・F・不二雄の真似事である
・ポップアートの真似事である
人々は一体どこで線引きをしているのでしょうか。ここにはいささか疑問があります。
つまり、オリジナルとコピーの境界線はあることはあるのかもしれないけど、極めて曖昧であり、ぼやけているのです。
現代とちょっと以前の時代の大きな変化は、今この瞬間にもSNSで情報がすぐに拡散してしまうことです。
誰かがこれはコピーだと言えば、誰もがコピーだとわめきたてる時代です。
しかし、言い方を変えればSNSも一長一短であり、SNSでハシヅメユウヤ(橋爪悠也)について悪評が流されるほど、彼の知名度は確実にアップしました。
そして、実際に彼のアートがコピーであるということを確定する決め手は何も存在していないため、その中からある一部の人たちが、彼のアートをアートとして評価してくれたのなら、それはそれでSNSの恩恵を受けていると言えるでしょう。
ざっくりと言えば、コピーと騒がれることは、メリットにもなりうることなのです。
オリジナリティーを追求すれば、もう現代社会にはオリジナリティーなど何も残っていないのかもしれません。そのようなものは、既に昔の人たちが掘り起こしてしまったのです。
であれば、現代社会の人たちは、どのような生き方をすればいいか。
コピーに縋りつきなさいと言う訳ではないけど、もっと軽いモチベーションでコピーとオリジナリティーの境界線部分を彷徨ってみてもいいのではないだろうか。
彼は現代のアートに大事なのは、この軽さではないかと語っています。
何故、彼のアートの人物は涙を流しているのか。多くの人たちが疑問に思っているひとつです。
そこにだって、インタビューした人を納得させるような自己流論理が存在している訳ではありません。 インタビューした人たちは聞いたことでがっかりしてしまうかもしれません。
インタビュアーたちは、「こういう答えを答えてくれなければ困るんだよ……」と内心怒っているのかもしれません。
しかし、現代社会とはそのような時代なのです。オリジナリティーは存在しないけど、コピーとオリジナリティーの境界をさまよい臨機応変に対処することこそが、現代流オリジナリティーなのではないだろうか。
彼は、「なぜ涙を流しているのか」という質問に対して、「藤子・F・不二雄の作品には、泣いている登場人物が多くいますよね」と語っただけです。
ちょっと期待外れな感じもありますが。
しかし、彼は、藤子・F・不二雄の作品から「涙」を切り取り、
延々と扱い、ハシヅメユウヤ(橋爪悠也)流に見事に仕上げたのです。
現在、ハシヅメユウヤ(橋爪悠也)のアートを所有していて売却査定して欲しいと思っている方々もいらっしゃることでしょう。
彼は、現在注目されている現代アーティストであり、今後も高い売却査定額を充分期待することができます。
たとえば、彼の代表作とも言えるeyewaterは、買取相場は10万円~15万円前後で取引されています。
eyewater ver.China Dressは、赤いチャイナドレスを着て、涙を流す女性の画です。こちらの買取相場は、10万円~13万円です。
Work(4)は、赤と黒髪の強烈なコントラストが目を引くアートです。こちらも当たり前のように涙が流れています。買取相場は5万円~6万円あたりです。
いかがでしたでしょうか。
今回は、ハシヅメユウヤ(橋爪悠也)のアートについて解説しました。
まさにポップアートにもつながる軽いアートであり、気軽な気持ちでお部屋に飾ることができるアートです。
アートのキャラからは、一筋の涙が。
果たしてなんのために涙を流しているのでしょうか。
それは、ただ藤子・F・不二雄の作品の中に涙を流している人物が多いからだといいます。
ハシヅメユウヤ(橋爪悠也)は、オリジナリティーとコピーの境界線をさまようアーティストです。その涙さえも、それほど悲しい感じもなく、嬉しいという感じでもなく、感情から切り離された不思議な涙のように見えます。まさに、ハシヅメユウヤ(橋爪悠也)のアートを語る上で大事な要素です。