2024.11.22
作家名
2024.11.22
「堂本尚郎」は、1928年3月2日 から 2013年10月4日の時代を生きた、京都出身のアーティストです。
日本画家を極めた堂本印象の甥でありながらも、堂本尚郎自身は、日本画ではなく洋画を極めることになります。
目次
堂本尚郎は、1948年(昭和23年) 、 第4回日展において「畑のある風景」という作品ではじめて入選を果たします。
また、1949年(昭和24年) には、 京都市立美術専門学校、現在の京都市立芸術大学の日本画科を卒業しました。
1951年(昭和26年) には、第7回日展の特選に選ばれています。
このころまでは、堂本尚郎は、堂本一族のレールに従ったアートを描き続けていたと言っていいでしょう。
しかし、彼は海外の風に誘われ、やがて心の底にある反骨精神をアートとして形状化することになります。
1955年(昭和30年)に 彼はフランスに渡ることになります。そして、フランス・グランド・ショミエール芸術学校において、油画のアートを勉強することになりました。彼が、アンフォルメル運動に参加するのもこのころです。
1979年(昭和54年) には、シャトー・ムートン・ロートシルト のラベルデザインを担当、1983年(昭和58年)、堂本尚郎はフランスから多大な評価を得、芸術文化勲章シュヴァリエ章を受章することになります。
その後、彼のアート、また運動は、日本からも大きな評価を得て、1994年(平成6年)には、紫綬褒章を受章しています。
1996年(平成8年) には、フランス政府からレジオンドヌール勲章シュヴァリエ章を受章。
2001年(平成13年) には、フランス政府から芸術文化勲章オフィシエ章を受章。
2003年(平成15年) 、日本政府から旭日小綬章を受章。
そして、2013年(平成25年)10月4日 、堂本尚郎は、 急性心不全のため死去します。85歳の年齢でした。
今は、映画などを見てもそれ程ではないと思うのかもしれませんが、堂本尚郎が躍動的に生きた時代は、フランスアート・文化がかなり日本にも浸透して、影響を受けていた時代でした。アンフォルメルのことがなんだかよくわからない……という人たちも、堂本尚郎のアートをファッショナブルで恰好いいアートとして受け止めていたところもあるのでしょう。
まさに、その時代、堂本尚郎は、日本とフランスをつなぐ大きな橋渡しの役割を果たしたともいうことができます。
堂本尚郎のアートと切り離すことができない位置づけにあるものがアンフォルメル(非形式)です。
アンフォルメルとは、第二次世界大戦が終焉し、フランスを中心として起こったアート運動のことを言います。
アンフォルメル運動を起こしたのは、批評家の「ミシェル・タピエ」です。
ミシェル・タピエは、戦争下において、人間の抱える不安をアート化したフォートリエ、デュビュッフェ、ヴォルスと言ったアーティストに影響を受けて、1951年には、「激情の対決―非具象絵画の最先端」展を開催した人物です。
また、ミシェル・タピエは、さらに展覧会「アンフォルメルの意味するもの」を企画し、アンフォルメルを強く主張してきました。
アンフォルメルは、構成主義をはじめとした幾何学抽象の冷たい抽象とは違い、激しい感情の表現があり、熱い抽象と批評されることが多くあります。また、アンフォルメルは、当時フランスで流行していた実存主義とも共有しあうスピリットがあります。
アンリ・ミショー、ジョルジョ・マチウ、ピエール・スーラ―ジュ、ハンス・アルトゥングと言ったアーティストの面々が、アンフォルメル運動に参加、日本人としては、堂本尚郎だけでなく、今井俊満もアンフォルメル運動に参加します。
アンフォルメルは、アーティストらが積極的に運動することで、一般的に名が浸透することになります。
日本でも、「世界・今日の美術展」(日本橋高島屋)で紹介されたり、アーティストらが積極的に来日することなどがあって、一種のアンフォルメルブームが起きています。
アンフォルメル、それは、アートからフォルムを排除することです。描き出す身振りであったり、マチエールをアピールすることで、様々な絵画に存在している伝統を破壊し、「描くとは何か」ということについて、根本的に問うています。
ピカソであったり、ブラックらによって創りだされた立体派は、生命の躍動感を、抽象的なフォルムを分断し画に定着させたため、描かれたアートは、冷たいイメージをどうしても避けることができませんでした。
また、立体派のアートは、戦争が終焉して、一般的アートの形式として認知されることになります。「アートが一般的アートとして認知される」それは、いい面もあるのですが、アートがいつの間にかマンネリ化してしまう危機を避けることができません。
「アートは、もっと一般とは切り離された、もっと躍動するものであるべきなのではないか」そこで誕生するものが、冷たい幾何学的抽象ではなく、熱い抽象であるアンフォルメルです。
時々世の中には、芸術一族という存在が登場することがありますが、堂本尚郎もまさにそのような芸術一族です。
ですから、堂本尚郎のアートの意味を深く読み取るためには、他の堂本一族のアートにも触れておく必要があります。
堂本一族は、多くのアーティストを誕生させた名門として知られています。最も有名なのは日本画家を極めた堂本印象であり、さらに、元次、阿岐羅と言ったアーティストたちです。
しかし、堂本尚郎は、一族でありながらも一族とは違う道を辿ることになります。
まさに、アートは破壊することであり、冷たい抽象を破壊したものがアンフォルメルであるのなら、堂本尚郎は、一族に存在しているマンネリ化しつつあるアートも破壊しようという企みをもっていたのかもしれません。
力強くパワフルな抽象のグランドスウェルが世界中いたるところに同時多発しますが、アンフォルメルは最も先鋭的運動として捉えられています。「連鎖反応」は、グランドスウェルがまるで連鎖反応を起こしているかのようなアート作品です。
「連鎖反応 水」は、水面のさざ波を想像させる、繊細さを感じさせる堂本尚郎の作品です。軽快、かつ透明感のある色彩が多く使われ、物質が視覚的なものに乗っ取られてしまったかのようです。
堂本尚郎の「ブルー」は、アートから放射される深い輝きに感銘を得る作品となっています。そこにはミステリアスで深い青が描かれています。潮の満ち干が、あたかも月齢とかかわるかのよう、コスモスの気の遠くなるような壮大な法則に触れているような気がします。
「堂本印象」は、堂本尚郎の伯父にあたり、1891~1975年の時代を生きたアーティストです。帝展や日展を中心に実績を重ね、寺院の襖絵などにも関わり、名声を得てきました。
また、堂本印象は、京都市立絵画専門学校の教授として後進の育成にも努めてきました。
堂本印象は、伝統的日本画様式を引き継ぎ、写実的な花鳥画であったり風景画を創造してきましたが、晩年には、パステル画のような鮮やかな色合いが特徴な作品にシフトもしています。
「堂本元次」は、1923~2010の時代を生きたアーティストです。
堂本元次は、花、風景を描いた作品を多く残し、パステルカラーで創造された作品は高い評価を得ています。
「堂本阿岐羅」は、1922~のアーティストです。まだ存命しています。1941年に京都市立絵画専門学校の日本画科を卒業し、日展を中心に実績を重ねてきました。
堂本一族の中でも、最も日本画らしい日本画を描いてきたのは、堂本阿岐羅とも言われています。
まさに、堂本尚郎は、堂本一族とは全くかけ離れた異色のアーティストということになります。
2005年、世田谷美術館において、「堂本尚郎展」が開催されました。
そこでは、堂本尚郎の辿った絵画探求60年の全足跡を追うことができます。
1967年、堂本尚郎は、日本に帰国し、東京にアトリエをもち、血を引き継ぐ日本人画家として、新しい画境を切り拓いてゆく道を選ぶことになります。
堂本尚郎展では、これまであまり出展されることのなかった、初期の日本画からはじまり、初公開となる最新作まで、代表作多数を含めたおおよそ100点もの油彩画などを鑑賞することができました。
戦後、常にアートを最先端にあって牽引してきた反骨精神をもつ堂本尚郎ですが、もっと俯瞰した目で見れば、彼は、堂本一族の名を汚すことはなく日本画をこよなく愛した画家であるということも見えてきます。
現在、堂本尚郎のアートを所有していて、売却査定して欲しいという方々もいらっしゃることでしょう。
堂本一族のアートは、それぞれ高い買取価格がつく可能性が高いですが、あえて現在、一番売却査定で高い価格がつきやすいのは、堂本尚郎です。
堂本尚郎のアートは、数十万円で買い取りされることもあり、また100万円以上の価格がつくものもあります。
写実的な作品の場合、数万円~10万円あたりの価格帯です。また、パステルカラーで構成されたアート作品は、20万~40万円あたりの価格帯です。
堂本尚郎は、堂本一族と比較しても海外からも大きな評価を得ている人物であるため、そのようなアート作品は高い売却査定がつく傾向があります。まさに、買取市場はマーケットの大きさにも左右されると言っていいでしょう。
特に、堂本尚郎の油彩は厚塗りの物もあり、大量に流通不可であるため評価もおのずと高まり、求めている作品ということもあって、かなりの高額買取を期待することができます。
1960年あたりに制作された「二元的なアンサンブル」などは特に人気があります。
いかがでしょうか。今回は、堂本尚郎のアートについて、また、売却査定について解説しました。
内側から次々に湧き起こる動きが画面を這い回って、「内」と「外」、「前」と「後」の境を消滅させる渾沌としたスペースが広がっています。
堂本尚郎は、まさに冷たい抽象を破壊、堂本一族を破壊するバイタリティーあふれるアーティストです。
堂本尚郎は、名高い堂本一族に属し、日本画のスピリットを引き継ぐことも当たり前にできたはずです。そして、その方が楽でもあったことでしょう。
しかし、堂本尚郎は、その道を選ばず、全く違う道を歩んでいくことになります。堂本尚郎に存在していたのは、現状を破壊する精神です。その精神が、うまく海外のアンフォルメルとマッチしたのです。
今後、堂本一族のような芸術一家が登場する可能性もそれ程高い訳ではありませんので、今後もっと堂本尚郎を含めた堂本一族のアートがより注目されることになるのではないでしょうか。
堂本尚郎のアートは、現状、かなり注目されているため、充分高い買取価格を期待することができます。