2024.11.30
作家名
2024.11.30
2023.11.27
「丁紹光(読み方:ティン・シャオカン」は、中国陝西省出身の画家です。北京で美術を学び、雲南省で教鞭を取るなどしたあと、アメリカへ移住しました。アメリカでも教授を務める傍ら、作品制作を行い、世界から注目を集める東洋の画家です。ここではそんな現代中国絵画の巨匠として注目されているアーティスト丁紹光について解説していきます。
目次
1939年 中国のほぼ中央、内陸部に位置する陝西省出身で生まれる
ー陝西省の省都は西安市で、隋や唐の時代には首都長安が置かれ、シルクロード起点の地として知られる、歴史ある地域です。省内には始皇帝陵があり、兵馬俑が発掘されたことでも知られています。
1946年 7歳のときに、父親の仕事のため、一家で北京へ移る
1950年ごろ〜 11歳の頃から絵画に夢中になり始める
1955年ごろ 高校時代にとある美術教師と出会い、その先生のもと絵画を体系的かつ基礎的に学び始めます。
1957年 18歳のとき、中央工芸美術学院に入学、装飾画を専攻
1962年 23歳のとき、中央工芸美術学院を首席で卒業
ー中央工芸美術学院とは、現在の清華大学美術学院です。清華大学は、中国はもちろん、アジアではトップクラス、世界でも最高レベルに位置する大学です。中央工芸美術学院は、1999年に清華大学と合併し、現在の名称へと変更されました。中国の芸術系大学の中で最も影響力と実力を備えた大学のひとつです。そのような学校を首席で卒業しているという経歴から、丁紹光がいかに優れた芸術的才能を持ち、同時に同じように才能あふれる学生たちと学ぶ中で、自身の才能に甘んじることなく、それを磨く努力をしてきたことがうかがい知れます。
1962年~ 雲南芸術学院で教鞭を取り始める
ー同大学での教授期間は1980年まで、18年にも渡りました。
1979年 中国政府の依頼により、北京の人民大会堂の大壁画を制作
1980年、丁紹光はアメリカに活動拠点を移すべく、渡米しました。1983年には、アメリカ絵画展で金賞を受賞、1992年にアメリカ国籍を取得しました。
1983年 アメリカ絵画展で金賞を受賞
1984年~ カリフォルニア大学ロサンゼルス校で教授に就任
1986年~ この年から、1996年までの10年間で、世界各国で400回にも及ぶ個展を開催、作品は50の国と地域に所蔵されていると言われています。
1988年 初めて来日し、日本での初めての個展を開催
1992年 アメリカのクリスティーズオークションで、現代東洋作家史上最高値で落札される
1993年 国連公式アーティストに任命される(1993年~1995年)
1995年 NHK出版協会より「丁紹光作品集」が出版される
ーこの作品は出版文化国際交流賞を受賞しました。
1998年 上海大劇院の大壁画を制作
ー上海大劇院は21世紀の建築物としても、世界中から注目を集めました。
2001年 ユニセフ・国際連合児童基金の依頼により、チャリティー作品を制作
2011年 上海文化広場オペラ座ステンドグラスの大壁画を制作
ー上海文化広場オペラ座は世界最大級、最多席を有する劇場としてオープンし、丁紹光の巨大なステンドグラスは世界中の注目を集め、日本でもそれを記念した展覧会などが開催されました。
このように、丁紹光は学生時代を含む人生の前半を中国で過ごし、芸術的知識や技法を学んだのち、後半はアメリカで過ごしていることがわかります。渡米後は、アーティストとして、アメリカだけでなく、世界を舞台に個展を開いたり、活動を行ったりしながら、国連における平和や人権活動にも寄与しています。それは、丁紹光が「天と地と人の調和」をテーマとして掲げ、「愛と平和」や「人と自然」を描いた作品を多く制作していることも関係しているかもしれません。
丁紹光の作品テーマは「天・地・人の調和」です。そして、その原点は、中国雲南省の「西双版納傣族(シーサンパンナタイ族)自治州」だと言われています。
丁紹光は、大学卒業後、18年間雲南省で教鞭を取っており、そこは丁紹光の芸術的拠点でもあり、第2の故郷でもあり、精神的な故郷でもあるのです。シーサンパンナは、雲南省南部、ラオスやミャンマーと国境を接する少数民族の自治州であり、中華圏というより、東南アジアの雰囲気が濃い地域です。丁紹光がシーサンパンナを訪れたのは大学在学中でした。当時中国国内では自然災害による飢饉が3年も続いてしましたが、シーサンパンナは太陽が輝き、木々は生い茂り、色彩豊かで、全てが生命に満ちており、まるで楽園のようでした。さらに、丁紹光はそこに住む少数民族の個性とシンプルで優雅、簡潔で、変化に富んださまざまな民族舞踊に衝撃を受けました。
丁紹光はシーサンパンナの原始的で、自然で素朴な美しさに惹かれ、そこが世俗を離れ自然に還る場所、そして自分の居場所だと感じたのだそうです。シーサンパンナが丁紹光の芸術的キャリアのターニングポイントであり、出発点になったのだと言えます。
このような雲南省での経験もあってか、丁紹光の制作する作品は「天と地と人の調和、共存」や「愛と平和」、「バランスと調和の取れた世界」がテーマとなっています。特に多く描かれているのは母親や子供をモチーフとした、生命の尊さや尊厳、生命力を感じさせる作品です。
このようなテーマを作品に内在させて制作している丁紹光は1993年から1995年までの3年間、国連の公式アーティストに任命され、その作品が「国連切手」のデザインとしていくつも選ばれました。「国連切手」とは国際連合の郵便組織「国際連合郵便」が発行する公用切手のことです。国連の職員でなくても、国連の郵便局で差し出す場合は一般人でも使用することができ、国連切手は国連本部があるニューヨーク、スイスのジュネーブ、オーストリアのウィーンの国連管轄郵便局で販売もされています。国連切手は、国連の活動を、切手を通じて広報するためのひとつの手段であり、そこに採用されたということは、丁紹光の作品が、国連の活動目標や指針と合致し、広く認められたということを意味することは言うまでもありません。
また、1993年には国連世界人権宣言を記念して、「人権の光」が、翌94年には国際家族年を記念した「母性」、1995年には「宗教と平和」という作品が、それぞれ限定版として国連からは発表、販売されました。
さらに丁紹光は1998年に再び、国連の公式アーティストに選出され、国連世界宣言50周年を記念した作品を制作、数量限定で世界中の加盟国で販売され、その収益は平和や教育事業に充てられました。
丁紹光の作品は、風景だけを描いた作品は少なく、切れ長な目が印象的な女性を、線を多用して描いた画風が特徴です。色合いははっきりとしており、女性の表情ともあいまってクールな雰囲気を醸し出しています。線を多く用いたその描写は、キュビジュムを思い出させると同時に、描かれている楽器や壺、服装のデザインや色合いには、原始的なものを感じさせます。また、丁紹光が描く華麗な色彩と流れるような線描に際立つ魅惑的な群青色のグラデーションは「ティン・ブルー」と呼ばれており、その独自性を確立させています。
1992年にクリスティーズのオークションで、現代東洋作家史上最高額での落札を記録したものは岩彩画ですが、丁紹光の作品として広く知られ、また最も多く流通している作品はシルクスクリーンです。したがって、シルクスクリーン以外の原画などは、高値での査定や売却が期待できます。一方、シルクスクリーンなどの版画は、近年需要より供給のほうが上回っているとも言われており、丁紹光は制作した作品数も多いことから、売却の場合には数万円となる可能性もあります。
現在、日本国内の画廊やギャラリーで購入可能な作品を紹介します。
―女性がまとうターコイズブルーが目を引く作品です。髪の長い女性が天を見上げるようにして立っている姿が描かれています。背景には古代壁画を連想させるような動物たちや馬車などが描かれています。
120,000円
-青い衣服を身に付けた女性が膝を抱えて座っています。丁紹光の特徴でもある切れ長の目の女性が描かれています。青い衣服の一部である少しの赤が、周囲とのコントラストを強調し、丁紹光の特徴でもある青がより際立って見えます。
約130,000円
-弓矢を持った女性が躍動的に描かれた作品です。身に付けている装飾品と透け感のあるスカート、そして風になびいているような長い髪と、弓矢を手にした長い手が融合し美しさと躍動感、そして強さを感じさせる作品です。背景には、象形文字のような抽象的なデザインが施されています。
約130,000円
-前出の「火の鳥」と同じモチーフの女性の異なる動作の情景が描かれています。
丁紹光の作品は、シルクスクリーン作品が主で、その流通量も多いと言えます。特に人気がある作品は「母と子」や「シルクロード」シリーズで、それらは高額での売却や買取が期待できます。また、シルクスクリーンなど、版画作品の場合は、版上サインか直筆サインかによっても価格が異なってきます。版上サインは図柄と一緒に刷られるサインであり、直筆サインの方が、高額査定が見込まれます。さらにエディションナンバーの有無も査定のポイントになります。エディションナンバーがある数量限定作品の方が、高値で取引されるでしょう。シルクスクリーンは、その図柄や制作数など、様々な要因によってその作品価値が異なるので、査定の際は複数の専門業者から見積もりを取るなどして、適正な取引価格を知ることが重要です。弊社でも丁紹光の作品買取を行っております。丁紹光の作品買取や査定はぜひ弊社にお任せください。