2024.11.30
作家名
2024.11.30
「鶴岡義雄」は、茨城県土浦市出身の洋画家です。女性をモチーフに、華やかでモダンな作品を多く残しています。パリにアトリエを構え、作品を制作していた時期もあり、代表作は「マドモアゼル」シリーズと「舞妓」シリーズです。西洋的造形思考をベースに、シュルレアリスムやキュビスムの手法も取り入れ、独自の幻想的な世界を描いています。ここでは女性をモチーフに、魅惑的な世界を描いた数々の作品を制作したアーティスト、鶴岡義雄について解説していきます。
鶴岡義雄は1917年、茨城県土浦市で生まれました。父親は浄瑠璃の一種である義太夫の名手、母親は三味線の師匠で、芝居小屋や映画館の経営にも携わっており、芸能一家のもとで育ちました。
旧制中学校(現在の中学校~高等学校)在学時に絵画に興味を持つようになり、画家を志します。1937年、20歳のとき日本美術学校(現在の日本美術専門学校)に進学し、林武に師事し、洋画を学び始めます。ここで、後の二科会幹部である織田広喜や鷹山宇一らと知り合いました。1941年、日本美術学校を卒業し、第28回二科展に「台湾蛮女」を出品し、初入選を果たします。1944年には関東軍の報道班としてハルピンに赴任し、帰国した後、故郷土浦で終戦を迎えました。
戦後、1946年、同郷の日本画家、服部正一郎とともに二科会茨城支部を結成し、創立会員として、その後の二科展にも毎年出品していました。戦時中は風景や人物像の写実的な描写作品を中心としていましたが、1950年代半ばからはシュルレアリスムやキュビスム的な手法、幾何学的な構成を取り入れた作品を制作し始めます。1950年代後半~1960年には、スケッチ旅行として北中米や西欧各国を周り、緻密に計算された構図や配色によるモダンな風景画を多く制作しました。
1966年には日本美術学校の講師となり、1969年には、毎年秋にパリで開催される展覧会「サロン・ドートンヌ」の会員となりました。
1970年、第55回二科展にて東郷青児賞を受賞し、翌年二科会の委員となりました。1973年、フランスへ渡り、パリにアトリエを構えます。翌年には家族で凱旋門近くのアンリ・マルタン街に住み始めました。その頃に制作されたのが代表的シリーズ「マドモアゼル」です。その名の通り、パリの女性たち「マドモアゼル」をシャープな輪郭と華やかな色使いで描いた作品で、現在も根強い人気を誇るシリーズです。そして同時期、第59回二科展で内閣総理大臣賞を受賞し、この入賞作品によって、鶴岡義雄の耽美様式が確立されたと言われています。
「耽美」主義とは、政治や社会を主題とするより、「美とは何か」を追求し、美しさという点に主眼と価値観を置く芸術運動のことです。また、ここでの美しさとは、作品内部に込めた意味や意図、解釈などではなく、表層的な美しさを指します。
そしてこの頃、もう一つの代表シリーズとなる「舞妓」をモチーフとした作品の制作を始めました。この「舞妓」シリーズは、いわゆる日本画のような作風ではなく、西洋的な思考に基づいて制作されている点が、鶴岡義雄の作品の特徴です。
1970年代まで、画家として制作活動に没頭し、多くの作品を描いてきた鶴岡義雄ですが、1980年代に入るとそれまでの功績が広く認められるようになりました。そして2000年代初めにかけて、鶴岡義雄は様々な要職に就いたり、勲章を受章したりするなど、画家としての社会的地位を確立していきました。
1980年 二科会常務理事に就任
1986年 「鶴岡義雄画集」刊行(日動出版)
1990年 第74回二科展に出品した「舞妓と見習いさん」が日本芸術院賞を受章
1993年 日本美術学校名誉教授に就任、勲四等旭日小綬章受章
1996年 日本美術学校名誉校長に就任
2002年 二科会理事長に就任
2006年 二科会名誉理事に就任
そして2007年、東京都内の病院でがんのため逝去しました。享年90歳でした。
「マドモアゼル」は1973年、パリへ渡ったあと、パリの女性たちを描いた、鶴岡義雄の代名詞とも言えるシリーズ作品です。パリジェンヌの横顔を描いた作品が多く、女性たちは普段着ではなく、ドレスアップして、様々なアクセサリーなどを身に着けて着飾っています。写実的な人物画というよりは、マンガやアニメの世界から出てきたような、幻想的できらびやかな女性たちが印象的で、耽美主義を象徴する作品だとも言えるでしょう。
パリで制作活動に専念していたころ、「マドモアゼル」シリーズに続いて、「舞妓」シリーズが誕生しました。こちらの「舞妓」シリーズでも、華やかで魅惑的な女性が描かれていますが、マドモアゼルシリーズとは異なり、女性の顔だけでなく、全身が描かれている作品が多く見られます。そして、舞妓さんたちの美しい着物が優美に描かれると同時に、舞妓さんならではの、舞や踊りの動きや息吹が感じられる作品も多く、上品で華やかなイメージが特徴的です。また、鶴岡義雄の描く舞妓は、日本画で描かれる古典的な舞妓とは異なり、あくまでも西洋的美術造形を基本に描かれているのが最大の特徴で、その独自性が高く評価されています。
鶴岡義雄の作品は国内の美術館でも鑑賞することができます。以下に、鶴岡義雄の作品を所蔵している美術館を紹介します。
ーこれは、2006年に鶴岡義雄自身により寄贈された作品です。初期の絵画で、故郷茨城県にある大洗町を描いた作品だと思われます。海岸の岩場から見えるオレンジ色に輝く空と海が描かれています。
ー鶴岡義雄、初期の作品で、キュビズムとシュルレアリスムの手法が用いられた作品です。パラソルを持った女性が二人描かれていますが、その姿は頭から足まで全身黒で描かれており、顔も黒く塗られています。
ーキュビスムの手法をベースに、幾何学的な線や、引っ掻き線を用いて描かれている人物画です。
ーこの作品は第78回二科展に出品され、1996年に鶴岡義雄自身により寄贈されました。舞妓の凛とした美しい立ち姿が表現されています。背景には、キュビズムや幾何学的な模様が描かれており、画面上部に描かれた模様は日本の瓦屋根を連想させます。
ー第80回二科展出品作品で、直線と曲線が重なり合ったキュビスム的な作品です。
このように、故郷でもある茨城県には、鶴岡義雄自身が寄贈した作品も含め複数の作品が所蔵されています。
「舞妓」(油彩/1973年)
「ヴェネツィアの朝陽」(油彩/1973年)
「白梅」(油彩/1980年)
ひろしま美術館に所蔵されているこれらの作品は、著作権などの関係で残念ながらインターネット上でその絵を確認することはできません。
鶴岡義雄の油絵作品はネットオークション、フリーマーケットサイトでは数万円台から取引されています。一方、画廊やギャラリーで取り扱われている作品には1,000,000円前後のものもあります。売買市場によって、価格に大きな開きがありますが、素人では真作か贋作かの見極めが難しく、不特定多数が参加できるネットオークションやフリーマーケットに出品されるものは信頼性が保障できないため、正規のギャラリーなどで査定や売買をした方が安全でしょう。
また、リトグラフも多く制作されていますが、こちらはあまり高い評価を期待することはできないかもしれません。しかし、それは他方で入手しやすいということでもあり、鶴岡義雄の作品を身近に置いて、鑑賞したり、感じたりしたいという場合には、より手軽に手に入れられる作品でもあるでしょう。
美術品や骨董品、コレクターグッズなどを公募し、鑑定を行うテレビ番組「開運なんでも鑑定団」の2011年3月放送回に、鶴岡義雄の油絵が登場ました。海外の路地のような所を描いた風景画で、所有者は鶴岡義雄のことは知らず、数千円で購入したということでした。しかし、この作品は、鶴岡義雄の真作で2,000,000円という鑑定結果が出されました。作品についても、早いタッチとシャープな線で建物の立体感や街の奥行きをしっかり捉えており、色彩もイメージで配色されたセンスのあるものだという評価をされています。
ここで、画廊で販売されている作品のうち、価格が確認できるものを紹介します。
ー頭に淡い緑と青の透け感あるベールをまとった、シャープな鼻筋が印象的な女性の横顔が描かれた作品です。背景には、アーチ型の柱が描かれています。
ー白い着物をまとった舞妓が鼓を打っている様子が描かれています。着物のやわらかな生地感と鼓を打っている舞妓のすらっとした手が印象的です。そして、金を基調に白と青が混ざりあった光り輝く背景が幻想的な世界を映し出している作品です。
ーこの作品は、マドモアゼルや舞妓シリーズが誕生するより以前、1970年に制作された作品です。タイトルの「フレンチカンカン」とは、フランスのダンスのひとつで、テンポの速い音楽に合わせて、スカートを捲り上げるように足を高く上げて踊るダンスです。赤い背景に女性の足が大胆に描かれており、ダンスのリズム感とテンポが巧みに表現されています。
上記の3作品以外にも、鶴岡義雄の作品は多数販売されていますが、その価格は非公開とされており、作品の購入を検討している場合には、個別に問い合わせる必要があります。
鶴岡義雄の作品は初期のものから代表シリーズまで多岐にわたりますが、マドモアゼルシリーズや舞妓シリーズは同じタイトルで、複数の作品が制作されており、自分の好みの作品を探す楽しみもありそうです。また、鶴岡義雄を取り扱っている業者は多数ありますが、売却などを検討する場合は、しっかりと情報を集め、適正な価格で査定や売買が行えるよう、複数のギャラリーや美術専門業者に依頼や交渉を行いましょう。弊社でも鶴岡義雄の作品買取を行っております。鶴岡義雄の作品買取や査定はぜひ弊社にお任せください。