2023.11.13

石田徹也とは?これまでの経歴や主な作品の特徴、査定買取に関する役立ち情報!

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石田徹也(いしだ てつや)は、静岡県焼津市出身日本の画家です。
でに亡くなられた画家で活動期間が短かったにも関わらず、国内でも海外でも高い評価を得ている作品が多く、これまで制作してきた作品は驚くような高値で査定・買取されています。

石田徹也の作品の大きな特徴といえば、本人と似た人が作品の中に必ず登場しているということです。
本人と似ているという理由は、どの作品でも同じような顔をしているからです。

しかし、画家本人と似ている人であっても、本人はそのことを否定していました。
絵の題材は、画家本人と似た人物が、不思議な日常生活の中で過ごしながら、一枚の絵の中に複数登場しているということです。
石田徹也の作品は、メディアでも取り上げられる機会が多く、「日曜美術館」などの多くの人が目にするテレビ番組でもすでに紹介されているほどです。

画家本人はすでに亡くなっていますので、新しい作品は生まれませんが、これからも注目され続けるアーティストの一人です。
そして、石田徹也の作品を探している方も年々増えています。

世間で話題になれば、どんな作品でも高価買取になる可能性が高まります。
美術品としての価値も高く、これまでも安定した多数の売買実績があります。

日本を代表する日本画家である石田徹也は、国内外を含めて世界中に多くのファンがいます。
どんな方も初めて査定を行うと、その人気の高さに驚かれます。

本記事では、石田徹也の経歴や作品の特徴を中心に、石田徹也の作品の査定・買取価格の目安や作品の価値についてご紹介します。
すでに石田徹也に興味ある方はもちろん、これから石田徹也の作品を集めたい、と考えている方にとっても有益な情報を提供していきます。

石田徹也とは

石田徹也は、静岡県焼津市出身の画家です。

若い頃から絵を描くことが好きで、周囲からもきちんとその才能を評価されていました。

石田徹也の絵画は、他とは異なり、ユーモアのある構成で描かれています。

自らの日常生活の中から生まれたアイデアではありますが、石田本人に似た男性が登場する不思議な世界が描かれており、多くの方を魅了しています。

作風を簡単に紹介すれば、現代社会のネガティブな面にスポットを当てて、あえて風刺的に描いていることです。そのため、登場する本人に似た人物は無表情、暗い色調、なおかつさびれた風景などが大変物悲しい印象を与えます。

題材は、日本の社会構造、個人の尊厳、画一的な教育など、当時の日本の苦しみや闇などを表現しているものが多くなっています。

31歳というまだ若い年齢でしたが、2005年(平成17年)に踏切事故によって逝去しました。

石田徹也の経歴

石田徹也は静岡県焼津市生まれ

石田徹也は、1973年に静岡県焼津市に生まれました。

小学生の頃は、毎年のように絵を描き、校内のコンクールで特選などの賞を受賞していました。

特に小学校5年生の頃になると、県内の絵画コンクールで最優秀賞を受賞しており、早くから絵の才能を開花させていました。

子供時代からすでに注目されてきた芸術家であると考えることができるでしょう。

普通高校へ進学

石田徹也の父親は、父親は元焼津市議会議員です。

石田徹也は、4人兄弟の末っ子でした。

元々高校は美術系を希望していたようですが、親からの強い要望で普通高校に入っています。本人は希望が叶わなかったために、苦痛を感じていたというエピソードが残っています。

結局、地元の静岡県立焼津中央高等学校を卒業後、1996年に武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科を卒業しています。

家族との関係でも面白いエピソードが残っています。
親からの仕送りは拒否し続けていたそうで、

「そういう環境じゃないと、ああいった作風は描けなかったのではないか」

と父親が話していたように、当時、両親にはその作風がまったく理解できなかったようです。
しかし、父親は、

「多くの方から高く評価されているのは嬉しい」

と話しています。
同時に、

「このような暗い作風が受けることは素直に喜べない」

とも語っています。
石田徹也本人は、自分の絵に対する様々な感想について、

「色々な感想があるからいいんだ」

と母親に語っていました。

映画監督の平林勇とは大学時代の友人

大学時代の友人に映画監督の平林勇がいます。

平林勇は、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を卒業しています。

卒業後は、グラフィックデザイナーやCMディレクターなども経験しており、映画監督としては短編映画が各国の映画賞を獲得したことなどが経歴としてはよく知られています。

石田徹也と平林勇は、共同で作品を製作していました。

同郷である1学年下の石田徹也とは学生時代から親交があったためです。

短編映画では、三大映画祭(カンヌ・ベルリン・ベネチア)の全てで上映を果たしています。

代表的な作品には、『しまじろうのわお!』シリーズがあります。

就職せずに画家としての活動に専念

石田徹也は、学生時代から、様々な賞を受賞しており、将来も期待されていました。

イラストレーターとしての仕事では、スポーツ雑誌「Number」の挿絵を描いたこともあります。

しかし、卒業前の就職活動中に一社だけデザイン会社に行っただけです。

当時は就職氷河期であったため、その他へのあても無かったことから

「もう就職はしない」

と決心し、以後、画家としての活動に専念することになります。

無口な性格のため、学生時代はプレゼンも上手くはなかったため、作品の力だけで押し切るしかなかったといわれています。

生前、作品は売れても大した収入にはならなかったため、常にバイトをしながら活動していました。

没後も高い評価を受ける

石田徹也は、若くして亡くなってしまいましたが、200点以上の作品を残しており、その死後もますます高い評価を受けています。

2009年に紺綬褒章を授与されたため、遺族が受け取りました。

2019年には、スペイン・マドリードの国立美術館で開催された個展が31万人を超える入場者を集め、その人気の高さを証明しています。

「飛べなくなった人」を含めて、21点の作品を郷里の静岡県立美術館に遺族が寄贈しています。

石田徹也の作風

石田徹也の作品のモチーフとなっているのは、主にSL(蒸気機関車)やビニール袋、便器などといった日常生活で使用するものと一体化した青年を題材としていることが大きな特徴です。

題材としている青年が全員同じような顔をしているため、作家本人を表現しているのではないかと言われていますが、石田徹也本人は、そのことを否定しています。

日常生活に潜む不安といった心の内面や現代社会への風刺を超現実的に描いているのではないか、と言われています。

しかし、後期作品になると、メッセージ性を抑制した作風へと変化していきます。

作品を制作時代順に見ていくと、次第により抽象的な作風にシフトしていく様子がよくわかります。

これにはテーマは作家が押し付けるものではなく、観た人がそれぞれ好きに感じてくれればいい、といった意図があります。

石田徹也の作品

  •      みのむしの睡眠(1995年 第6回グラフィックアート『ひとつぼ展』 グランプリ受賞作)
  • SLになった人(1995年 第6回グラフィックアート『ひとつぼ展』 グランプリ受賞作)
  • 飛べなくなった人(1996年)
  • 健康器具(1997年 JACA’97 日本ビジュアル・アート展 グランプリ受賞作)
  • 回収(1998年 キリンコンテンポラリーアートアワード1998 奨励賞受賞作)
  • 捜索(2001年 VOCA展2001 奨励賞受賞作)
  • 前線(2001年 VOCA展2001 奨励賞受賞作)

展覧会

悲しみのキャンバス展 静岡県立美術館 2007 7/24~8/19

-僕たちの自画像展 練馬区立美術館 2008 11/9~12/22

ヨコハマトリエンナーレ2011 横浜美術館 2011 8/6~11/6

-今を生きる、僕らの姿 三菱アルティアム 2012 4/28~5/27

ノート、夢のしるし 足利市美術館・平塚市美術館・砺波市美術館・静岡県立美術館 2013 9/7~2014 3/25

第56回ベネチアビエンナーレ セントラルパビリオン/イタリア 2015 5/9~11/22

A Brief History of the Future 国立台湾美術館/台湾 2018 3/24~6/3

夢を描いた青年 藤枝市文学館 2018 8/4~9/24

Autorretrato de otro ソフィア王妃芸術センター/Palacio de Velazqes/スペイン 2019 4/11~9/6

Self-portrait of Other   Wrightwood659 Gallery/ シカゴ・イリノイ州/アメリカ 2019 10/3~12/14

石田徹也の買取価格情報の一部が公開されていましたので参考情報として紹介します。

石田徹也の死後も人気は衰えていません。

例えば、2006年11月にクリスティーズが香港で開催したオークション『アジアの現代美術』が一つの参考事例です。

Lot. 496 として出品された『無題』(2001年)は、クリスティーズの事前落札予想価格6〜8万香港ドルをはるかに上回る78万香港ドル(約1,200万円)で落札されています。

また、2012年5月に開催されたユナイテッドアジアンオークションに出品された「囚人」(Prisoner 1999)は、予定落札価格の3倍以上の819,800USD(約9,230万円)にて落札されています。

石田徹也の作品は、世界中で高い評価を受けており、驚くような知名度もあります。

新しい作品がこれ以上出てこないことを考えると、これからもますます高い価値が付けられるのではないかと予想できます。

石田徹也の作品は査定・売却は可能なのか

ここまでで石田徹也の経歴や作品の特徴についてご紹介いたしました。

ここからはすでに石田徹也の作品を所有してる人やこれからの所有を検討している方に向けて、高値査定や売却のポイントについてご紹介します。

作品の発売直後

通常、美術品等の査定買取はその作品や作家の知名度が高ければ高いほど、査定買取も高くなります。

さらに、発売直後の作品であった場合は、メディアで取り上げられる機会も増えることから、認知度や注目度が高まって、一時的に査定額が大幅にアップすることがあります。

石田徹也はすでに世界中から高い評価を集めるアーティストです。

過去に手掛けた作品を所有している場合は、状態が綺麗かつ発売直後の状態のままであれば、想像以上の高い査定結果になるでしょう。

メディアで注目されるとチャンス

人気芸能人や海外セレブがアーティストの作品やグッズを愛用していることがわかり「突如人気が高まる」といった可能性もあります。

過去にトレンドとなった作品なら、発売から時間が経過している作品であっても、再度注目が集まれば高額査定できることがあります。

石田徹也は、世界的に評価の高い魅力的なアーティストです。

作品の売却を検討する場合は、各方面での情報に敏感になり、こまめにメディアやニュースなどをチェックすると、売却の時期がわかるようになります。

石田徹也の作品は、作品の数が少なく、超有名なアートオークションでなければお目にかかれないような希少価値の高い作品ばかりであるため、確実に高価買取になります。

作品のサイズや作品の内容によっても買取金額は大きく異なりますが、石田徹也作品の売却をご検討の際にはぜひ弊社にもお声掛けください。

まとめ

本記事では、石田徹也の経歴や作品の特徴、その作品の査定価格の目安と売却時の注意点について詳しくご紹介しました。

「石田徹也」は、すでに国内外で高い評価があり、アーティストとしての知名度も持ち合わせています。

これから石田徹也の良質の作品を集めようと考えている方も、別のアーティストの作品が欲しくなって手放そうと考えている方も、石田徹也の作品を査定・売却したい方は、ぜひ弊社にお問合せください。



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