2023.11.06

岡本太郎とは?経歴や作品の特徴に加えて査定買取について解説

Category

作家名

Tags

皆さんは岡本太郎という人物を聞くと何を思い出しますか?

数々の有名な作品と言葉があります。

作品で言えば、最も多くの日本人に馴染みのある「太陽の塔」でしょうか。

名言で言えば「芸術は爆発だ」「職業は人間」などがすぐに挙げられることでしょう。

しかし、それだけでは本当に勿体ないです。

岡本太郎という人物をより深く知り、作品を知れば「岡本太郎」人間そのものの魅力と、岡本太郎という世界に引き込まれ、皆さんの心を掴んで離さないでしょう。

人物を知る事は作品を知る事と同じです。

皆さんが手にしている岡本太郎の作品、もしかするともの凄い価値があるかもしれません。
また、買おうとしている作品は本当に適正な価格なのか?
そんな疑問も人物と作品を知ることで考えるきっかけになればいいと思います。

岡本太郎とは?

1911年(明治44年)2月26日生誕
1930年(昭和5年)19歳から1939年(昭和14年)29歳までフランスで過ごす。

数々の作品と名言を残し

1989年(平成元年)78歳でフランス政府よりフランス芸術文化勲章を受賞

1996年(平成8年)1月7日に急性呼吸不全(満84歳)で死没

岡本太郎の父親は岡本一平、漫画家

代表作:女百面相など

母親は岡本かの子、歌人で小説家

代表作:母子叙情など

両親共々に世に残す作品を手がけています。

芸術的感性が生まれ持っていたのがこの時点で納得できます。

一見すると、裕福な家庭に育ったのだろうと思いますが、そうではないのが岡本太郎の魅力の一つにもなります。

両親も多彩な才能を持っていましたが、父親は収入のほとんどを酒代に使うほど付き合いも多く、自分の思うままに振舞っていたそうです。

そのせいで、電気代を止められたこともあるのだとか。

また母親も、愛人の堀切茂雄を父親である一平の公認で自宅に住まわせていたというのですから驚きです。

一平も好き放題していたのですから、言えた義理ではないと言うことでしょうか。

それでも、岡本太郎は母親の事を「母親としては最低な人だった」と言っていたにも関わらず、生涯に渡り敬愛し続けた人物です。

そんな複雑な家庭環境でしたが、それに加えて岡本太郎自身も問題児だらけでした。

今の時代だからこそ言える「アスペルガー症候群、発達障害」だったと言われています。

しかし、当時はそんな言葉もなく、周りの理解が無かったゆえに、相当辛い想いをしており、自殺まで考えたほどでした。

言いたい事はなんでも口にしてしまい、嫌いな先生の授業はずっと耳を塞ぐ…

小学校は一学期で退学するという異例。

勿論、成績は最下位。

それでも絵を描く事が好きな岡本太郎は、小学校一年の時から友達は「太陽」だと言い、その時からすでに太陽の絵を沢山描いているのです。

それが後に人々の心に突き刺さる「太陽の塔」の序章とは当時誰が思っていたでしょうか。

岡本太郎の経歴

パリが生んだ異端児

日本から遊学する画家たちが、お決まりの風景画を描く姿に落胆し失望した岡本太郎は、フランス社会で自立するため、私学の寄宿生となりフランス語を磨き西洋の教養を身に付けます。

フランスのモンパルナスにアトリエを構えてから、パリを離れる10年間の間に数々の名作品を生みました。

まさに唯一無二の人物と言っても過言ではありません。

岡本太郎は、抽象美術運動(非対象絵画、無対象絵画など具体的な対象写す絵画とは異なる)やシュルレアリスム運動など芸術運動に参加していました。

このシュルレアリスムの語源から現代の「シュール」という言葉が生まれています。

シュルレアリスムの思想は、世界最大規模で世界各地に影響を及ぼすほどでした。
その思想に感化された名立たる芸術家の一人が岡本太郎なのです。

凄いですよね。

そのバイタリティーがあったからこそ「芸術は爆発だ!」なんて言葉が生まれるわけです。

岡本太郎の作品

数々の名作品を世に出している岡本太郎ですが、ピカソに多大な感銘を受けています。

ピカソの「水差しと果物鉢」を目にした岡本太郎は、これを機に抽象画を描き始めます。

ここからは年代ごとで代表作と所蔵をご紹介します。

1936年「痛ましき腕」

頭にある大きなリボンで押しつぶされそうになっている印象的な絵画です。

また、強く握られた拳はなんとも痛々しく岡本太郎の心情が伺えます。

所蔵  川崎市岡本太郎美術館

1952年「顔」

立体作品として、全部で3個制作されています。

一つは岡本太郎の父の墓石となってます。

所蔵  川崎市岡本太郎美術館

1947年「夜」

この「夜」は前衛画家達が集まる、研究会「夜の会」で生涯の伴侶となる平野敏子と出会いました。

平野敏子とは婚姻関係にはせず、敏子を養女として迎え入れています。

所蔵  川崎市岡本太郎美術館

1950年「森の掟」

岡本太郎が主張する一つの考えの中に「対極主義」があります。

この「対極主義」とは「芸術家は、対極する要素を一つの作品に共存させるべき」と述べています。

「森の掟」に描かれている、真ん中にいる恐ろしい目をした怪物が、平和を襲っている様子を描き、対極主義を完成させています。

所蔵  川崎市岡本太郎美術館

1959年「無籍動物」

高さ1.4メートルの彫刻は、岡本太郎の初めての彫刻と言われています。

何の動物かはわかりませんが、「無籍動物」という名にふさわしいフォルムです。

所蔵  長野県白鳥園

1963年「坐る事を拒否する椅子」

座面に顔がある非常に座りにくい椅子です。

「椅子とはソファーのように休むべきものではない」という考えでした。

所蔵  川崎市岡本太郎美術館

1965年「歓喜の鐘」

鐘の上部には突き出たツノのような物がいくつも出ており、下の部分には動物の絵や仏などが描かれています。

徳川家康ゆかりの久國寺の境内で見ることができます。

所蔵  久國寺(愛知県名古屋市)

1967年「午後の日」

岡本太郎自身の墓石にもなっている作品。

頬杖をついた可愛らしい顔が岡本太郎らしい作品です。

所蔵  東京都多摩霊園

1968年〜1969年「明日の神話」

1954年にアメリカの水素実験で被爆した「第5福竜丸」と立ち上がる人間の姿を描いた作品。

所蔵  渋谷駅

1968年〜1970年「太陽の塔」

最も代表的な作品ではないでしょうか。

まさに大阪のシンボル。

1970年、大阪万博で日本万国博覧会の目玉はこの「太陽の塔」

面白いのが、太陽の塔の中にもこだわりが詰まり、中は「生命の樹」となっています。

また、太陽の塔には3つの顔があるのも有名です。

金色が未来「黄金の顔」

白色が現在「太陽の顔」

黒色が過去「黒い太陽」

過去から未来を見事に表現しています。

所蔵  大阪、万博記念公園

1969年「若い太陽の塔」

「太陽の塔」の試作品、いわゆるプロトタイプになります。

岡本太郎の作品の中で三番目に大きい作品になります。

所蔵  愛知県犬山市日本モンキーパーク

1970年「ノン」

太陽の塔の内部に展示されていました。

何を拒否しているのか?

見る人に問いかける作品です。

所蔵  川崎市岡本太郎美術館

1970年「生命の樹」

太陽の塔の中に作られた「生命の樹」

原生類時代から哺乳類時代までを表現した内部は圧巻です。

時を感じさせない細かい細部まで魅了します。

所蔵  大阪、万博記念公園(太陽の塔)

1971年「母の塔」

母親への愛や思いを込めて再現した像。

幼少期からあまり構ってくれなかった寂しさや、それでも母親を敬愛していることが伝わります。

所蔵  川崎市岡本太郎美術館

1973年「飛行船 レインボー号」

ドイツから輸入した清水ハウスが岡本太郎にデザインを依頼した作品。

所蔵  見学不可

1976年「顔のグラス」

キリン・シーグラムから販売されたブランデーのノベルティ。

有名な言葉がここで生まれています。

「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」

モチーフは「太陽の塔」

所蔵無し  オークションなどで多数出品中

1982年「呼ぶ赤い手、青い手」

商店街の活性化の為に相模原市が依頼した作品。

所蔵  相模原市中央区相模原6丁目 買物公園通り

1985年「子どもの樹」

閉園した子供の城にあったモニュメント「子どもの樹」

地域の象徴として東京都が存続することを表明しています。

所蔵  渋谷区 旧こどもの城前

1985年「喜び」

岡本太郎の生まれ故郷、川崎市の藤崎小学校が創立30周年を祝って制作した作品。

児童からも愛される像となり「リボンちゃん」の愛称で現在も引き継がれています。

所蔵  川崎市藤崎小学校(無断立ち入り禁止)

これ以外にもまだ素晴らしい作品はあります。

馴染みのあるプロ野球団、現在「オリックス・バファローズ」
昔は「大阪近鉄バファローズ」でした。

その当時のロゴを手掛けたのが岡本太郎です。

2017年には待望の復刻までしたのですが、瞬く間に即完売しました。

現在も品切れとなっています。

岡本太郎の作品は査定・売却は可能なのか

時代を彩り、地域にも愛された岡本太郎の作品は、日本のみならず世界中で人気があります。

作品の保存状態によって査定額は変わってきますが、それでも高値で売却される可能性はあります。

また、これまで油絵やガラス作品、彫刻、オブジェなど立体作品も多く手掛けているため限定品などは、オークションで高値がつくことはあります。

(一例)

  • 1976年発売された「顔のグラス」
    一個:約一万円ぐらいの価格
  • 近鉄バファローズのキャップ
    一個:1万~2万円の相場
  • 油絵
    相場5千円~100万円

*状態や本物かどうかによって査定は大きく変わります。

・オブジェ

基本的に入手しやすい物は査定には繋がりにくく高価になりにくいです。

購入した値段で取引されるか、安く見積もられる可能性有り。

売却、査定されるコツ

どうせ売却するなら絶対高く売りたいですよね。

絶対外せないポイントだけお伝えします。

  • 保存状態の良し悪し
  • 「本画」なのか「複製画、工芸画」なのか

この複製画、工芸画だとほとんど価値はないと言われています。

しかし、例外の「版画」や「漆画」は査定対象となりますのでご注意ください。

商品の発売直後

日本を代表する現代版ピカソと言っても過言ではない画家ですので、コレクターや愛好家は数知れずいます。

オークションなどでは、時間ギリギリまで目が離せず最後に一気に値上がりする事がありますので、お目当ての商品が出品された場合は目を離さずに競り合いしてください。

特に美術史に残るような作品は高額になります。

オークションの落札価格がその画家の価値を高めているため、高額になればなるほど、その画家が描いた他の作品も自ずと値が上がります。

資産価値になる可能性は十分に秘めているため、お手頃な値段で買取ができれば今のうちから購入しておく事をおすすめします。

まとめ

岡本太郎の歴史や作品を知ることでより一層、興味が湧いたのではないでしょうか?

また、馴染みのある街中の絵画やオブジェなども何気に見過ごしていた部分まで、作家の思いを知ると立ち止まりたくなります。

活躍期間が長かった岡本太郎の記録は沢山残されています。

川崎市岡本太郎美術館や岡本太郎記念館(当時アトリエ兼住居にしていた場所が改装された場所)が公開されています。

ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

今、手元にある作品の売却や査定額、または買取しようと考えている

方はその作品のルーツを辿ってみても面白いと思います。

この記事をシェアする

Category

Tags

この記事をシェアする

あなたにおすすめの記事

人気記事