2023.11.13

小林孝亘のアート作品 買取は可能?

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小林孝亘(こばやし・たかのぶ)は、水飲み場であったり、動物、お花、百葉箱……などといった、ごくごく私達の身近に存在している、ちょっと郷愁を感じるような風景をモチーフとしながらも、静謐であり、永遠性を醸し、神秘的にも感じられる世界観を作り出すアーティストです。

そのような風景は、すでに誰もが体験し、懐かしい……という思いもどこかにあるのではないでしょうか。遠い昔に見た記憶であり、思い出すことで、ハッと心を奪われる瞬間があるかもしれません。しかし、誰もがすでに経験をし、なんでもないシーンであるゆえ、心の奥底に閉じ込めて表には出ない記憶でもあります。そのようなシーンにはいちいちかまっている訳にもいかず、人間は、さらに様々な意味のある経験をし、大人へと成長していくことになるのですから。

ただし、それでも、すっかり自分自身の心の中から失われてしまった記憶でもなく、キッカケさえあれば容易に扉を開けることができ、懐かしい記憶と遭遇することで、ふっと心が癒されることがあります。

小林孝亘が題材として扱っているものは、そのような誰でもが心に持ち合わせている記憶です。小林孝亘の手にかかれば、そのようななんでもない記憶が、不思議感覚のアートに化学変化します。

潜水艦

小林孝亘は、最初のころには、「潜水艦」を繰り返し描き続けてきました。

なんで、モチーフが潜水艦だったのでしょうか。

小林孝亘は、そのころ外界との接触をことごとく避け続けてきました。まさに、潜水艦とは、彼自身だったのです。

潜水艦は、海深く潜って価値を見いだすもの。海上で人目に触れている状態のときには、何も潜水艦としての意味は果たしていません。そのような意味合いでは、小林孝亘も、外界との接触をことごとく避けることで、小林孝亘としての意味が生まれると考えたようです。

いわば、それは閉鎖的性格であり、オタクであるかもしれません。それら非社会性がもたらす文化というものも存在しているはずですが、一方では、閉鎖しているがゆえ、遭遇することができない世界もあります。

そのままの状態では、小林孝亘は、全部の世界を確認することができずじまい……ということになります。

完成しているかのように見えるアートも、それでは本当の意味で、完成とは言うことができるのでしょうか。

そして、小林孝亘は、潜水艦の時期を脱し、変化することを試みます。

彼は、バンコクでの滞在期間をいいキッカケとし、次第にもっと広い外界の世界を見つめていくことになります。

そして、彼は、潜水艦から、ごくごく身近なモチーフを取り入れ、ポートレート(人間)と向き合うようになります。

Portrait-one eye

Portrait-one eye

小林孝亘

Takanobu Kobayashi

リトグラフ, W:500 x H:660 xD:30 mm

Portrait-white shirt

小林孝亘

Takanobu Kobayashi

リトグラフ, W:505 x H:650 xD:30 mm

などは、小林孝亘を創造した肖像画です。

彼は、自分自身が潜水艦であることを希望し、潜水艦を描き続けたのです。小林孝亘のポートレートは、ある意味外へ自身をさらけ出し、人とつながる真逆な発想です。

外を求め主張する真逆の発想にも見えるのですが……。実際に

Portrait-white shirt

小林孝亘

を見れば、決して主張をしているとはとうてい思うことができないですし、人間らしい躍動感も感じられません。

ボクはいつでも潜水艦の時代に戻りたいと言っているかのようです。

現実を凝視しているという感じではなく、夢を見ている感じでもなく、過去の遠い世界を見つめているのかなという感じでもあります。

Portrait-one eye

小林孝亘は、同じ、現実を凝視している感じでもなく、明るい未来を見つめている感じでもなく、過去を懐かしがっている確証もないのですが、残された選択肢として、そのあたり周辺を漂っている感じです。

過去を懐かしがってもいないのであれば、彼は、生きていないともいうことができるでしょう。

彼のポートレートは、生きる人間を表現しているはずなのですが、生きている感じがしないのです。そして、Portrait-one eyeでは、片目を閉じています。目を片目ふさいでしまっていることにどのような意味があるのでしょうか。

いろいろなものを目を開ければ見ることができるのに、そして、見たい思いもあるけど、半分見ない……。半分は、再び、外界の世界を遮断して、潜水艦の世界に戻りたいことを望んでいるかのようにも見えます。

小林孝亘の経歴

小林孝亘は、1960年東京に生まれました。愛知県立芸術大学美術学部油画科を卒業し、アーティストを目指すことになります。

1996年、 VOCA展奨励賞を受賞したことは、彼が今後アーティストとして活動していくための大きな原動力となったことでしょう。

1996年には、文化庁芸術家在外研修員としてタイ、バンコクに1年間滞在することになります。

1998年には、アートスコープ‘98ガスコーニュ・ジャパニーズ・アート・スカラシップ派遣アーティストとして、フランスのロット・エ・ガロンヌに3ヶ月滞在し、その後、小林孝亘は、バンコクにアトリエを移します。

1999年、今度はバンコクにアトリエを移します。

2002年には、東京にもアトリエを設け2011年までの期間、バンコクと東京のあいだを行き来しながら制作を続けることになります。

そして、2012年からは神奈川県に在住します。 

小林孝亘の経歴を確認すれば、海外に目を移し、日本に目を移し、行ったり来たりという感じもあります。結果、彼の居場所が実際にどこにあるのか……と言えば、本当の居場所はどこにも存在していないのではないかという気持ちにもなります。

 「雲と影」

小林孝亘の作品、 「雲と影」は、潜水艦とも違い、ポートレートも違い、また新しい仕掛けです。

小林孝亘は、潜水艦の時代を体験し、ポートレートの時代を体験し、主に器や枕など日常的なものを題材に、アートを創造してきました。

小林孝亘が追い続けているのは、「永遠」です。ポートレートの目線も、未来でもなく、現在でもなく、過去でもなく「永遠」を見つめていたのかもしれません。

しかし、人間にとって永遠とは、実現することができない矛盾したワードです。

決して永遠など達成することができないから、結果彼は延々と果てしなく追い求め続けていくことになります。

ただひたすらに永遠を追い求めていく。小林孝亘の存在価値は、その前向きな行動自体にあると言ってもいいでしょう。

彼は、常に時流から一定の距離を保って、地道に自身の内部を手探りし、新たな仕掛けを獲得し続けていくことになります。

永遠なんてありえない。すべての事象に対してです。しかし、何かは必ず存在しています。なぜ、永遠でないのに存在しているのか、不思議な感じすらします。

今後の小林孝亘の描くアートには、永遠を追い求めた結果、限りなく続くであろう宇宙のような広がりを感じとることができます。

雲と影については、雲という存在は、見る人たちの目線を、上へ、さらに上へと誘導する力をもつものであり、上とはどのような意味を示しているのかといえば、ここではない世界のことです。この世界とは、永遠でない世界のことです。

雲がまさに、永遠へと私達を連れ去ってくれるものと信じたいです。

そして、影とは、ものの存在を示すもので、光と対をなす重要なイメージです。光が永遠かと言えば、永遠とは程遠く、遮断されれば、影が生まれます。

であれば、光より影の方が、全然永遠に近いものではないだろうか。

それは、真昼間の誰もいない砂浜に巨大な壺であったり、不自然なバランスである積木が配置された光景のアートです。

そこには生/死の同居を感じさせます。見える/見えないの同居、眠り/目覚めの同居、お互いを寄せ付けない相反する言葉の関係に見えてくるのは、人間がもがいても達成することができない永遠を追い求めることのいったん停止です。停止したことによって、永遠はないという結論付けもされないまま、永遠の期待値も残ったままの状態です。

 “Pillow”

2012

etching, aquatint

imge size: 210 x 265 mm /paper size: 325 x 505mm

“Pillow”

2012

etching, aquatint

imge size: 210 x 265 mm /paper size: 325 x 505mmは、

なんと、枕だけが描かれた、アートです。

小林孝亘は、結果、永遠をもたらすことができない人間を放棄してしまったのかもしれません。

放棄したことで、せめてモノには、永遠が宿っていると信じたのかもしれません。

しかし、枕が永遠なのかと言えば、枕は永遠でもありません。

この絵では、枕は、まるで生き物のように寝てくれる相手を求めているかのようではありませんか。しかし、永遠に、その枕に人が寄り添うことはありません。永遠に枕は、意味を失った存在です。

永遠に人が眠ることのない枕。果たして、この「永遠」は、小林孝亘の求めている永遠なのでしょうか。

 Gold Fish

Gold Fishは、大きな魚の絵です。ただし、これは、小林孝亘の自画像だということです。小林孝亘が金魚を金魚ではないと言ってしまうことで、大きく描かれた金魚は、宙に浮いたどこにも属さない存在となります。それは、永遠を否定できない判断中止のせめてもの永遠の希望なのかもしれません。

 Cloud

Cloudは、そのまま雲が描かれています。

こんな絵は、アーティストが描くべき絵かと言われてしまうかもしれないですよね。

しかし、あえて彼は、雲そのものを描き、いつか消えてしまう雲をアートに閉じ込めることで、永遠を表現したのかもしれません。

 Dish

Dishは、料理のことです。しかし、そこに描かれているのは、皿だけです。

皿を、Dishということで、皿は皿でなくなり、かつ料理でもなく得体のわからない存在となります。普段当たり前に見る存在であるのにです。

ここでも宙ぶらりんな状態が起こり判断が中止され、永遠の期待値はかろうじて残されたままです。

小林孝亘のアートを売却査定して欲しい

現在、小林孝亘のアートを所有していて、売却査定して欲しいと思っている方々もいらっしゃることでしょう。

小林孝亘は、とても人気の高いアーティストです。よって、高い売却査定額がつく可能性は充分にあります。

小林孝亘は、日常的なものを題材とし永遠を追い求めた注目すべきアーティストです。大量に流通していないためニーズも高く、高額買取の可能性大です。

また、小林孝亘は、日常に埋もれている何気ない事象を具体的に表現する郷愁性に定評があり、小林孝亘のアートで癒されたいと思う人たちが多いです。

中でもポートレート作品「Portrait-Glasses」「Portrait-Kimono」などが現在、とても人気で高価買取に繋がりやすいです。

まとめ

いかがでしょうか。

今回は、小林孝亘のアートを紹介しました。

小林孝亘は、永遠のありかを追い求めたアーティストなのではないかと思います。

人間は、永遠を追い求めているものです。しかし、結果たどり着くことができないものも永遠なのではないでしょうか。

永遠なんて絶対に出会うことができないと挫折してしまったとき、ふと、小林孝亘のアートを見て癒されることもあるのかもしれません。

現在、小林孝亘のアートはニーズが高く高い売却査定額がつく可能性もあります。

現在、所有しているという方々は、一度売却も検討してみてはいかがでしょうか。

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