2024.11.30
作家名
2024.11.30
李禹煥(リー・ウーハン)は、現在ヨーロッパを中心に活動している韓国出身のアーティストです。
関根伸夫とともに「もの派」のアーティストとして中心に立ち、もの派の理論を支える思想家でもあります。
今回は、そんな李禹煥(リー・ウーハン)のアートを深堀します。
目次
李禹煥(リー・ウーハン)は、1936年、韓国の慶尚南道(けいしょうなんどう)に誕生します。
小さいころは釜山で過ごし、そこで書道の訓練を受けたことが、李禹煥(リー・ウーハン)のアートに大きな影響を与えています。
1956年、ソウル大学校美術大学を中退した後、日本へ訪れる機会を得ます。
日本大学文学部の哲学科へ入学することに。そこで、東洋思想や西洋思想、さらに様々な文学を学んでいます。
1960年代後半から、展覧会に出品をはじめ、アーティストとしての道をスタートさせています。
また、1968年、神戸市の須磨離宮公園で行われた、第1回野外彫刻展で現代美術家の関根伸夫と知り合っています。
お互いの才能を認め合い、ふたりは「もの派」を牽引する重要な存在となります。
1969年、相互関係に基づいた独特な世界観を論じている「事物から存在へ」が美術出版社藝術評論に入選します。
また、1971年、李禹煥(リー・ウーハン)は第7回パリ青年ビエンナーレに参加します。
それは20~35歳の若いアーティストを対象として開催された美術展覧会です。
1977年には、第13回現代日本美術展で東京国立近代美術鑑賞、1979年には、第11回東京国際版画ビエンナーレで京都国立近代美術館賞を受賞しています。
さらに、1991(平成3)年にフランス文化省から藝術文芸勲章シュバリエ章を受章、その後多摩美術大学の教授に着任します。
2010年:香川に個人美術館である李禹煥美術館を開館。
2014年:ヴェルサイユ宮殿にて作品展を開催。
関根伸夫は、もの派を誕生させるキッカケとなるアーティストです。
「もの派」とは、1960年代末から1970年代初頭の日本で展開されたアート運動のことを言います。
「木」であったり、「土」、また、「岩」、「水」……などと言ったごくごく自然の素材を利用し、できるだけ手を入れずそのまま使うことを特徴としています。
また、ときとして「紙」、「鉄」、「ガラス」などと言った工業的な素材を使用することもあります。
そこには、アーティストたちの意思によってものが構成されていくことで、「モノ」と「鑑賞者」との関係性を探ろうとする取り組みがあります。
「もの派」とは、あえて作らない姿勢をもつ人たちの派です。一方でアーティストと言えば、創造する人たちのことを言うのではないでしょうか。
まさに、そのような意味では、もの派は、現存するアーティストに対しての批判であり、1960年代に流行った反芸術運動や、アメリカのネオダダであったり、フランスのヌーヴォー・レアリスムなど……の伝統的アートの概念を否定しかかる運動の流れをくみ、日本で誕生した日本的なアート運動ととらえることができます。
しかし、もの派が何も創造しないということではありません。シンプルなものに結び付いたものこそが、もの派のアーティストの哲学であり、さらに、もの派は創造することだけでなく、見て思考することを重要視しています。
もの派が発表するアート作品によって哲学を知り、鑑賞する人たちをも巻き込み、そこに漂う空気もアートのひとつとしてとらえることができます。
そこに存在するものは、安易に美術館で見られる予定調和を超越する環境です。
また、吉原治良であったり白髪一雄を中心とし、ほとんど同じ時期に展開している「具体派」はしっかりと組織化されていたのですが、もの派は具体派とは違い自然発生的に誕生し、それぞれが自由な姿勢で活動を行っていることも特徴としてあげることができます。
李禹煥(リー・ウーハン)を語る上で、「もの派」は、切り離すことができないワードです。
李禹煥(リー・ウーハン)のアートは、もの派の狙いのまま、最小限に手を加えたほとんど自然のままの素材を使っていることを特徴としてあげることができます。
1970年はじめのころから制作された平面作品に対しても、できるだけ手を加えないようにという意図は汲み取ることができます。
たとえば、李禹煥(リー・ウーハン)のアートでは、キャンバスの一部だけ、筆跡を加えることで、鑑賞する人たちにも参加するための余白を残しています。
絵を描く人たちは、余白を残しては意味はないのでは……と考えることがあります。
特に小学校などで絵を学ぶと、先生から余白を残すと「埋めなさい」と注意されることもあるかもしれません。
しかし、小学生たちはアートを創造している訳ではありません。
また、アートには自由性があり、李禹煥(リー・ウーハン)の選んだ道もアートの選択肢のひとつです。
余白によって鑑賞する人たちを巻き込み、鑑賞する人たちは哲学にも巻き込まれてしまうため、李禹煥(リー・ウーハン)のことを厄介なアーティストであるという印象をもってしまうこともあるかもしれません。
確かに、李禹煥(リー・ウーハン)のアートを直面して考えることも大事ですが、李禹煥(リー・ウーハン)自身、そんなに深く考える必要はない……とも語っています。
考えることは必要だけどそこそこ考えていただければ。真剣に考えたところで一致した真理などに到達はできません。真実は、自然の素材のみにあり、素材自体は口を閉ざしたままです。それでも李禹煥(リー・ウーハン)のアートは、アートとして成立します。
一方で、「こんなのはアートではない」とただ既成観念にとらわれ否定されてしまえば、たわいもないたった一人の鑑賞者によって、李禹煥(リー・ウーハン)のアート自体ズタズタになってしまうことでしょう。李禹煥(リー・ウーハン)のアートの前で、恋人たちが抱き合ってキスをしているだけでは、李禹煥(リー・ウーハン)のアートは、自販機の横に捨てられた空き缶同然です。
もの派のアーティストたちが創造するシンプルなモノのアートとは、見る人たちを巻き込んでいるため、そんな危うい存在ともいうことができます。
「関係項-対話」は、李禹煥(リー・ウーハン)の関係項シリーズのうちのひとつとして評価されている作品です。
黒い鉄板を挟むふたつの石が対話するかのように置かれています。
ふたつの石は、ほとんど自然のまま状態の同じ程度の大きさの石が使用され、そこには鉄板が介入し、挟んで等間隔で配置されています。
それはモノの在り方を示しているだけであり、石と鉄板の思慮深い関係性があり、鉄板を挟む石同士の思慮深い関係性があります。
美しい均衡は、「自然のモノ」と「自然ではない人工のモノ」との関係で作られています。
李禹煥(リー・ウーハン)のアート「点より」は、左から右へと移動するにつれて残像かのように色が薄くなっていったり、青い点が描かれているものなどがあります。
点が規則的なものと、そうでないものがあり、なかには2メートル以上のアート作品もあり、大きさもバラバラです。
「線より」は、上から下へと色がかすれる感じで青い線が描かれているものが知られています。
李禹煥(リー・ウーハン)のアートは、「モノ」とは何かについて考えさせされるアートです。
具体派の特徴は、乱暴に絵の具を投げつけたり、キャンバスを地面に置いて足で描くなどと言った身体の運動で描く抽象絵画であったり、パフォーマンスや、煙、光など駆使した体験型インスタレーションなどなど……、反芸術的姿勢を持ちながらも制作工程においてアクティブなアクションを散見します。
具体派の「具体」とは、精神が自由性をもっていることを具体的に示すことを言います。
一方で「もの派」は、具体派とは違い、もっとモノに対して忠実です。そこに石があり、石が影を作る、そこに既にアーティストが仕掛けたアート性が存在します。
しかし、モノに忠実とはどのような意味なのでしょうか。
李禹煥(リー・ウーハン)の描くモノには、必ず人間の目線が介入しています。
ですから、もの派が目指したアートは、モノそのものを表現するアートでもありません。
実際には、もの派は誰かがもの派と言ったわけでもなく、具体派の対峙として自然発生したようなところがあり、もの派は、アンチアートであり、具体派でない何かです。
李禹煥(リー・ウーハン)の生み出したアートには、手つかずの自然のモノだけでなく、人間の手が加えられた鉄板(モノ)の領域も介入します。
それも、自然の石と同様にして人間にとってモノです。言い換えれば、人間の目線にとらえられたモノは、やがて人間のために役立つモノへと化していくことになります。
そんな人間に役立つモノと、そうでなくあくまでも自然のモノを並べ、そこに人類の時間性を読み取ることができますし、自然のモノと不自然なモノとの作り出す不調和の美しさも鑑賞することができます。
そのような意味では、具体派は、反芸術を掲げ、やりすぎてしまっているのではないだろうか。
もっと穏やかな姿勢で自然をめでることで、もっと見えてくる深みがあります。それは人間についてです。
モノを通して、素直に人間とは何か、私とは何について考えていただければ。モノと向き合い、日ごろいがみあっている敵からも解放され、やがて心も浄化されることでしょう。
人間には死があり限界があります。やがて、より長く生き続けるモノの方が優れていると気づかされることもあります。人間は、モノに屈服し依存することで、もっとやすらかな気持ちになることができる存在なのかもしれません。
現在、李禹煥(リー・ウーハン)のアートをお持ちであって、売却査定して欲しいという方々もいらっしゃることでしょう。
李禹煥(リー・ウーハン)は、意図的に作らないことによって、余白を生みだし、制作行為を極力削ぎ落とすことで成立し、そこにある空間に特別な緊張感であったり、静けさを引っ張り出すようなアーティストです。
李禹煥(リー・ウーハン)自身が手がけた独自アート作品は多く流通できないため評価も高く、高い売却査定額につながる可能性が高いです。
また、李禹煥(リー・ウーハン)の「〈刻み〉より」「突きより」「点より(From point)」「線より(From line)」「風と共に」シリーズなどのニーズが高く、高価買取が可能です。
李禹煥(リー・ウーハン)の「Dialogue 2019」は、夕日のように鮮やかなグラデショーンアートです。できる限り創る事を抑制し、余計なモノを削ぎ落とした場所に美しさを感じとることができます。
「Dialogue 2019」の買取は250万円~300万円の実績があります。
「Dialouge 2019 A」は、「線より」「点より」のシリーズです。キャンバスの一部だけに筆跡を残し、余白の広がりと空間の存在を感じさせています。
「Dialouge 2019 A」は200万円~250万円前後の価格で買取の実績があります。
いかがでしょうか。今回は、李禹煥(リー・ウーハン)のアートについて解説しました。
李禹煥(リー・ウーハン)は、もの派に属し、モノに依存し、できる限り手を加えないアートを次々と誕生させてきました。
なんでこんな簡素化したものがアートとして成立できるのか。
それは、アートと鑑賞者がつながりあい、そこに異質な空間(アート)が作られるからです。
具体派アートもいいのかもしれませんが、せかせかした時代、じっくりと落ち着いた気持ちで李禹煥(リー・ウーハン)のアートと向き合うことで、癒しがもたらされることになるのではないでしょうか。