2024.05.23
作家名
2024.05.23
澁澤卿(しぶさわ けい)は、群馬県出身の日本画家です。
また、日蓮宗の僧侶であったことが知られています。
澁澤卿は、すでに亡くなられた画家ではありますが、「描く坊主」として有名でした。
国内海外問わず、各方面からの高い評価を得ており、これまで制作してきた作品も間違いなく高値で査定・買取されています。
澁澤卿の作品の大きな特徴といえば、自身が僧侶であったこともあり、人並み外れた繊細なタッチで描かれた優しい日本の独自の風景を描写したものが多いことです。
僧侶としての独自の世界観が絵画に表現されていることから、亡くなった後も多くのファンの心を掴んだまま離すことはありません。
澁澤卿の作品は、メディアでも取り上げられる機会が多く、テレビ番組「美の世界」などでも作品や人物のことが放送されたこともあり、当時は話題を呼びました。
多くの人が目にするテレビ番組で放送された後も、もちろん高い評判や人気を維持しています。
画家本人はすでに亡くなっていますが、話題が出る度にこれからも注目され続ける日本を代表する画家の一人として数えられるでしょう。
近年、澁澤卿の作品を探している方々が増えています。
定期的に世間で話題になることがありますので、澁澤卿の作品をお持ちなら、どんな作品でも査定買取対象となります。
もちろん、美術品としての価値も十分に高く、これまでも安定した多数の売買実績もあります。
日本を代表する日本画家である澁澤卿は、国内外を含めて世界中に多くのファンがいるのも事実です。
査定結果を見て、その人気の高さや絵画の価値の高さに驚かされるでしょう。
本記事では、澁澤卿の経歴や作品の特徴を中心に、澁澤卿の作品の査定・買取価格の目安や作品の価値についてご紹介します。
すでに澁澤卿に興味のある方はもちろん、これから澁澤卿の作品を本気で集めたい、と考えている方にとっても有益な情報を提供していきます。
目次
澁澤卿(しぶさわ けい 1949〜2012年)は、群馬県佐波郡境町(現伊勢崎市)出身の日本画家です。
澁澤卿は日本画家でありながらも出家して日蓮宗僧侶となっていることが大変ユニークで、僧侶としての独自の世界観をうまく表現し、「描く坊主」としての愛称を得ていました。
また、アカデミックな一面もあり、身延山大学客員教授を務めたり、東亜大学教授を務めたりもしました。
澁澤卿の作風の特徴は、彼独自の繊細なタッチで日本の風景を描写している点です。
全体的に見ると、大変やさしい印象を受ける画風が多かったため、老若男女問わずたくさんの絵画ファンに愛されていました。
本名は、澁澤瑩俊(しぶさわ えいしゅん)です。
日蓮宗僧侶としては、横浜六浦上行寺副住職も兼任していました。
1967年に目黒第3中学校・都立目黒高校を卒業しました。
その後、大伯父・和田三造の勧めによって、東京芸術大学工芸科デザイン専攻を受験するにあたり、大藪雅孝に師事したことが知られています。
また、有元利夫・宮廻正明らと共にデッサン等の基礎を学んでいました。
澁澤卿は、東京芸術大学に無事合格し、1974年に同大学美術学部を卒業しました。
澁澤卿は、美術大学卒業後、日本橋高島屋の宣伝部にデザイナーとして就職し勤務し始めました。
1974年、銀座画廊にて、自身初めての個展を開催し、当時よく描いていた人物画を数多く披露していました。
1977年になると、出家得度して日蓮宗僧侶となりました。
そして、澁澤卿の作風が一転したのは、1981年頃です。
その頃から、モチーフや作風に変化が見られ、花や風景など具象的作品を発表するようになりました。
澁澤卿は、美術系の大学に進みましたので、僧侶になった後も学問の世界にも携わり、1982年には東京芸術大学非常勤講師に就任しました。
また、1990年には東亜大学教授に就任、2001年には身延山大学客員教授に就任し、後進の指導にあたりました。
澁澤卿の日本以外での活動や活躍も紹介しておきます。
1989年には、バーゼル・アートフェアに出品しました。
1995年には、日本美術界を代表して中路融人らと共に中国政府に招かれ上海を訪れる機会がありました。
その後、2008年には、モスクワ・ワールド・ファイン・アートフェアにも出品しました。
また、個人では東京美術俱楽部の他にも、全国の有名百貨店や画廊などで意欲的に展覧会を開催していました。
澁澤卿の作品を見ると、全体的に柔らかく、繊細なタッチと味わい深い描写で制作されています。
今も大自然の中に残る美しい日本の風景を描いている多くの作品に高い評価が集まっています。
澁澤卿の場合は、主に「日本の風景」を題材にした絵画作品が定番です。
普通の人なら気が滅入るくらいの精密なタッチで細部まで表現されているのが特徴で、技術的なうまさだけではなく、常人を超え、真似ができないような根気が必要な制作スタイルを採っていました。
日本画は、油絵と異なり、制作するのに大変な時間がかかることが知られています。
その理由は、油絵のように絵の具が乾く前に上塗りすることができないからです。
塗ったところがしっかり乾いてからでないと、次の作業ができないといった問題があります。
澁澤卿の作品が気滅入るような作業を行っていた理由も、これだけの大作の一枚の絵を完成させるためには、相当な製作期間をかける必要があるからです。
澁澤卿が、日本画家・芸術家として専門家にも高く評価されていたのは当然ですが、絵画を描く際にも職人的な気質を持った妥協を許さない作家ではなかったのではないかと思われます。
澁澤卿の作品の中では、紅葉の赤色が絵柄に取り入られている作品である「常静光彩」や「浄界盛麗」などに大変な人気があり、高価査定で買取された事例があります。
澁澤卿の査定や買取でよく見かける作品についてご紹介します。
「雪華河径」
「春待山色」
「水花薫風」
「和風山水」
また、澁澤卿の買取価格情報の一部が公開されていましたので参考情報として紹介します。
澁澤卿は、すでに物故作家となっていますが、没後あまり年数の経っていない人気作家の一人です。
査定を行っても、大きな相場変動がないことから、間違いなく一流の日本画家だと評価できます。
澁澤卿の作品の高価査定できるポイントといえば、絵の「細かさ」や「繊細さ」となります。
澁澤卿が描く風景は、どれも細かくて緻密さが感じられるものばかりです。
その中でも特に細かくて繊細な作品は、評価が高くなる傾向があります。
さらに、桜などの季節を感じさせるような作品も、高価査定がつきやすい作品です。
また、版画作品なども制作されていますが、日本画と比べると少し落ち着いた買取価格になっているようです。
日本画に共通するポイントをお伝えすると、保存状態が悪いと、シミなどのダメージが出てしまい、保存状態・保管状態によって評価が変わってしまうことがありますのでご注意ください。
日本画は、「共シール」の有無が買取価格に影響しています。
「共シール」がない澁澤卿の作品は、若干評価が下がっても仕方がないでしょう。
澁澤卿やその作品は、知名度も高く、世界中で高い評価を受けています。
新しい作品がこれ以上出てこないことを考えると、ますます高い査定結果が期待できます。
ここまでで澁澤卿のこれまでの経歴や彼の作品の特徴について詳しくご紹介いたしました。
ここからはすでに澁澤卿の作品を所有してる方やこれからの所有を検討している方に向けて、高値査定や売却のポイントについてご紹介していきます。
美術品等の査定買取を行う場合、その作品や作家の知名度も査定に組み込まれています。
つまり、知名度が高ければ高いほど、査定買取も高くなるという意味です。
そして、発売直後の作品は、メディアで取り上げられる機会も圧倒的に増え、通常時よりも認知度や注目度が高まります。
多くの人の目に留まれば、査定額が大幅にアップします。
澁澤卿のような世界中から高い評価を集める日本画家なら当然です。
過去に手掛けた作品があれば、状態が綺麗なまま、例えば、発売直後の状態を維持していれば、期待する以上の高い査定結果になります。
人気芸能人や海外セレブがアーティストの作品やグッズを愛用していることがあります。
そのことがニュースになったり、SNSで紹介されたりすると、注目が集まることから「突然人気が高まる」ことがあります。
澁澤卿のことを知らない人でも作品を買い求める可能性もあります。
また、過去にトレンドとなった作品は、発売からかなりの時間が経過している作品でも、再度注目が集まり高額査定がつくことがあります。
今現在、澁澤卿の作品の売却を検討している場合は、各方面での情報に敏感になることが重要です。
こまめにメディアやニュースなどをチェックしながら、お持ちの作品の売却時期をしっかりと見極めることが必要でしょう。
澁澤卿の作品は、直接手掛けた作品の数が大変少なく、アートオークションなどでも高額落札されています。
希少価値の高い作品ほど、高価買取になることが多いので、焦らずに適切な売却の時期を待つようにしましょう。
もちろん、作品のサイズや作品の内容によっても買取金額は大きく異なります。
澁澤卿作品の売却をご検討の際には、作品の評価や価格の目安を知るためにも、ぜひ弊社にもお声掛けください。
本記事では、澁澤卿の経歴や作品の特徴、その作品の査定価格の目安と売却時の注意点について詳しくご紹介してきました。
「澁澤卿」は、人物そのものの評価も高く、日本画家としても一流で、知名度もあります。
これから澁澤卿の良質の作品を集めようと考えている方も、別のアーティストの作品が欲しくなって手放そうと考えている方も、澁澤卿の作品を査定・売却したい方は、ぜひ弊社にお問合せください。