2023.11.26

ジャン=ミッシェル・バスキアの人となり、その作品買取について

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この記事では、ジャン=ミッシェル・バスキアの経歴、性格、代表作品、作品の特徴、作品の所蔵されている場所、買取、売却、査定などをご紹介します。

ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat、1960年12月22日 – 1988年8月12日)は、ニューヨーク州ブルックリン生まれのアメリカ人画家です。

ジャン=ミシェル・バスキアの生い立ち

プエルトリコ移民の母親とハイチ移民の父親の間に生まれた彼は幼い頃、母親から絵を描くことと、芸術的努力を続けるよう言われました。そして17歳から地下鉄やスラム街などの壁にスプレーペイントを始めました。活動を続けながら高校を中退したバスキアは、Tシャツやポストカードを売ることで生計を立てました。その後、徐々に彼のスプレーペインティングが評価され、キース・ヘリングやバーバラ・クルーガーの協力を得て、ニューヨークで個展を開催するようになりました。また彼の絵に描かれた王冠は、彼のトレードマークと言われています。

アンディ・ウォーホルとの出会い

また1983年のアンディ・ウォーホルとの出会いが、バスキアのアーティストとしての将来を決定づけたと言われています。ウォーホルは、バスキアの存在や生き方、考え方、彼のスタイルや人脈などを見て彼を賞賛した人物であると言われています。

バスキアはウォーホルと絵を共同制作するなど、親密な関係を築きましたが、この経験はバスキアにとって作品に影響を受けた大きな出来事でした。

二人の関係は1987年にウォーホルが亡くなるまで続きました。この時、バスキアは少しずつヘロインなどの麻薬中毒に陥り、偏執症を患うことになりました。またウォーホルが亡くなったことで、孤独を感じ、さらにヘロイン中毒が悪化し、1988年にヘロインの過剰摂取により27歳という若さでこの世を去りました。

彼の死を『ニューヨーク・ポスト』が取り上げましたが、 前年2月に亡くなったアンディ・ウォーホルが同紙一面に掲載されたことと比較し、かなり控えめな扱いを受けています。

これは当時の現代美術界は白人至上主義であったことから黒人アーティストである(彼は黒人アーティストと呼ばれることを嫌がっていた)バスキアはこのような扱いを受けたと言われています。

彼の死から4年後の1992年、ホイットニー美術館の学芸員リチャード・マーシャル(後にバスキア財団とオフィスを共有)が同美術館で大規模な回顧展を開催したことでバスキアの作品に対する評価が高まり、2019年には日本初の大規模展覧会『バスキア展 Made in Japan』が「森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ)」にて開催されました。

彼が芸術界で人気となったのは悲しいことに彼の死後ではありますが、白人至上主義で

あった当時の現代美術界で独自の芸術領域を築いたことが彼の作品が評価された一つの要因と考えられています。

また彼の作品は 「人種差別」や「貧富の差」など、社会的メッセージが強く、それらも注目され続ける理由であると考えられています。

作品の特徴

彼は、生前わずか10年間で3,000 を超える作品を制作したグラフィティ アーティストの先駆者と言われています。彼は日常の出来事、テレビアニメや音楽などからインスピレーションを受け、様々な角度から絵を創作していました。

また、彼の作品に度々登場する「王冠」のマークの由来は、アメリカのテレビ番組『リトル・ラスカルズ』に登場するソバという黒人少年からきています。その少年はファンキーな「王冠」のような髪型をしており、バスキアも似たような髪型をするなど影響を受けていたと言われています。

バスキアの魅力は、クラブDJのサンプリングなど、さまざまな要素がミックスされ、自分なりの解釈で作品を「謎解き」する楽しさを盛り込んでいるところにあり、一見落書きのように見える絵や記号、文字で埋め尽くされたキャンバスには、たくさんのヒントが隠されています。

バスキアの作品に登場する頭蓋骨はバスキアの父親がハイチ出身であることが関係しています。ドクロは、ハイチやその他のカリブ海の島々、アフリカのトーゴやベナンで信じられているブードゥー教のシンボルです。また、バスキアは7歳の時に交通事故で入院した際、母親からプレゼントされた書籍「グレイの解剖学」を読んで、それが深く印象に残ったことから解剖学的な目線からドクロが描かれているとも言われています。このドクロは、ZOZOの創業者である前澤氏が2017年に123億円で落札したバスキアの最高傑作と呼ばれる「untitled」にも描かれています。

またバスキアの絵画でよく登場する三つ尖った王冠(クラウン)は「タキシード タキシード」「アルフォンソ王 アルフォンソ王」など、貴族的な意味で使われることが多いことに加えて、テレビ番組「リトル・ラスカルズ」の登場人物の角のある髪型に由来するという諸説があります。そのことから彼の盟友であるキース・ヘリングは、バスキアに向けて「ジャン=ミシェル・バスキアのための王冠の山」という絵を描いています。

さらにバスキアの作品は大量の画像や記号、文字で構成されている場合が多く、これらは人種差別や、聖書に関する事など、社会批判的な内容やアイデンティティに深く関係していると言われています。バスキアはこれらのイメージを記号や文字などで取り入れることで表現しています。著名な美術評論家「ロバート・ストール」はこの独特なスタイルを「アイラップ」と名付けました。

日本で注目される理由

日本は ZOZOの前澤氏をはじめ、世界有数のバスキアコレクター王国でもあります。その理由の一つに、バスキアの全盛期が日本のバブル期と重なったことから、公立美術館や企業は芸術に投資する余地が十分にあり、バスキアの作品が多く日本に集まったとされています。またウォーホルの秘蔵っ子であり、NYで最も勢いのある若手黒人アーティストであるバスキアの作品は日本の目から見ても十分魅力的だったと言えるでしょう。実はバスキアの作品はほとんどが個人コレクションであり、直接見る機会はあまりありません。そんな中でも日本では5つの公立美術館がバスキア作品を所蔵しており、実際にバスキアを鑑賞できる珍しい国でもあります。

またバスキアは生前3度来日しており、親日家であったと言われています。そのことから「折り紙」や「五重塔」、「ひらがな」など、彼の心を捉えた日本のモチーフが数多く作品から見受けられます。これらの理由も日本人にバスキアコレクターが多い理由の一つと言えるでしょう。

バスキアが評価されるポイント

バスキアが美術界に与えた最大の功績は、それまで「芸術として評価に値しない」とされていたストリートアート(グラフィティアート)というジャンルを美術として評価されるまでに昇華させたことだと言われています。

同時に「芸術を誰もが理解できるものに戻した」ことも彼の作品が評価された理由とされています。バスキアが注目される以前のアート界はわかりにくい抽象的な作品が多く、新鮮味に欠けていました。そんな中、バスキアの作品はメッセージをダイレクトに表現することで注目を浴びました。

作品の魅力が引き出された理由の一つには、ポップアートの帝王として成功を収めたアンディ・ウォーホルとタッグを組んだことも彼にとって良い刺激になったと考えられます。

また没後、多くの富裕層が彼に惹かれた理由は、彼自身が白人の富裕層にも受け入れられる粋な青年であったことも考えられます。

ただ残念なことに、彼が生きている間に彼の作品がきちんとした評価を得ることは叶いませんでした。その理由として、彼が生きていた1980年代は白人男性優位の社会であったため、きちんとした美術教育を受けていない黒人の青年であるバスキアは、高い評価を得ることが難しかったのでしょう。

そのことから美術館も彼の作品に関心を示さなかったため、現在バスキアの作品を所蔵している美術館は少なく、作品も限られた数しか残っていません。

ジャン=ミシェル・バスキアの代表作品

untitled(頭蓋骨) 1982

「untitled」は、ZOZOの前澤友作氏が123億円で購入したことでも話題になった絵です。またこの作品はバスキア作品の中でも最高傑作といわれています。

バスキアは普段制作にそこまで時間をかけませんが、この作品は数カ月の月日を要して制作されたと言われています。

Carbon/Oxygen 1984

暗いカラーのキャンバスに頭蓋骨や仏塔、ロケットやロックフェラー・センターなど、さまざまなモチーフが絶妙なバランス感覚で配置された作品です。白と黒を基調とした絵の中には772000÷103の計算式や、日本の五重塔を思わせる建物があったりと、バスキアの想像力溢れる頭の中が伺えます。

黒人警察官のアイロニー 1981

バスキアの特徴でもある「黒人」をモチーフにした作品。バスキアは自身の経験から人種差別に言及した作品を多く制作し、自身も黒人アーティストと呼ばれることをとても嫌っていました。その中でもアフリカ系アメリカ人の警察官が白人社会に抑圧されている様子を描いたこの作品は「制度化された白人社会や腐敗した白人政権」を批判しているメッセージが込められています。

 無題(黒人の歴史) 1983

キャンバス一面にさまざまな絵柄やメッセージが描かれた作品。画面の中央には、エジプトの使者である、オシリス船とナイル川を下る様子が描かれています。なぜなら当時、奴隷としてヨーロッパ人に連れて行かれた黒人の移動手段は「船」。その船の中では物のような扱いを受けていました。狭い部屋に何十人と押し込められ、ほとんどの人が船の上で命を落としたと言われています。また作品の右側に描かれている黒人の上には「Esclave, Slave, Esclave(奴隷)」という字が伏字、殴り書きで書かれています。これらは黒人を奴隷扱いしていた歴史が描かれています。またそんな中、都合よくその事実を忘れ、過去の悲惨な歴史を歪めようとしていた、当時の歴史学者を表現しているとも言われています。

まとめ

今回は世界的に有名なアメリカ人画家ジャン=ミシェル・バスキアをご紹介しました。彼のファンは、ZOZOの創業者である前澤氏をはじめ、多くのバスキアコレクターが国内外問わず存在します。また社会問題などのメッセージが込められた彼の作品は時代を超えて今後も高く評価され続けると予想されるでしょう。ジャン=ミシェル・バスキアの売却・買取・査定は当社へお任せください。



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