2023.11.26

高松次郎とは?これまでの経歴や主な作品の特徴、査定買取する際に役立つ情報!

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高松次郎(たかまつ じろう)は、東京都出身の日本を代表する前衛美術家です。

すでに亡くなられた美術家ですが、多様で幅広い作風が人気で、国内でも海外でも高い評価を得ています。

もちろん、これまで制作してきた作品も高値で査定・買取されています。

高松次郎の作品の大きな特徴といえば、絵画、立体彫刻や写真などにも幅を広げていることから、多彩な作品が残されている点です。

特に、高松次郎の代表作品となった「影シリーズ」は、日本のコンセプチュアル・アートにも大きな影響を与えました。

高松次郎の作品は、メディアでも数多く取り上げられており、全国各地で不定期に開催されている展覧会などでも目にすることがあります。

画家本人はすでに亡くなっていますので、今後新しい作品は生まれませんが、定期的に取り上げられ、注目され続ける美術家の一人です。

高松次郎の作品を探し求めている方は常にいらっしゃいます。

世間で話題になれば、関心を持つ方が増え、高松次郎の作品が高価買取になることがあります。

彼の作品は美術品としての価値も相当なもので、多数の安定した売買実績があるので安心と信頼が置けます。

日本を代表する前衛美術家であった高松次郎は、今も国内外を含めて世界中に多くのファンがいます。

査定を行うと、その価値や人気の高さに驚かされることでしょう。

本記事では、高松次郎の経歴や作品の特徴を中心に、高松次郎の作品の査定・買取価格の目安や作品の価値についてご紹介します。

すでに高松次郎に興味のある方はもちろん、これから高松次郎の作品を集めたい、と考えている方にとっても有益な情報を提供していきますので、ぜひ参考にしてください。

高松次郎とは

高松次郎は、1936年東京都生まれの前衛美術家です。

本名は新八郎でした。

1954年に東京藝術大学絵画科に入学し、在学中は小磯良平に師事しました。

高松次郎は、前衛芸術に傾倒していました。

卒業後は就職して仕事をしながら芸術活動を行っています。

中西夏之・赤瀬川原平らと芸術集団ハイレッド・センターを結成し、数多くのパフォーマンスを実践したことで知られています。

初期作品は、絵画だけではなく映像や壁画、写真など多岐にわたり、反芸術的要素が強かったようです。

その後、自身の代表作となる「影」シリーズが脚光を浴び、スーパースターのような芸術家となっていきます。

木や石や既製品に少し手を加える、遠近法を用いて目の錯覚を呼び起こすなど、受け手に「考えさせる」試みを行い、1960年以降のコンセプチュアルアートに多大な影響を与えました。

晩年は今までとは打って変わって「形」シリーズに取り組み、今度は平面作品に注力し、世界中を驚かせました。

1998年に亡くなっております。

高松次郎の経歴

高松次郎は東京都に生まれる

高松次郎は、1936年に東京都で生まれました。

中学2年生頃にピカソの作品を通して現代美術に興味を持つと同時に、アインシュタインを知って大きな衝撃を受けたというエピソードが残されています。

その後、1954年に東京藝術大学絵画科油画専攻に入学し、在学中はモダンな西洋絵画で著名な小磯良平に師事していました。

同級生に工藤哲巳、中西夏之などがいました。

卒業後に本格的に活動を開始

1956年に雑誌『近代文学』にカットを描き、この頃から「高松次郎」を名乗りだしました。

そして、藝大卒業後の1958年より第10回読売アンデパンダン展(東京都美術館)へ作品の出品を開始しました。

以後1959、1961、1962、1963年にも同展へ出品しています。

大学卒業後、一般企業に就職してインダストリアルデザイナーとして働きながら、作品を制作しています。

美術活動を開始した初期の頃は、前衛芸術に傾倒していたため、中西夏之、川仁宏らと共に、有名な「山手線事件」というハプニングを起こしました。

また、中西、赤瀬川原平らと芸術集団ハイレッド・センターを結成し、数多くのパフォーマンスを披露しました。

前衛芸術と山手線事件

前衛芸術は、フランス語の前衛部隊・アバンギャルドの意味で「最先端に立つ人」のことです。

芸術の文脈においては、「革新的な試み」や「実験的な試み」のことを示します。

わかりやすくいえば、革命を象徴するかのような芸術活動のことです。

1962年、藝大の同級生だった中西夏之らとハプニング「山手線事件」を山手線車両およびホームで決行しました。

当時実施された「山手線事件」は、有楽町駅ホーム、上野駅ホーム、山手線車内でのイベントでした。

この事件は、芸術集団ハイレッド・センターが結成される前の象徴的なイベントです。

当時は、川仁宏らが参加していましたが、まだ赤瀬川原平が参加していませんでした。

芸術集団ハイレッド・センター

1963年には、赤瀬川原平、中西夏之とハイレッド・センターを結成しました。

シンボルマークは、真紅の「!」です。

メンバーの名前の「高」=「ハイ」、「赤」=「レッド」、「中」=「センター」を組み合わせたものが名称になっています。

その芸術活動は、東京オリンピックを前に警戒中の東京の路上で、秘密組織的な印象を漂わせた行動を起こしたり、逆に過度に公的機関の重要事業を装ったりして都市を撹乱するものでした。

路上・電車の中・ホテルなどのいつもの日常的な場所において、あえて非日常的な行為を行う過激な「イベント」を敢行し、美術ジャーナリズムや週刊誌などに取り上げられ、世間の注目を集めていました。

「影」シリーズの開始

1964年、高松次郎の代表作となるシリーズ「影」の制作を開始しました。

その際は、個人名義で発表を行っています。

その後、絵画の形式を持つものや、彫刻に似た立体物、文字を用いた版画や写真など、様々な分野にわたった作品を制作し続けました。

1968年、第34回ヴェネチア・ビエンナーレ

1970年、第10回日本国際美術展(東京ビエンナーレ)「人間と物質」

1977年、ドクメンタ6

など、日本だけではなく、世界中でも芸術活動を展開し、意欲的に作品を発表しました。

1973年頃からは作風が一転し、平面作品を熱心に手がけるようになり、1998年で亡くなるまで作品の制作を継続していました。

美大の講師を勤めていた時代

高松次郎は、1968年より多摩美術大学専任講師を務めています。

その後、1972年〜1974年までは、東京藝術大学にて美術学部油画科非常勤講師を務めました。

1981年「十代の会」の発起人の一人として同会創立に参加しています。

この会の発起人には、谷川雁、根本順吉、間宮芳生、定村忠士、高野睦、C・W・ニコル、西藤和などがいます。

高松次郎の作風

高松次郎の作品はインスタレーション(展示空間を含めて作品とみなす手法のこと)から絵画、彫刻、壁画、写真、映画にまで様々なスタイルを駆使しているという特徴があります。

その多くの作品が抽象的かつ、反芸術的な色合いが濃くなっています。

高松次郎の作品の中では、実体の無い影のみを描いた作品「影」シリーズが最も脚光を浴びています。

また、普段目にする石や木などの自然物をそのままに、僅かに手を加えただけの作品、遠近法を完全に逆にしたような作品など、あえて鑑賞者に「思考させる(する)」ことに重きを置き、作品と世界との間に新しい関係を作りだすことに成功しました

このような高松次郎の制作スタイルや作品の展示方法は、1960年代以降の日本におけるコンセプチュアル・アートに大きな影響を与えたことが高く評価されています。

しかし、1980年代になると、新しく登場した「形」シリーズでは作風に大きな変化が見られるようになります。

「形」シリーズの作品には、飛躍的な展開が見られ、平面空間の中に線、面、色彩などが溢れるようになります。

高松次郎は、62歳で亡くなるまで20年間以上三鷹にアトリエを構えており、病に倒れた後も亡くなる直前まで「形」シリーズを追求し続けました。

高松次郎の作品

主要な美術館等に収蔵されている高松次郎の作品です。

  • 「遠近法の日曜広場」(1970年)大阪万博日曜広場におけるインスタレーション
  • 「遠近法のテーブル」(1967年)東京都現代美術館他
  • 「ガラスの単体」(1971年)東京国立近代美術館他
  • 「日本語の文字(この七つの文字)」(1970年)国立国際美術館他
  • 「影」の壁画(1967年)サパークラブ・カサドール店内の壁画(倉俣史朗デザイン)
  • 「影」の応接室(1974年)西日本シティ銀行(旧福岡相互銀行)本店応接室の壁画(磯崎新設計)
  • 「赤ん坊の影NO.387」千葉市美術館蔵

高松次郎の買取価格情報の一部が公開されていましたので参考情報として紹介します。

  • パステル記紀物語 ¥1,100,000
  • NO.944 ¥660,000
  • ガッシュ ¥770,000
  • NO.820 ¥880,000
  • NO.521 ¥550,000

作家本人はすでに亡くなられていますが、高松次郎の作品は、世界中で高い評価を受けています。

知名度も高く、高価査定がつく作品が多数存在します。

高松次郎の場合は、代表作となる「影」を題材にした作品が最も高く評価されています。

特にパネルにフックなどで影を作る作品が高価買取された実績が多く、数百万円単位の評価額がついています。

他にも、原色を多用して描かれた波のような構図も代表作品のひとつです。

ただし、影を表現した作品と比べると少し落ち着いた価格帯となっています。

他にも版画作品も取り扱いがあり、高価査定の対象となっています。

高松次郎の作品は査定・売却は可能なのか

ここまでで高松次郎の経歴や作品の特徴についてご紹介してまいりました。

ここからはすでに高松次郎の作品を所有している方やこれから所有したいと検討している方に向けて、高値査定や売却の注意点についてご説明します。

作品の発売直後

美術品等の査定買取は、その作品や作家の知名度によって異なり、査定買取に影響します。

例えば、発売直後の作品は、メディアで取り上げられる機会も増え、認知度や注目度が高くなり、一時的に査定額が上昇します。

高松次郎のような世界中から高い評価を集めるアーティストの場合も同様です。

過去に手掛けた作品でも、状態が綺麗かつ発売直後の状態なら、より高い査定結果が出ます。

メディアで注目されるとチャンス

人気芸能人や海外セレブがアーティストの作品やグッズを愛用しているとSNSで話題になることがあります。

すると「突然人気が上昇」し、多くの人に知られるようになります。

過去にトレンドとなった作品は、発売から長期間経過している作品でも、高額査定できることがあります。

高松次郎の作品の売却を検討する場合も、各方面での情報に敏感になることが重要になります。

こまめにメディアやニュースなどをチェックすると、売却時期の見極めができるようになるでしょう。

高松次郎の作品は、作家自身が手掛けた作品の数が少なく、アートオークションでも高値で落札されているため、確実に高価買取になります。

作品のサイズや作品の内容によっても買取金額は大きく異なりますが、高松次郎作品の売却をご検討の際にはぜひ弊社にもお声掛けください。

まとめ

本記事では、高松次郎の経歴や作品の特徴、その作品の査定価格の目安と売却時の注意点についてご紹介しました。

「高松次郎」は知名度もあり、一時代を築いた人物として国内外で高く評価されているアーティストです。

これから高松次郎の良質な作品を集めようと考えている方も、別のアーティストの作品が欲しくなって手放そうと考えている方も、高松次郎の作品を査定・売却したい方は、ぜひ弊社にお問合せください。



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