2024.11.22
作家名
2024.11.22
柏本龍太1973年(昭和48年 )〜とは、優しい過去たちがささやきかけてくれるかのようなアーティストです。
私達には時間の観念があります。
「過去」があり、「現在」があり、「未来」がある……。確実にそのようなものが存在しているつもりなってしまっているかのかもしれませんが、私達に存在しているのは、「過去」に埋没した時間だけなのかもしれません。
そこにある現在も、すぐに過去へと累積。その無情に抵抗せず過ごすことが人間の自然と共存できる一番美しい形であるのかもしれません。柏本龍太のアートに触れることで、鑑賞する人たちはそんな気持ちにもさせられてしまうことでしょう。
今回は、そんな柏本龍太のアートを深堀します。
目次
柏本龍太は、1973年(昭和48年)長崎県に誕生します。
二浪した結果、芸大をあきらめることになり、その後、長崎美術学院で恩師の小川巧先生に師事します。
1996年(平成8年)には、長崎美術学院本科研修科を修了します。
1996年(平成8年)長崎美術学院本科研修科を修了。
1998年(平成10年)春季二紀選抜展で優賞受賞。
さらに、2000年(平成12年)には、春季二紀選抜展で大賞を受賞。 また、第2回雪梁舎フィレンツェ賞展(雪梁舎美術館)でフィレンツェ大賞を受賞、九州二紀展で九州二紀賞を受賞しています。
2001年には、イタリア滞在期間があり、2002年(平成14年)には、第56回二紀展で二紀賞を受賞しています。
さらに、2003年(平成15年)第1回日本アートアカデミー大賞グランプリを受賞。
2003年(平成15年)第38回昭和会展で日動美術財団賞を受賞。 また、第22回損保ジャパン美術財団選抜奨励展で秀作賞を受賞。
2005年(平成17年)スペイン美術賞展 で優秀賞を受賞。
2006年(平成18年)広島・長崎・レカナーテイ平和美術展(広島市、長崎市、レカナーテイ市) 第15回英展 佳作賞を受賞。 また、第60回二紀展 同人優賞を受賞。
現在、柏本龍太は、日本美術家連盟の会員であり、社団法人二紀会同人のメンバーとなっています。
柏本龍太は、決して昔の時代を生きるアーティストという訳ではありませんが、現代アートとは一線を画したような、世間の流れには全く迎合せず、我が道を突き進んでいるようなアーティストです。そのような意味では、現代において珍しいタイプのアーティストであるとも言うことができます。
柏本龍太は、まさに質実剛健な九州男児であることも芸術志向に影響しているのかもしれません。柏本龍太は焼酎が似合うような人物像です。現在も意欲的にアート活動を続ける一方で、講師として、アーティストを目指す若い人たちの指導を行っています。
柏本龍太のアートには、独特な空間表現があります。九州男児っぽく、太くてどっしりしている筆致で描いているようにも見えますが、柏本龍太のアートからはどこか儚さであったり、脆さの片りんも浮かび上がってきます。
さらに言えば、柏本龍太のアートは空間が重なり合って、鑑賞する人たちは、あちらの時間とこちらの時間を行き来することができるような不思議な感覚を抱くことができます。
何よりも鑑賞する人たちは、現代的ポップアートでない彼のアート性に、落ち着き感であったり、やすらぎを感じたりするのではないでしょうか。
ポップアートはポップアートで充分アートチックではあるのですが、そのようなアートがあふれた時代、突如として表れる特異体質な、いわば古風なアートに縋りつきたい思いになってしまうこともあるのかもしれません。
柏本龍太は、初期のころには、鳩と人物を構成した「energy flow」シリーズを中心に発表していました。
そして、最近の傾向は、楽器を演奏する人物であったり、バイクと人物をモチーフとし、色面を効果的に構成するなど抽象的な画風のシリーズを発表しています。その中で評価されているのは、豊かなイメージ展開であり、躍動感のあるドラマティックな筆さばきです。
柏本龍太は、日本のアカデミーを経由しない形で、本場イタリア・フィレンツェでのアートの研修を積んできました。また、どの学閥にも属せず、マケドニアであったり、ブルガリア、また、スペインなどと言った海外での発表を続けて行うことで、グローバルな視点をもつことができ、柏本龍太独自のバリエーションあるアート性を成長させています。
柏本龍太のアート作品である「花鳥風月」のモデルは、ジーンズとタンクトップと言った現代的な、アクティブに活動する女性像です。
しかし、実際には、日常生活を謳歌しているのかと言えば、ちょっとそんな感じでもなく、女性は、背中を向けて俯いています。
柏本龍太のアートに使われる下書きのようなブレたラインは、鑑賞する人たちに様々な空間を突き付けてきます。彼女は、動的に時間の中を移動しているよう、過去と現在のつながりを感じることができます。
そして、その空間は、未来をも作り出しているはずなのですが。
彼女は、決して明るい未来を夢見ているという感じではありません。しかし、過去を相当嘆き憂鬱になっているという感じでもありません。人生というものは、本来このような感じで日常生活が淡々と続くだけのものなのかもしれません。
彼女の側には未来も寄り添っているはず……。しかし、そこにある未来は、すぐに現在となり、淡々とした現在の中に埋没していくだけです。
色合いも、暗めのカラーが使用され、彼女の頭あたりにはブラックが使用されています。
「花鳥風月」とは……、自然の美しい風物のことを言います。 花鳥とは、詩歌、絵画などの題材とされる自然の景物の花と鳥を意味し、風月は自然の風景の代表として風と月を意味します。
なんで柏本龍太は、この絵に対して、「花鳥風月」と名付けたのでしょうか。
まさに、あまりにも未来を期待しすぎないことが、人間が、世界(自然風物)にうちとける一番美しい在り方なのかもしれません。
未来を期待すること。それによって人たちは明るい表情にもなることができるのですが、未来を夢想することこそが、人間の我欲であり、人間が欲をもってしまうからこそ、自然は破壊され、調和を失ってしまうのです。
もっともっと自然と調和するために、人間は過去ともっと対面し、会話をするべきではないのか。そのとき、人間も自然から誕生した、土や雲、風や水と何も変わらない存在だと気づくことでしょう。
また、この花鳥風月には、柏本龍太の仕掛けがあります。それは、彼女の背中、肩あたりから、白い羽が生えているように見えることです。
実際に羽ではないのかもしれません。描き方は、いたって中途半端であり、彼女の背中にピッタリと貼りついている訳ではありません。
これを羽としてとらえれば、彼女に未来に対してのささやかな光芒も感じとることができます。
自然と調和することができたゆえ、自然界からのご褒美を与えられたのでしょうか。
ただし、その羽は天使の羽という感じでもなく、そんなものを与えられても邪魔になるだけで使い物にはならないような……。ひょっとして彼女にとっては羽がもたらされることで、負担はよけい重くなってしまうのかもしれません……。
それは、過去に引っ張られるかのような羽?
しかし、それは羽ではないのかもしれません。彼女の背中あたりの部分では、鳥の頭のようにも見え、両手があり、何か丸い卵のようなものを彼女の背中に埋め込もうとしている気配もあります。
丸い卵のようなものはなんなのでしょうか。
しかし、柏本龍太は、このアートに対して、紛れもなく花鳥風月と名付けているのです。
柏本龍太のアート作品「SPACIO FLESCO」では、何気ない仕草のワンシーンである、長い髪を束ね上げ、うなじをみせる女性が描かれています。
こちらも、女性像の輪郭は、ブレたラインで描かれています。
またこちらも、過去から現在に至る時間が流れているかのように見えます。時間は、未来へもつながっているはずなのですが、あまりこの絵からは未来を感じとることはできません。
そこにある未来は、すぐに現在となり、何でもないものに風化してしまうのでしょう。
花鳥風月においても言えるのですが、このアート作品においても、ふわふわとしたちぎれ雲のようなものが描かれています。
これは一体なんなのでしょうか。
それは、鑑賞する人たち自身で考えていただければ。
それは、やがて、羽になり、彼女を明るい未来へと導いてくれるのかもしれません。また、そうではなく、優しい過去に押し戻そうとしているのかもしれません。
現在、柏本龍太のアートを所有していて売却査定して欲しいと思っている方々もいらっしゃることでしょう。
風景であったり、花、楽器を演奏する人物や、バイクと人物をモチーフにした作品など、柏本龍太のアート作品は多岐に渡りますが、それでも何といっても美しい女性像と楽器をモチーフにしたものは断トツ人気で高い売却査定額を期待することができます。
柏本龍太は、油彩絵具で独特の空間を生み出しています。太くどっしりとしている筆さばきで身体を描くものの、どことなく儚くもあり……。はやりのサブカルチャーに傾倒しない骨太な作品に人気が集まっています。
また、柏本龍太の直筆作品は多く流通できないため、高価買取につながりやすいです。
いかがでしょうか。今回は柏本龍太のアートについて解説しました。
人たちは、未来を夢見ていたいけど、未来ばかり見続けていては、どうしても疲労してしまうものです。
現代社会って、そんな肩透かしの未来ばかり見つめている方々が多いのではないでしょうか。
柏本龍太のアートには、現在と過去の時間の流れを感じとることができます。未来へ進んでいきたいと思うものの、すぐに未来は現在に溶け込んで、やがて過去へと累積していくのです。
人間にとって避けることができない過去、過去にもう少し丁寧に寄り添うことで、自然と調和できる人間らしい生き方を見つけることができるかもしれません。やがて過去が優しく手を差し伸べて妥当な現在へ背中をおしてくれることでしょう。