2023.11.27

画家の織田広喜の作品は買取可能?作品の特徴と買取査定について解説

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織田 広喜(おだ ひろき、1914年 4月19日 – 2012年 5月30日)は、日本の画家。福岡県出身。日本芸術院会員、二科会常務理事、会長などを歴任。

1914-2012 故作家。

日本の洋画家。福岡県生まれ。1929年、臼井尋常高等小学校卒業。阿蘇鉱山に勤めていた父親が病気になったため、家族を養うために陶芸の絵付師として働いたようです。福岡市の駄菓子屋と臼井村の郵便局員として働いています。1931年から同村在住の画家から油絵の指導を受け、同年の福岡県美術展に入選した。

1932年に上京し、1934年に日本美術学校絵画科に入学。 当時の講師は大久保作次郎で、後に藤田嗣治、林武に師事しました。1939年日本美術学校洋画科卒業。1940年、第27回二科展で初入選。1943年に横河電機株式会社製図部に徴兵されます。

戦後、彼は進駐軍に雇われ、兵舎の廊下に壁画を描く仕事をしました。1946年第31回二科展に出品し二科賞を受賞。1950年に彼は協会の会員に選出されました。1951年に二科会画家の間宮リラと結婚。1960年に初めて渡仏。1995年、二科展に出品した『夕焼け空の風景』で日本芸術院恩賜賞、日本芸術院賞を受賞、会員に選出されます。日本芸術院(洋画)。1996年には臼井町織田広喜美術館が開館しました。2003年にフランス政府より芸術文化勲章(シュヴァリエ)を受章。2006年に二科会会長、2012年に名誉会長に就任しました。彼は98歳です。息子は洋画家の織田裕彦。

出身地は臼井・香穂。

臼井町は私が育った場所です。

「寄付させてください」と思いを伝えました。

思い出の作品が故郷に飾られるのは幸せなことです。

~『絵筆とリラ』より~

出身地 臼井・香穂

梨畑と田んぼが広がるのどかな風景。 実家近くの千住川のせせらぎではカワセミや野鳥が休み、シジミやカニを採って遊ぶなど、美しい自然に囲まれて幼少期を過ごしました。

3歳で臼井村(現嘉麻市)に移住後は、父・鶴吉の影響で家にあった画集をおもちゃ代わりに、ルーベンスやダ・ヴィンチの絵を画用紙に模写していたようです。この思い出の地には、作品を受け取った筑豊や故郷の多くの人々への感謝の気持ちを込めて、自ら寄贈した絵画があます。『賛美歌』は4人の女性が賛美歌を歌う牧歌的な傑作です。 まるで農村を思わせる色合いの絵からは故郷への思いが伝わってきます。

「嘉穂劇場全景」1998年

「ガール」1987

パリで見たもの。

「美しい建物ですね。」 かつてそう思いながら描いたことがあります。

後で聞いたら、それはルーブル美術館だったそうです。

言葉が分からないから感動したり興味津々だったり

~『絵筆とリラ』より~

織田さんの作品にはパリをテーマにしたものが多いです。行きたくても行けなかったパリを想像した創作作品もあったが、1960年には単身船で渡仏。見るもの全てが新鮮で、自然や風景、夜の女性の絵などを「描きたい」という直感に従って、心を込めて描き続けています。 モンマルトルのサーカス小屋では、絵を描く紙がなくなってしまったので、チケットの余白にも絵を描きました… 彼は貧しい絵描きでしたが、心は豊かでした。憧れのパリで学んだのは、古き良きものを大切にし守り続けるフランス人の頑固さと、何かを発見しようとする精神だったのです。 同時に、日本やフランスでも織田の絵画が「日本人だから描ける絵」=「模倣ではない個性のある絵」として認識され始めたのもこの頃です。

「モンマントルの風景」1962年

リラのそばに。

リラさんは「今は売れなくても大丈夫。30年後くらいには売れるよ」と言いました。

~『絵筆とリラ』より~

誰もが生きるのに精一杯だった戦後初の二科展。 そんな時代だからこそ、夢のある絵を描きたいと思い、現代的な衣装を着た女性を描いた大作『黒装』を制作しました。 白と黒の強いタッチがリラを惹きつけ、二人は出会った。 結婚後、リラ夫人はアトリエを兼ねたバラックハウスを建て、自ら絵筆を握ることなく夫と子供たちを養い続けました。 物資の乏しい時期に、キャンバスを水に浸して絵の具を落とし、服の芯地を畳針で縫い、キャンバスとして使用したようです。遺跡が見えます。 生活は質素だが、いつも惜しみない愛情と潤いに満ちた日々だったのです。 リラは彼の絵の中で永遠に生き続けます。

「フラワー」1990

良い意味で嘘をついた絵の方が良い。

キャンパス内は自由。

楽しくお絵描きしましょう。 あなたが幸せになれば、人も幸せになります。

~『絵筆とリラ』より~

織田画家は幼い頃から絵筆を持ち続けていた。 緑の木々は黄色、藁の山は茶色、空は黄色などです。 彼は若い男の子でした。

多くの作品のモチーフとなっている国籍不明の女性についても語ります。 「対象そのものを見て描くのはつまらない。石や天井を見ても模型のように見えるように想像力を働かせて、その物に宿る魂を描きたい。 」 作品のイメージとして母・正乃とその妻・リラの姿が重なるのはこのためだろうと思います。 夢を膨らませて、自由にお絵かきを楽しんでください。 それはアーティスト、織田広喜さんの絵です。

織田広喜のスタイル

織田広喜さんといえば、<少女>をモチーフにした絵画作品ではないでしょうか?

女の子以外にもパリの風景なども描いていますが、買取価格に関しては<女の子>を描いた作品の方が評価されやすい傾向にあります。少女を描いた作品の中でも、〈赤い帽子〉をかぶった少女の絵であればよいとされています。絵の具をふんだんに使った荒々しいタッチが特徴で、見るものを引き込む力があります。顔がはっきりと描かれていないということは、見る人に判断を委ねるのかもしれません。

織田広喜は、現実世界をありのままに描くのではなく、「想像して嘘をつく」ことで絵が生まれると語り、初期から晩年までデフォルメされた女性像をフィーチャーした幻想的な作品を制作しました。そういった作品で多くのファンを生み出しています。

履歴

1914年 福岡県千住村(現嘉麻市)に生まれます

1929年 – 碓氷尋常高等小学校卒業。

1939年 日本美術学校洋画科卒業。

1940年 二科展に初入選。

1950年 二科会会員に推薦される

1960年 – 初めてフランスを訪問。

1968年 第53回二科展にて内閣総理大臣賞受賞。

1971年 第56回二科展にて東郷青児賞受賞。 パリで初の個展を開催。

1992年 勲四等瑞宝章受章。

1995年 日本芸術院賞、恩賜賞を受賞。 日本芸術院会員となります

1996年 – 臼井町織田広喜美術館が開館。

1997年 臼井町名誉町民の称号を受けます

2003年 フランス芸術文化勲章第三級瑞宝章およびシュバリエを受章。

2006年 二科会会長。

2012年5月30日 – 心不全のため死去。 98歳で死去。死後に従四位に叙爵されました。

作品

女の子

賛美歌(嘉麻市織田広喜美術館蔵)

黒(福岡市美術館蔵)

キタホテル

サン ドニにて

モンマルトル

嘉麻市織田広喜美術館

施設の外観

嘉麻市織田広喜美術館は、福岡県嘉麻市上臼井(北緯33度33分39秒、東経130度42分30秒)にある美術館です。織田広喜の作品を常設展示。

織田広喜の作品は査定・売却は可能なのか

織田広喜の買取査定ポイント

作家評価 大正から平成にかけて活躍した洋画家。独特の視点から描かれる作品は、官能的な美しさと優しい雰囲気を持ち、不思議な安らぎをもたらす作品が特徴です。息子は洋画家の織田裕彦。

技術評価作品の奥深さを感じられる直筆作品は評価が高く、高価買取につながりやすいです。

デザイン評価 真っ赤な帽子をかぶった女の子は高価な買い物につながりやすいです。特に顔が可愛い作品は高価買取につながりやすいです。

織田広喜の現在の評価と価値

独特のタッチで女の子を描く作家として有名な織田広喜ですが、全盛期に比べると近年の評価は厳しくなっている印象があります。過去の相場を知っている方には驚かれる買取価格かもしれません。

具体的な買取金額はモチーフやサイズ、絵柄などによって異なりますが、数万円台になることが多い印象です。美術館に収蔵されてもおかしくない作品であれば、数十万円の価格がかかります。販売されている作品はSM~4以下のサイズが多く、美術館クラスの作品はなかなか見られません。

油絵は湿気によりひび割れなどのダメージが生じる場合がございます。作品の状態が悪いと評価に影響するため、保管には注意が必要です。また、一部模倣品も出回っております。

織田広喜の買取価格情報

シャンゼリゼの風景

奥には凱旋門があり、シャンゼリゼ通りをパリジェンヌたちがスマートに歩いています。 明るく華やかな衣装を身にまといながらも、パリ特有のアンニュイな曇り空の特徴がよく表現されています。 奥行きのあるセピア調のクールな柄です。織田広喜さんの希少な作品ですので、高額相場での査定価格が期待できます。

景色

パリジェンヌの憂いを帯びたたたずまいと幻想的に描かれた風景は懐かしく、見る人に癒しを与えます。 指で描く独特のタッチが他にはない情景を生み出します。織田広喜は全国的に人気を集めている作品なので高価買取が期待できます。

森の女の子

大きな赤い帽子をかぶった女の子。彼女の深い詩情と哀愁、そして大きく純粋な人間愛が詰まった作品です。森に迷い込んだおとぎ話のような柄。織田広喜さんはマニアに愛される作品が多い作家なので、高額査定が期待できます。

シャンゼリゼ

シャンゼリゼ通りは、フランスのパリ西部にあるメインストリートです。この通りは長さ 1880 メートルで、東のコンコルド広場から西のシャルル ド ゴール広場まで続いています。トチやプラタナスの美しい並木が広がるこの場所を、織田広喜独自のアンニュイな手法でモダンにアレンジ。織田広喜が探しているので高値がつきやすいので高額査定が期待できます。

黄色い帽子をかぶった女の子

憂いを帯びた横顔の少女。黄色い帽子をかぶった大きな瞳と、大きなリボンが付いたウェーブのかかった愛らしいロングヘアが特徴です。パリをおしゃれに歩いているような気分になれる作品です。織田広喜は人気があり需要も高いので高価買取につながりやすいです。

赤い帽子をかぶった女の子

花のコサージュが付いた真っ赤な帽子をかぶって、おしゃれにパリへ繰り出します。 その大きな瞳は、未来の自分を見つめているのでしょうか。 織田広喜先生の代表作ですので高価買取します。

織田広喜■ 日本芸術院 【少女】 油彩 SM 直筆サイン 真作保証有り

現在 12,500円、即決 –

真作保証 織田広喜3号太陽の裸婦 名鑑870万芸術院会員中曽根康弘絶賛画家!勲四等瑞宝章フランス芸術勲章内閣総理大臣賞二科会理事

現在 14,746円、即決 –

織田広喜 「バレンシヤの海水浴場」 /キャンバスに油彩8号/師:大久保作次郎、藤田嗣治、林武/日本洋画壇の第一任者/真作保証/ENCHANTE

現在 165,000円、即決 –

【真作保証】織田広喜「花束と赤いドレス」油彩4号/額新品/二科展会員/父 織田広喜

現在 205,000円、即決 –

織田広喜 「少女」 油彩画 8号 芸術院会員 【正光画廊】

現在 495,000円、即決 –

織田広喜 「TEA TiMEの少女とララ」 /キャンバスに油彩6号/頬杖をつく気だるい雰囲気の女性/織田広喜の長男/真作保証/ENCHANTE

現在 187,000円、即決 –

まとめ

織田広喜は1914年、当時の福岡県千住村(現嘉麻市)に生まれ、幼少期を臼井村(現嘉麻市)で過ごし、その後東京に移りました。

電気会社に勤めるなど様々な仕事をしながら猛勉強し、画家になりました。二科展で知り合った妻リラ(1927-1998)の援助を受けながら、絵画制作に専念しました。1995年には二科会常務理事、日本芸術院会員となり、2012年に亡くなるまで意欲的な創作活動を続けました。

一方、1985年にリラがくも膜下出血で倒れてから亡くなるまで、彼は寝たきりの妻を介護し、愛し、共に暮らし、絵を描き続けました。

彼の作品は、憂いを帯びた女性の姿と幻想的な風景が特徴です。

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