2024.11.25
作家名
2024.11.25
濱田庄司(はまだしょうじ)(1894年(明治27年)12月9日 – 1978年(昭和53年)1月5日)は、昭和の時代に活躍した、日本を代表とする陶芸家です。
栃木県益子町に定住し、益子焼の中興の祖として知られています。
人間国宝でもある濱田庄司の益子焼には、現在高い買取価格がついています。
今回は、濱田庄司の益子焼について、また、濱田庄司が提唱した民芸運動などについて解説します。
目次
濱田庄司は、柳宗悦であったり、河井寛次郎、芹沢銈介、バーナード・リーチらとともに民芸運動を起こした人物としても知られています。
また、濱田庄司は、益子焼にも大きく貢献してきました。
益子を、海外からも注目されるような窯業地としたのは、濱田庄司あっての力です。
民芸運動とは、手仕事によって生み出された日常使用のいろいろな器に対し、美を追求しようとする運動のことです。
民芸運動以前は、上流階級が好むアート品を「上手物(じょうてもの)」とし、地方に存在する手仕事のモノを「下手物(げてもの)」と呼んでいました。
濱田庄司は、柳宗悦であったり、河井寛次郎、芹沢銈介、バーナード・リーチらとともに、民藝運動を提唱し、日本全国を巡って自分たちの技術であったり、センスにより、「ものづくり」を指導し、今まで地方の下手物に過ぎなかった職人、産地を盛り上げ、「用の美」を見いだしてきました。
濱田庄司の作り出す益子焼は、買取価格も高騰し、アート的価値が高まるばかりですが、時として再び日常的視点に立って愛でることも大事なのではないでしょうか。
日常性と美の観念は決して切り離すことができない関係です。
特に当時の工芸界は、華美な装飾を施し、観賞用の作品が主流でした。そのような状況下、濱田庄司たちは、名もないほどの職人たちの手から生み出される日常的生活道具を「民衆的工芸」と命名し、アート作品に負けない程の美しさをもつと主張、「美は生活の中にある」と提唱します。
柳宗悦とは
柳宗悦は、民芸運動の父と呼ばれている人物です。様々な民芸品の蒐集、また、各地の伝統的工芸の指導、著作活動などを通して、一大生活文化運動を推し進めてきました。
河井寛次郎とは
河井寛次郎は、初期には中国の古陶磁に習った技巧的、かつ華やかな作品を制作してきました。
陶芸の以外にも、彫刻であったり、デザイン、書、詩、詞、随筆などと言った分野でも優れた作品を残しています。
芹沢銈介とは
芹沢銈介は、染色作家として知られています。沖縄の紅型に注目して確立した「型染絵」の作品によって、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されています。
また、本の装幀とも向き合い、昭和41年出版の池田三四郎著初版「松本民芸家具」は芹沢 銈介の装幀によるものです。
バーナード・リーチとは
バーナード・リーチは、英国の陶芸家です。
そもそも作家と言うものは孤立し仕事をするものではなく、様々な工人と協力しあい、質と量的に優れた製作をしなければならないとし、濱田庄司らと一緒に行動します。
濱田庄司の経歴
濱田庄司は、1894年に神奈川県川崎市に誕生しました。
1920年代になると柳宗悦らとともに民芸運動を提唱します。
また、濱田庄司は、高校の頃より陶芸に深く関心を示し、板谷波山に師事しています。
1920年には、バーナードリーチとともにロンドンに渡り、個展を開催しています。
彼が最初に築窯したのは、コーンウォール州セント・アイヴスでした。
その後帰国し、沖縄の壺屋窯などで勉強し、1930年には、益子焼の産地である栃木県益子町で作陶をスタートさせます。
また、濱田庄司は、1955年に第1回重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されています。
さらに、1955年には、第1回重要無形文化財保持者(人間国宝)にも認定されています。
1964年には紫綬褒章、1968年には文化勲章を受賞するなど華々しい賞歴もあります。
また、晩年近くになって、自身が蒐集した国内海外の様々な民芸品を展示した益子参考館をオープンしています。
濱田庄司の手により、様々な魅力的な作陶がされています。
「白釉黒流描鉢」は、1960年の作品です。流し掛けといった技法が施されています。流し掛けとは、釉薬などの装飾技法のひとつで、柄杓で流しながら掛けていく方法のことで、リズミカルに黒い釉薬が白地の鉢に流し掛けされていることがわかります。
「柿釉」は、濱田庄司が試行錯誤の結果、誕生させたオリジナルの釉薬です。柿に似ている鮮やかな橙色を発色することより、柿釉と命名されています。
流し掛けは、濱田庄司がイギリスに滞在中に学んだスリップウェア技法から着想を得ています。 本来泥状の土と筆を使用する技法なのですが、濱田庄司の場合、柄杓で釉薬を流し装飾する技法を生み出しています。
柿釉青流描角鉢は、柿釉独特の鮮やかな色合いをもち、かつ、流し掛けの独特の文様がマッチングした作品です。
「赤絵」とは、赤を主調とした上絵付のある色絵のことを言います。赤絵丸文急須は、白地の急須に赤い色絵を施しています。上品で、清らかな佇まいが魅力です。
「飴釉地掛筒描楕円皿」は、なめらかな感触の飴色の釉薬が施された楕円形の皿です。
濱田庄司が深く携わってきた民芸運動の伝えたい意図通りの、日用品の美を思わせる作品です。
「濱田庄司記念益子参考館」は、1977年に開館しました。
当時の家そのままが展示されています。
参考館という特殊な名前ですが、その理由は、濱田庄司自身の作品だけでなく、彼が蒐集、作品制作の参考となったコレクションがおおよそ2000点も所蔵されているからです。
美術館は山の斜面全体に広がり、敷地には展示館が5棟、工房、登り窯なども展示されています。
そもそも濱田庄司が住んだ家は、近場の農家から移築した大正時代の古い建物です。そこに彼は暮らしの息づかいを感じとったようです。
また、濱田庄司は社交的性格でもあり、建て替えであったり、代替わりする家などを近くの村人たちと自身で念入りに交渉して移築したと言われています。
土地に根付いたものを多く蒐集した濱田庄司にとっては、家自体もひとつのコレクションだったことは間違いないことでしょう。
この展示室には、アフリカの先住民が使用していた日用道具であったり、沖縄の山奥で見つけた工芸品……などと言った生命感が宿る作品が数多く展示されています。
益子の奥座敷に位置している美術館で時間の許す限りゆったりくつろぎ、帰りには近くの窯元を訪ねてみるのもいい旅のプランではないでしょうか。
濱田庄司の益子焼の特徴は、手ろくろを使用したシンプルに見える造形であったり、かつ、無作為にも見える大胆なデザインにあると言っていいでしょう。
作陶の拠点はやはり「益子」であり、濱田庄司の作品の多くには、益子ならではの土と釉薬が使用されています。
流掛であったり、赤絵、塩釉などの技法が彼の得意分野であり、「黍文」と呼ばれる作品は、まさに、濱田庄司の圧倒的力量を感じさせる作品です。
濱田庄司は、ロンドンであったり、沖縄でも陶芸を学んでいたため、彼の作り出す作品には様々な文化の多様性を感じとることができます。
民芸陶芸と言えば、素朴なイメージをもつ方々もいらっしゃるでしょうけど、濱田庄司の作品からは、近代的であったり、アート的魅力があふれています。
そもそも「益子焼」とは、江戸時代の終わりからの長い歴史をもつ、栃木県益子町あたりで作陶されている焼き物のことを言います。
大塚啓三郎が、益子町で焼き物に適した陶土を探し出し、結果陶芸の場所として選んだことが、その歴史のはじまりだと言われています。
鉢であったり、土瓶などと言った日用品が益子焼の主な製品です。
益子焼は、首都圏に近い場所にあるというメリットもあり、急速に広く流通していくことになります。
益子には、様々な人たちを受け入れる寛容な気風があり、そこに様々な陶芸家が集まってきました。濱田庄司のそのひとりと言っていいでしょう。
益子焼の特徴は、益子焼らしさを維持することと、かつ、他のデザインとの融合です。
益子焼がもっと成長していくためののびしろがそれだけ他の陶芸と比較してあったとも言うことができます。
さらに、益子焼の特徴は、ぽってりしたあたたかく感じられる手触り感です。
益子で採れる陶土は気泡を多く含んでいるため、細かい細工向きではなく、どうしても厚手傾向になってしまうことで、そのような特徴が生まれることになります。
また、砂気が多めで、素朴な味わいを上手く演出することができます。
益子で作る釉薬との相性も抜群で、飴釉、青磁釉などによってつけられる色合いも味わい深いインパクトを与えます。
益子焼は、土の特徴から焼き上がり具体は黒っぽくなるので、それをカバーするための糠白(ぬかじろ)釉の工夫もされてきました。
濱田庄司の作品の買取価格の相場は現在価格高騰中、茶碗であれば、おおよそ2~5万円、花瓶は3~10万円、湯呑は3~15万円、皿は4~30万円が目安とされています。
買取市場では有名作家のアート作品になるほど高額売却査定で取引されます。濱田庄司もそのひとりです。
相場はあくまで目安なので、注目される作品であるほど買取価格は高騰し、状態であったり、希少価値によっては数百万円の買取価格になる可能性もあります。
現在益子焼は、現在若い女性たちにも人気です。若い陶芸家が集まり、新しい価値観の日用品がここから誕生していくことでしょう。
今のライフスタイルにも合う、近代的な作品も多く作られ益子焼はここからも進化していきます。まさに、濱田庄司の起こした民芸運動のスピリットは、現在までも脈々と引き継がれていると言っていいでしょう。
もっと気軽に益子焼を持ちたいと思えば……。
Amazonで確認しましたが、
益子焼 「 SHINOGI 」 飯碗 ブラウン TS-07
¥1,828
益子焼 U TOCHIGI DESIGN 飯碗 柿 トクサ MM-4
¥1,968
益子焼 「 SHINOGI 」 そば猪口 ホワイト TS-14
¥1,036
程度のお手頃価格で購入することができます。
リーズナブル価格で、益子焼を一個購入することで、瞬く間にお部屋の世界観が広がって、裕福になったような気持ちになることができるでしょう。
まさに陶芸には、そのような魅力が一杯あります。
一方で、濱田庄司の作品には、
飴釉刻文急須 識箱
径8.5cm×14.0cm×高9.5cm
430,000円
鐵絵酒器 共箱
徳利 径8cm×高13.5cm
ぐい呑 径5.7cm×高3.3cm
567,000円
柿釉抜絵皿 共箱
径24.5cm×高3.5cm
270,000円
鐵絵花瓶 共箱
16.3cm×14cm×高23.2cm
563,760円
と言った高額買取価格がつけられています。
いかがでしょうか。
今回は、買取価格が高騰している濱田庄司の益子焼、また、濱田庄司について解説しました。
濱田庄司が提唱した民芸運動のスピリットは、現在にまで引き継がれていると言っていいでしょう。
まさに、アートは、大衆たちのためのものです。
若い人も現在、濱田庄司の益子焼に関心を示しています。
濱田庄司のアート作品は、ちょっとお高い価格ですが、このようなものが日常をアートにつなげ心を豊かにしてくれると思えば、それ程高い価格とも言えないのではないでしょうか。